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 山間(奥地)集落の生き残り

印刷用ページを表示する 掲載日:2000年1月17日

鳥取県関金町長 竹田哲男

我が町、関金町は鳥取県のほぼ中央部に位置し、町の南西部を岡山県北部と隣接する山の中の小さな町です。

面積は約98平方kmであり、県下では広い方の部類に入りますが、その内、山林原野の占める割合が約83%と言う文字通りの中山間地域です。人口は約4,600人であります。昭和28年に3つの村が合併した町であり、当時の人口が約6,600人と言うことで約2千人減少した過疎の町です。

町の自慢とする特徴は古くからの温泉地(約1200年前)であり、又中国地方一の秀峰大山の南側に位置した自然がいっぱいのとても景観のいい町です。

地域的にも当然のこととして農林業が主幹産業でありますが、昨今の厳しい農林業情勢の中にあって苦慮しております。

現在は殆どの農家が町で誘致した企業なり、隣の倉吉市にある企業に勤めに出られ、兼業農家が主体となっております。兼業によって農業を続けることは経済的に安定しますので、それが農地の荒廃を防ぐと言うことであれば、それも農業振興の一環であると思いますが、厳しい経済不況下の中にあって、地方には企業の進出が難しい情勢にあります。諸々の条件の中にあっての町づくりでありますが、現在本町では地域の持つ最大の資源(温泉、空気、緑、水)を生かし都市との交流を図った町づくりを進めております。

都市部の人々の潤いと安らぎのある地域づくりと農業等を体験できる場所づくりを進め、全町を農村公園とするよう整備をしているところです。

なお、本町には町の中に6つの行止り集落があります。いずれも町の中心部より約6~10km離れた奥部にあり、戸数も5戸から13戸と言う少集落であります。

これら集落の起源は遠く鎌倉時代に木地師として近江地方より移り住んだ人々の子孫とのことのようですが、現在の視点で見ても、よくこんな山奥の不便な所にと思うことがあります。しかし、それはこの地が木地師として生活するのに適地であったと言うことでしょう。

時代は大きく変りました。つい最近までは農林業で或いは本町特産のワサビ等の栽培が生活の基盤でありましたが、先に述べた通りの農林業情勢にあり集落の存続が難しい状況にあります。

国にあっては、中山間地の農作業等の条件不理な所に直接支払いと言う制度が新農業基本法の中で出されましたが、この制度に期待する反面、大きな不安もあります。

いずれにしろ人が生活(定住)するにはその地で生活出来る基盤が必要であります。仕事場が町部にあり、ただ寝泊りするだけの家と言うことであれば、あまりにも条件が悪すぎます。

道路は狭く急峻であり、又雪も積もります。子供達の教育、医療等を考える時、便利のよい町部に移られることは自然の成行きかもしれません。

しかし、これら地域には都会に無い自然が沢山あります。そこで集落の人と一緒になって考えたのが、この地域の特徴を生かし、他では真似の出来ない地域づくりをし、集落の存続を図ると言うことであります。

県単の補助事業を受け、集落の人達自らの手で実行しており、ある集落では渓流を活用した管理渓流釣場をつくり、山菜を主体とした食事の提供を考え、又ある集落では特産のソバを活用した、ソバ打ち体験場なり、更には水を利用して水車なり名水場、又炭焼き小屋、山菜加工施設等を整備し地域を生かした特色ある村づくりをしております。

全体的に整備をしてから1~2年を経過したところですので結果についてはこれからですが、想像したより多くの人に来て戴きまして各集落に活力が出ており、やる気が出ております。自分達の村に誇りを持ち、自分達の村は自分達で守り発展させると言う気持を持たれたのが1番の成果だと思っております。

幸いにこの地域が今年度国土庁の農村アメニティの村づくりコンクールで優秀賞を受賞し意を強くし頑張っております。

いずれにしろ厳しい諸条件の中にありますので国、県、町の援助も必要でありますが、まずそこに住む人が自分達で考え、自分達が行動することがなによりも大切であり、必要であります。それが山間地集落が生き残る唯一の道であると思います。