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 スピードを緩めよう

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年10月25日

福島県飯舘村長 菅野典雄

世界一、幸せな男とは、英国のカントリーハウスに住み、アメリカ人並みの給料で、日本人の妻をもち、中国人のコックを雇って生活すること……とかの話がある。

日本人の妻をもつことが、世界一幸せな男につながるかどうかは、近頃の日本女性や、わが妻を見ている限り、かなり疑問符もつくが、いわゆるカントリー(田舎)に住みたいという考え方は、日本でも確実に進んでいるようだ。

「物の豊かさから心の豊かさ」と言われて久しいが、その「心の豊かさ」を求める1つの方法として、「田舎ぐらし」が見直されつつあるのだろう。

ひと昔前なら、都会を離れて、田舎に移り住むなどということは、「都落ち」「会社で何か失敗をしたのか?」などと、必ず詮索されたものだ。それが、今や物質的、経済的な豊かさに疑問をもち、心のゆとり、豊かさを大切にする人にとってのライフスタイル、ナウい生き方が、「田舎ぐらし」となりつつある。そう言えば、アメリカの歴代大統領、ほとんどが農場主であったのではなかろうか。

田舎は、これまで長い間、都に恋焦がれてきた。都のものを身にまとい、都に少しでも近づきたいと願ってきた。都に近づくことが、近代化であり、その文明の中に、きっと「青い鳥」がいるものと信じて疑わなかった。都会に近づこう、近づこうと必死に追いかけてきたのだ。

はたして都会に、そして文明の中に、青い鳥は見つかったのだろうか?

長いこと求め続けてきた青い鳥は、都会にいるのではなく、自分の心の中にいることに気付く人々が増えてきた。

そうなると、あらゆる面で飽和状態に達している大都会より、農村、田舎にこそ、まだまだあらゆる可能性や、豊かさを感じとれるものが、たくさん残されていると悟り始めたのであろう。

ただし、「田舎での豊かさ」とは、提供されるものではなく、自分で発見し、つくっていくもの。あくせく稼いで、文化を買おうとする都会と違って、自分でこつこつと「つくっていく文化」なのだ。

したがって、常に感性やセンスをみがき、他人の真似をしなくとも、自分で生きがいをさがせる人、生活を創造していく力を持っている人でないと、田舎では楽しく暮らせない。その点で、田舎に住んでいる私たちは、少し怠慢でなかったのかという反省が残る。

文化会館は、建設会社に頼めば出来るが、文化は決して、誰に頼むことも出来ない。そこに住んでいる人の精神活動なくしては、絶対に出来えないのである。田舎に住む多くの人たちの精神活動なしに、カントリーライフは成り立たない。

能率主義、効率主義、合理主義、経済性、そしてスピーディーに……なる視点からは、本物の精神活動は生まれてこない。

日本社会は、少しアクセルを踏みすぎてきた。アクセルを少し緩め、スピードをダウンする必要がありそうだ。走っている人は、歩く。歩いている人は、立ちどまる。立ちどまっている人は、しゃがんでみる。

そうすると、足元の花の美しさが見えてくる。「ガンバル」のを少しやめてみれば、きっと風景が変わってくると思うのだ。

世の男たちよ、金もうけにならないことを、もう少しやってみようではないか。

そこに人間としての深みが加わり、さらに人生のデザインの仕方が見えてくる余地がありそうな気がしてならないのだが、どうだろう。