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 笑顔のある町づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年10月11日

石川県田鶴浜町長 西平秀夫

日本列島の真中、日本海に突出する能登半島のほぼ中央、七尾西湾を抱き込むような地形から、半島の陸地の一番狭い地点に位置する東西8km、南北7km、面積28.4平方km、人口6千人余りの小さな町が私の田鶴浜町であります。

住時より交通の要所として、時の支配者は、この地に館を構え人々の往来を監視したことから館ヶ浜(タチガハマ)と呼ばれていたようであります。そして入海の干潟は野鳥の絶好の餌場となり、日本海沿岸有数の野鳥の宝庫と言われ、冬場には多くの愛鳥家の訪れる処でもあります。何時の時代か定かではありませんが、野鳥の飛来する風光明媚な景観と館ヶ浜の名が転じて、現在の田鶴浜になったと伝えられています。

全国名水百選に選ばれた霊山赤藏山は様々な歴史を秘め、道路建設に伴う緊急発掘による三引遺跡からは、6千年前の日本最古の漆塗りの「結歯式くし」が発掘され、今後の調査が期待されています。

平成5年、慶安3(1650)年を嚆矢とする伝統の地場産業「木製建具」をストーリーにTBSの人気番組「水戸黄門」のオールキャストによるロケを招致、全国に放映されました。

私はこの歴史と伝統を有する美しい地名に喜びと誇りをもっております。

16年前町長として選任され、この美しい地名に恥じないような美しい町にしなければならない、そんな思いから基本構想のキャッチフレーズを“笑顔のある町づくり”と定めました。

ある先輩から「笑いながら政治ができるか!」との忠告を受けました。しかし笑顔は人間にだけ与えられた特性であり、笑顔は愛情と平和の象徴であり、“笑顔こそ至高の美”であります。溢れるような笑顔のある町にしたい。そのために何をしなければならないのか。

先ず健康でなければ笑顔が浮かんでこない。そして必要なだけの経済力がなければならない、健康で金があっても優しい心がなければ本当の笑顔にならない。そんな考えから健康、経済、心を三本柱として、町民各界との町政座談会、アンケート調査等々の集約の内から分類調整し長期計画を策定しました。理想は高く現実は極めて厳しく、どれひとつとて実現の可能性が懸念されるものでした。

先ず健康づくりについて、かつて人口3千人に1人の医者と言われた時、3人の開業医と町診療所のある当町も無医村となりその解消に全力をかけ、隣市の民間病院長の協力により19床を持つ診療所が開設され無医村の汚名を返上、現在50床の老健施設が併設、町の介護支援センター、デイサービスセンターと健康福祉プラザさつき苑が一体となって活用され、更には町民体育館、武道館、屋内ゲートボール場、緑の多目的広場、公認グラウンド等の整備により各種スポーツ大会及び健康増進と広く町民に利用されています。

経済の活性化には、基幹産業である農業基盤整備と地場産業である木製建具の振興並びに従業員600人を数える住友系列の北陸ハーネス工場を誘致し若者定住を目指すとともに、雇用の拡大をも図っております。また同系列会社のアメリカ進出を縁として、ケンタッキー州モーガンタウン市と姉妹提携を結び、“浜っ子少年の翼”として中学生を中心とした国際交流が早くも7回を数え多くの町民の交流が続けられ、国際理解と親善にも一役かっているところであります。

また住環境の整備を進め、全町下水道の完備、融雪装置の整備、国道バイパスに直結する能越道の一部開通、並びにやすらぎの場として赤藏山憩いの森、野鳥公園等が整備されるとともに公営住宅、分譲宅地造成も進められニュータウンとして完成しつつあります。

心の教育では、小中学校施設の増改築、生涯学習の場として、図書館、ニューメディア導入の文化センターを整備しました。

今、民間の大型ホームセンターと地元商店の共同ショッピングセンターの建設が進められています。16年間、夢の様な長期計画の全てが完了し本当の“笑顔のある町づくり”が実現出来たのかどうか?

人間の欲望は際限がない、この欲望の追求が政治というものなのだろうか。真の笑顔への道は遠く険しく永遠に続く道程であると思う此の頃であります。