ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 >  農業への思い

 農業への思い

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年9月13日

山梨県町村会長 明野村長 大柴邦昭

村は県の北西部に位置しています。面積は28平方キロ、標高は低いところで370メートル、高い方はこれは山林地帯で1,020メートルで村全体がなだらかに南西に傾斜し丘陵を呈しています。人口約5,000人のこじんまりとした農村です。

村人は、かつては米、麦、養蚕などを主軸に生活を営んできましたが、中でも蚕は農家の現金収入の中心で、晩秋の頃まで掃立が行われておりました。

農家の長男である私は、少年時代から両親に伴われ野良仕事の手伝いには随分精を出したものです。学校も農林系でしたが、進学の頃にはもう母が亡くなっておりましたので、在学中でも農繁期は、父が1日1人で農作業が出来るよう仕事の段取りの手伝いをしてから学校へ向かうという、今の少年には想像もできないような厳しい暮らしを経験させられました。

今も昔からの田畑が130アール程あり、日曜百姓に励んでおりますが、休日の行事も多く家内に苦労をかけております。青空のもとでの野良仕事は楽しいもので、気分転換にもなり又鋭気を養ううえでも効用があるような気がします。

今農業が大変厳しい状況下にありますが、村長に就任後もこの農業振興の問題では、いろいろ頭を痛めて参りました。その思いは村の農業が衰退してしまえば、後に一体何が残るのか、農業の維持、振興なくして村の将来はあり得ないと自身に問い続け、微力を注いでいる次第です。

村の地域資源を活かすこと、そして都市の方々との交流を活発にしていこう、こんな思いの中で活性化の基盤作りを始めました。

標高700メートル地帯に広大な畑地帯が広がっているのですが、その中央を南北に広域農道が貫通しています。この辺りからの景観は実にすばらしく北に八ヶ岳、西に甲斐駒ヶ岳、地蔵岳等の連山が、南には富士山の雄姿が眺望でき一大パノラマを呈しております。

広大な土地と景観、この2つの資源を活用することで新しい村づくりの基盤を作ることにしました。

その手始めが夏の花「ひまわり」栽培でした。日照時間日本一の記録をもつ村のイメージにうまく合致し、シーズン中は大型バスなどでの来客が16万人を数える程になりました。種蒔きや除草作業は全て村民一般の奉仕作業で行われますが、このことは村づくりにとって大変重要な意味をもつものと感謝しています。

こんな賑わいが端緒になり、その後「食と健康」をテーマとした農業構造改善事業を国へお願いする運びとなり、景観を考えながら薬膳レストラン、そば打ち体験施設、また温泉、宿泊、芝生広場を中心とした、ふるさと太陽館、オートキャンプ場を整備いたしました。

農地の利活用の面では、施設周辺で県営事業として担い手育成型の畑地帯総合整備事業が実施されることになり、これは新たに土地改良区を設立して事業取組みをした結果、第1期計画45ヘクタールの区画整備と一部灌漑設備が完成と見ております。

区画整備の換地では「営農目的別換地」という方法で行うこととしました。水田の圃場整備では、換地は通常従前地の母集団を中心とした方法で行われますが、この畑の換地については個々の農家が、事業終了後どのような営農形態を希望しているかに視点をおき、花、野菜団地、観光農園団地、兼業農家群を対象とした自作農園団地、村の農業振興公社を通してその利活用を県内外に呼びかける公社利用団地を設定し換地を行いました。

新農業基本法の制定にも呼応し、こうした基盤が本村の農業振興に役立って欲しいと念願して止まないこの頃です。