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 ふれあいと福祉の町づくりに専念

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年9月6日

熊本県玉東町長 稲村純雄

旧制中学時代、修学旅行でいった満州の広野遥かなる地平線に真赤な夕日の沈む光景は、私の脳裡から離れることができませんでした。

大志を抱いて、昭和15年渡満致しましたが、満州の開発は素晴らしく、学院や満鉄などで、多くの貴重な体験を得ました。終戦と共に修羅場と化しましたが、私は、親から授かった体躯(当時柔道2段)によって幾多の危険も免れ、無事21年7月帰国しました。

帰国以来10年石灰事業を行う一方で、若者たちと共に「村づくり」に志し、折りから昭和30年木葉村と山北村が合併し玉東村が誕生しました。同年議員として初めて地方行政に参画、42年に町制施行により玉東町となりました。

昭和58年町長就任以来今日に至っていますが「人の和の尊さ」を痛感いたしております。

「明るい町づくり」は、先づ福祉からと考え、町民の協力を得ながら翌59年社協法人化事務に着手し、60年2月に法人社会福祉協議会を設立、同会長職を務め玉東町社会福祉協議会福祉センターを62年3月建立しました。

以来、2月1日を福祉の日と定め、毎年2月に老いも若きも集う福祉大会を実施しています。独居老人、寝たきり老人の訪問、要介護老人の調査、デイサービス事業、リハビリ訪問などに、関係職員はもとより保健婦・看護婦・ヘルパーの献身的な努力が実り、県下で最も福祉事業の推進に顕著であるとして、平成3年3月本町は厚生大臣表彰の栄に輝き、更に玉東町社会福祉協議会が平成5年5月全国社会福祉協議会長から表彰を受けました。

福祉事業の更なる前進のため、数年をかけ今年4月1日に、総合福祉センター「ふれあいの丘」をオープンしました。ふれあいの丘は、要介護者と住民の福祉と健康づくりのためのデイサービス・保健センターと別棟の憩の場としての交流センターからなりますが本町にとっては有史以来の出来ごとである泉源の発掘に成功しましたが、残念ながら低温のために、東部環境センターの余熱を利用しながら運営しています。温泉は、アルカリ性単純温泉の好評を得て、町内外の多くの方々に利用いただいています。

東部環境センターは、玉名市・横島町・天水町・玉東町の1市3町による清掃センターとして、ふれあいの丘に隣接し、同じく4月1日に稼動を始めました。環境センターは一時間に2.3屯の高熱ゴミ処理能力があり、3年後に制定されるダイオキシン濃度の基準値を十分下回る1号炉と2号炉が運転しています。また、リサイクルセンターが併設されており、高熱ガラス製品の加工手ほどき・高価な電気製品・家具や洋服・靴などのリサイクルを通じて、1市3町民の新しい交流の場と環境教育の場ともなってきております。

環境アセスメントの「環境影響評価法」の新しい法律が今年6月施行されるに至りましたが、玉東町では長年環境の整備に取組み、簡易水道の設置完了と、家庭汚水浄化のための合併浄化槽設置補助事業など、また、川をきれいにするクリーン作戦を年2回春秋に実施するなどが効を奏し、水害を防ぐ大規模河川工事以来、やっと、ホタルの棲息が甦り、木葉川の夜を乱舞するホタルが町民を楽しませてくれました。30余年来のホタルの名所が復活しそうです。

玉東町は、熊本県北部の玉名郡東南部に位置し、温泉郷玉名市の東部10kmの盆地で、面積24.4平方km、東西に4km、南北に9km、人口6,126人(1,787世帯)。

南部の山北地区は、安山岩植壌土でみかん栽培に適し、1万1千屯を越える収穫量があり、北部の木葉山は石灰岩で生石灰や乾燥済の生産が豊富であります。更に、ユニークな表情の素焼郷土玩具「木葉猿」が名物ですので「みかんの里・石灰の里・木葉猿の里」を玉東町のキャッチフレーズとしています。また、相良藩の一族・詩人そして日本近代史最大の内戦明治十年の西南の役激戦地として田原坂と共に世に知られ、数多くの史跡があることから「史跡の里」としてもアピールしています。

21世紀に向け、ふれあいと福祉の町づくりに精進します。