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希望あふれるまちへ

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年10月27日更新

日裏 勝己和歌山県印南町長 日裏 勝己​​

​ 和歌山県印南町は、和歌山県沿岸のほぼ中央に位置し、面積は113.62km²、人口7,500余人、73%を森林が占め、豊かな自然環境と歴史・文化・伝統に育まれた町です。主産業は農業で、梅やビニールハウスによる施設栽培で、ミニトマト、小玉スイカ、豆、花き等が盛んに栽培されています。また、山麓から湧き出る清水で発祥の地となっている「真妻わさび」が育ち、切目川からはアユが獲れ、海からは新鮮な魚介類が食卓を賑わしています。

 私が生まれ育ち、今も住むところは標高100m程の中山間部で、普段は周りが山に囲まれた環境で生活していたことから、海を身近に感じたことはこれまでほとんどありませんでした。海を身近に感じることができたのは、初めて町長選挙に立候補を決意し、海岸沿いに住まわれる方々へのお願いの挨拶回りをしたときからです。町長選挙が行われたのは、東日本大震災の起きた翌年、2012年1月末でした。本町では、南海トラフ巨大地震が発生した場合に想定される津波高は最大で15m、津波高1mの津波到達時間は地震発生から11分で到達すると公表されています。そのような中で、津波浸水想定区域に住まわれている住民の皆さんの心中は如何ばかりかと考えると胸が苦しくなります。

 海岸沿いに住まわれる皆さんは潮騒と潮の香りが漂い、家から一歩外に出れば、見渡す限りに大海原が広がっており、山間部に住む私にとっては、たいへん羨ましく思います。が、ひとたび牙をむくと、田畑や家屋、人を飲み込む大蛇と化すものであります。30年以内に80%の確率で発生するといわれ、いつ起きてもおかしくない巨大地震・津波から命を守るには、高台に避難するしか助かることはできません。町長に就任して一番先に手掛けたことは、「住民の命を守る避難道」の整備であります。大がかりな道路の整備や避難階段等も含め20カ所以上の整備を行うことができました。少しでも安心してもらえる環境整備ができたのではないかと思っています。中でも一番印象に残っているのは、津波浸水想定区域に位置し、町内で一番生徒数の多い印南小学校の避難道整備です。これまで高台に避難するには約10分程度かかってしまい、特に低学年のこどもたちのことを考えるとたいへん悩ましいことでありました。そのような中、ある住民の方から校舎のすぐ横にある斜面用地を無償提供していただけることになりました。善は急げと、さっそく工事に取り掛かり、幅5mで両端と中央に手すりを設けた階段を作ることができました。完成により3分もあれば高台に避難できます。工事に着手し始めたころ、小学校の近くで出会ったご婦人から、「うちの孫が3人小学校に通っているので、避難道を作ってもらえて、たいへんうれしいです。いつごろ出来上がるんですか?」と話しかけられたことがありました。正直、「完成するまでに頼むから津波よ、来るな!」と、毎日強く願っていたことが今でも忘れることができません。

 今、町では4中学校を統合する事業を進めています。間もなく完成する造成工事に合わせ、校舎の建築設計を進めています。津波の心配のない安全・安心な場所で、町内最大の避難所を想定した防災機能も備えた学校で、2028年4月の開校をめざしています。

歴史をたどれば、京に都があった平安時代の中期から和歌山県南部に位置する熊野三山に詣でる熊野詣が盛んに行われ、いくつかあるコースの中で印南町には紀伊路が通っています。熊野九十九王子のうち町内には4王子が鎮座していて、中でも切目王子は特に格式の高い五体王子の一つに数えられています。

 また、印南町は「かつお節発祥の地」でもあります。江戸時代の1600年代後期、印南漁民・角屋甚太郎が、四国土佐清水の地で「かつお節」の製法を発明いたしました。その後、1707年に森弥兵衛は鹿児島県枕崎に、1800年前後に印南與市は千葉県房総や静岡県伊豆に製法を伝えています。現在、印南町でかつお節の生産は行われていませんが、伝承した地域では、全国のかつお節の名産地となられ、たいへんうれしく思っています。

 多くの先人たちの努力で築いてこられた歴史・文化・伝統を大切にし、印南町に多くの皆さんが住んでいただける、「希望あふれるまち」「住みたい・住み続けたいまち」をめざし、引き続き取り組んでまいります。​