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『持続可能な茶源郷和束』そんな理想郷をめざして

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年8月25日更新

京都府和束町長  馬場 正実京都府和束町長 馬場 正実​​​
  
​ 令和7年夏は、これは私の人生で初めて経験することですが、6月に梅雨が明け7月の一カ月間が真夏という年になります。近年の気候変動は大きく変化する自然界を象徴しているように感じます。

 我が町は、京都府南東部に位置する「和束町」。今では言わずと知れたお茶の町です。京都府内のお茶の約半分を生産する、まさに宇治茶の主産地です。我が町はその山なりの茶畑景観がとても美しく、近年ではお茶の生産と並んで、景観を観光に活かした景観行政にも取り組んでいます。

 この山なりの茶畑は険峻な山を切り開いて形づくられたものであるため、作業管理道は急傾斜となります。そのため非常に作業効率が悪く、栽培管理作業では一袋二〇㎏ほどもある肥料を運び上げることや、刈った茶葉を担ぎ出すことなどの苦労が絶えません。私の幼少期にはお茶畑について、親から一袋運ぶごとにいくらかのお小遣いをもらい作業を手伝っていたという記憶しか残っておらず、そこが美しい自然風景であるとは夢にも思いませんでした。ただつらい重労働であったという印象です。しかしながら視点を変えてみると、この山なりの茶畑から生み出される茶葉だからこそ、とても良質で、JAPANブランドの一つである「宇治茶」の大部分を担っているということに気づかされます。

 和束町は中山間地域です。それにより茶産業とは機械化も進まず、手作業が多く、それゆえ苦労も多いという農業です。地元の者にとっては魅力を見いだすことは難しいでしょう。そんな中で農家数は徐々に減少し、鎌倉時代から発展を続けてきた本町の茶産業自体が衰退しつつあったのも事実でした。

 さて、この人たちをどうやって元気づけるのか。そしてJAPANブランドの一翼を自分たち生産者が担っているとどのように意識づけるのか。それには誇りを持って茶産業に従事できる環境づくりが必要です。これには二〇〇〇年頃から『和束茶ブランド育成事業』として取り組んできました。「商品開発」に携わることで茶農家自らが自分のお茶の価値を知り、「イベントへの参加」をすることでエンドユーザーからの声を直接聞く機会を増やす。さらに、販売の仕方はもとより、自身が生産した商品PRを自身で行うために必要となるスキルを身につけるための人材育成などの事業にも取り組んできました。

 私の座右の銘は、とても欲張りですが、二つあります。一つは、『意欲と情熱』。そしてもう一つは、『継続は力なり』です。これは仕事にせよ趣味や遊びにせよ、すべてのことにおいて、「前向き」に「全力」で「諦めることなく」取り組むことを忘れないようにとの思いをこめています。こうした小さな努力の積み重ねがいつの日にか大きな動きへと変化し、また日常的な動きに変わっていくと考えています。

 生産者の誰もが「JAや茶問屋に売れば、ひと葉残らず買ってくれる」という考え方から一歩進んで、徐々に自分で売ることの楽しさを知り、包装するデザインなど細部にもこだわり、やがて我先にと新たな工夫を凝らすことでより魅力的な商品が生まれてきます。こうして新たな取組を進める一方で、ここは我慢しなければいけないという場面ももちろんあります。そのような進んだり、立ち止まったりすることの繰り返しが、人を動かし、町を動かす原動力となり、飲むものでしかなかったお茶が観せるものになり、生産地でしかなかった山なりの茶畑が景勝地と化し、今や『茶源郷 和束』として全国に知られるようになりました。そして、昼間に町内を歩くと必ず訪日外国人に出会う町へと進化を遂げ、宇治茶ブランドのOEMから、JAPANブランドの中で唯一無二である『和束茶』としての地位をほぼ確立するところまで到達しようとしています。

 茶源郷は、桃源郷のような世俗と乖離した夢幻の「utopia」ではなく、誰もがそこでいつまでも活動しつづけられる「sustainable」をめざし、これからも進化を続けます。宇治茶ブランドを支えつつもさらに『和束茶』のブランド力をも高めることで、町全体が潤い、笑顔が絶えず、すべての世代が活躍できる。そんな町づくりに取り組んでいきます。