ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村長随想 > 「束になって」わくわくする未来を

「束になって」わくわくする未来を

印刷用ページを表示する 掲載日:2025年6月30日更新

山形県舟形町長 森 富広山形県舟形町長 森 富広​​

鮎釣りで賑わう夏の清流「小国川」

 私の愛する舟形町は、山形県の北部に位置し、最上川に注ぐ清流小国川の流域に沿って、南北に6.5km、東西に27.4kmと南北に狭く、東西に細長い地形で、町の面積の7割を山林が占める、水と緑の豊かな町です。気候は夏季冬季の寒暖差が激しく、山間部では2mを超える積雪となり、生活するうえでは少し厄介な面もありますが、これもまた町の個性・特徴と受け入れております。

 さっそく、私の舟形町自慢を述べさせて下さい。自慢その①は、本町を東西に流れる清流小国川です。美味しい鮎の宝庫清流小国川は、5月になると天然遡上の稚鮎が銀鱗を躍らせて魚道を上っていきます。また、釣り具メーカー等の鮎釣り大会が数多く開催されるなど、全国各地から釣り人が訪れます。また、その清流は本町水田の約70%に農業用水として灌漑されていて、豊かな自然の恵みとして水田と私たちの生活を潤しております。

国宝土偶「縄文の女神」

 自慢その②は、国宝「縄文の女神」です。周囲の丘陵地帯と最上川や清流小国川の豊かな自然は、悠久の古から人々に豊富な生活の糧を提供したと考えられ、平成4年に西の前遺跡から出土した土偶は、日本最大の高さ45cm、均整の取れた八頭身の全身立像で、「縄文の女神」と呼ばれています。平成24年に土偶としては、国内4番目の国宝に指定されました。この「縄文の女神」は、欠損部が無く完全に復元された学術的にも、造形的にも、縄文時代を代表する土偶であり、その優美かつ圧倒的な造形力に加え、当時の信仰や精神世界を表現した芸術品としても高く評価されています。そして、縄文時代より、ここ舟形町に人々が暮らしていた証であり、現在、この舟形町に住んでいる私たちの誇りであります。

 自慢その③は、町民の皆さんです。明治末期から昭和30年代まで亜炭産業で栄え、最盛期には1万人を超えた人口も、エネルギー革命により衰退し、半分にまで減少しました。それでも、忍耐強く、皆で助け合いながら、歴史や文化を継承し、現在も住み続けている町民の皆さんには感謝の言葉しかありません。

 私は、この自慢の舟形町を未来へとつなげる為、時代の変化に対応しながら、縄文の古より豊かな自然の恩恵を受けて、この地で育まれた歴史や伝統文化を守り、こどもからお年寄りまで「住んでいる人が誇れるまちづくり」をめざし、令和2年に策定した第7次総合発展計画では、めざす町の将来像を、住んでいる人が誇れるまちづくり「わくわく未来ふながた」とし、人口が減少しても町民の誰もが幸せを実感し、そしてその未来に「わくわく」することのできる「わくわく未来ふながた」を創造しようと、職員の皆さんや町民の皆さんと一緒に努力しております。

 いたって凡庸な私が町長をさせてもらって10年目となりますが、町をマネジメントをするうえで、スポ少や中学校で野球を指導した経験が、非常に役立っています。その当時の野球部は、同学年で9人揃うことは無く、逆に全部員で10人の時もあり、チームが強くなる為には、目標を共有し全員野球で戦う意識を持つことと、厳しい練習が必要でした。その為、チームの目標はこどもたちが決め、自分たちの目標であることを強く認識させながら、練習内容の目的・効果を理解させ努力しました。三振やエラー等プレイの結果については批判せず、対戦投手の狙い球や打者の打球方向、チーム戦術等をアドバイスし、こどもたちが楽しく野球できるよう努めました。部訓は「礼儀・感謝・全力疾走」で、これを徹底すると審判や観客も味方にすることができました。個々の選手能力では劣っていても、集団で戦えば勝てることを指導し「束になってかかろう」が合言葉でした。結果、6年連続県大会出場、時には東北大会まで出場することができました。うれしいことに、野球を指導したこどもたち5人が大学卒業後、舟形町の職員として一緒にまちづくりをしております。野球と同様にまちづくりも、主事補から町長まで「束になって」町民の幸せという目的のために頑張っております。