山梨県昭和町長 塩澤 浩
私は、昭和35年5月、農家の次男として、昭和村(現在の昭和町)に生まれました。名前の由来は、同じ年の2月にお生まれになられました現在の天皇陛下から「浩」という字をいただいたと両親から聞きました。
幼いころ、父から祖父の悲しい体験の話を聞きました。
私の祖父は、いつもお酒に酔っていて、よぼよぼしている印象でした。そんな祖父は、戦争の時に、長男を戦地で、終戦の年には妻と三男を病気で亡くしたそうです。次男である私の父は、満州で捕虜となり、その後、昭和23年の春にようやく帰国できましたが、祖父は、戦争により家族を失い、息子と離ればなれになり、戦争によって大きく人生を変えられた一人であります。平和の尊さ、命の大切さを痛感させられた話ですが、私自身、平和を願う気持ちを人一倍強く持っており、それはこういった家族の話を聞いて育ったことも、一因かもしれません。
話は変わりますが、私の幼少時代の日本は、戦後の復興から高度成長期の真っ只中な時代でありました。
大人になった私は、石油販売会社に就職し、勤め先で知り合った妻と結婚、3人のこどもに恵まれました。その後、独立し個人事業主となると、事業運営の難しさや税金の大切さを、身をもって感じました。このことが、町民の皆さまの貴重な税金を適正に活用し、町政を健全に運営するという意識の醸成につながったと感じております。
また、27歳の時に消防団へ入団すると、地元との濃厚な関わりが始まり、このことが私の人生の大きな転機となったと思っております。
その後、こどもクラブやPTA、地域の役員等の役を務め、こどもが始めたバレーボールでは、私自身、それまでは競技経験がなかったにもかかわらず、気が付けば指導者として20年以上もバレーボールに携わっております。こうした活動が、多くの人とのつながりを生み、そこで出会った仲間たちは、私のかけがえのない財産であります。そんな仲間たちから背中を押され、政治の道へと歩を進めることとなり、これまで昭和町議会議員を1期、山梨県議会議員を2期務め、平成31年2月には昭和町長選挙で初当選を果たすことができ、現在2期目であります。
昭和町は、昭和56年から現在まで、不交付団体として行政運営を行っており、「平成の大合併」では合併を選択しなかった町であります。これまで豊かな財政を築いてこられたのは、先人の皆さま方のまちづくりに対する熱い思いと先見の明によるものだと思っており、今で言う「地方創生」の柱である「働く場所」「人の流れ」「子育て」「魅力的なまち」を創造し、実現への取組を進めてきた成果であります。その取組の継続が、本町の持続的な人口増加とさらなる発展を生み出し、多くの人からは「住みたい町、住み続けたい町」と認識されております。
一方で、近年の本町は、国の税制改正や物価高騰等の影響に加え、社会保障費等の扶助費や教育費の増加により、財政状況が年々厳しくなっております。さらに、今後、交通インフラの整備や公共施設の再編、自治体情報システム関連事業等の大型事業を計画しており、健全な財政運営を図るためにも財源の確保や工夫した事業執行が必要となってきます。
町民の皆さまからの本町への期待に応えるためにも、こどもから高齢者まで暮らしやすさを実感できる町の実現に向け、工夫と改革の推進を念頭とした行政運営に努めていきたいと考えております。