福島県桑折町長 髙橋 宣博
桑折町は、県都・福島市に隣接し、広い県内にあって、県庁に最も近い人口約1万1千人の町です。
歴史的には、仙台・伊達政宗公(17代)よりさかのぼること350年前、初代・朝宗公が治めた伊達氏発祥の地であります。とりわけ、14代稙宗公が築城した桑折西山城は、NHKの「英雄たちの選択」で取り上げられて以来、多くの中世山城ファンが訪れる所となりました。また、江戸時代には、日本三大鉱山のひとつである半田銀山を有していたことから、代官所が置かれるとともに、奥州・羽州街道の追分として栄えた宿場町でもあります。明治時代には、先人たちが当地方の政治・経済・文化の中心を担おうとする気概をもって誘致した郡役所が、現在は重要文化財の指定を受けています。
一方、農業面においては昭和50年代に桑から果樹への転換が図られ、現在は平成6年から連続して、特産の桃「あかつき」が県の皇室献上品の指定を受ける一大桃生産地となっております。
しかしながら、「歴史と文化、豊かな自然」を標榜していた穏やかな町は、東日本大震災とそれに続く原発事故災害により、町民共々大きく傷付きました。震度6弱の地震による被害は、公共施設やインフラはもとより、全・半壊住戸約250棟に及び、古の名残を今にとどめていた多くの土蔵も倒壊し、町並みも一変してしまいました。それに加え深刻な事態は、過去に経験則を有しない原発事故への対応でありました。大気中に放出された放射性物質から、町民の「いのち」と「くらし」を守ることを最優先に、いち早く全町除染に着手するとともに、ホールボディカウンタによる町民の健康検査や小・中学校の全教室へのエアコン設置等、手探りの中ではありましたが、迅速かつ着実に各種施策を展開できたものと捉えております。
これまで、復旧から復興、そして創生に向かって、3.11以前に戻るのでなく、未曽有の大災害を克服して、桑折新時代を拓いていくことを町民と共有し、心ひとつに町づくりを進めて参りました。
また、その後のコロナ禍にあっても、大手住宅メーカーのアンケート調査で、「住みごこちのいい町」・「住み続けたい町」として県内でも高い評価を得ていることは、町民にとっても、明るい話題であります。
さて、私は、現在、第6代町長として、4期目の折り返しで、丸14年町政を担わせて頂いております。町議会議員時代(6期23年)を含めると、37年の長きにわたり、人生の半分以上、自分の愛するふるさとの行政に深くかかわって参りました。
この間を顧みて、重大な局面であったのは、何といっても、全国的に吹き荒れた「平成の大合併」の嵐です。アメとムチで進められた町村合併の議論は、当地方においても例外ではなく、それぞれの自治体が思惑を抱えながらも、法定協議会の設置にこぎつけました。
しかしながら、議長として協議会に参画していた私も含め、委員全員が連日にわたり議論を重ねに重ねた結果、確認事項も残すところあとわずかではありましたが、全会一致で合併協議会から離脱することとし、議会や町民の理解を得、自主・自立の町を歩むこととし、今日に至っております。
本町は来年1月、1町3ヵ村の昭和の合併による町政施行以来、70周年を迎えます。私は、この記念すべき年を迎えるにあたり、あらためて次代を担うこどもたちの為に、時代の潮流を見誤ることなく、常に変革を遂げながら、先人から受け継いだ気概と地域資源をしっかりと守り、活かし、将来にわたり、町民皆さまが「いつまでも住み続けたい」と思えるまちづくりに向け、新たな一歩を踏み出す契機としたいと考えております。