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人生の転機

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年3月4日

長崎県新上五島町長 石田 信明氏長崎県新上五島町長 石田 信明​​

 この町には働く場所(職種)がない。これは若者が島を離れる理由のひとつです。漠然と都会に憧れていた気がする自分の子ども時代と比べて隔世の感があるのは私だけでしょうか。

 私は「この島から出たい」という気持ちだけで何の仕事をするかということは二の次でした。高校から島外に出て、これといった目標も持たず福岡(博多)に住むことしか考えていませんでした。

 そんな私の転機となったのは、大学でサイクリング部に入り自転車であちこち巡っている中で、耶馬渓から湯布院に向かう途中立ち寄ったときの地元青年団との交流でした。境内地の端っこでのテント泊許可をもらおうとしたら「今日の祭り(御神輿担ぎ)を手伝うならOK」ということでしたので、元来お祭り好きであるため喜んで一員に加えてもらい、その後の直会にも参加させていただきました。そのとき酔った勢いで「なんでこんな田舎に若者がいっぱい居るんですか」と失礼なことを聞いたところ「皆Uターン組であり、故郷が寂れていくのをみておれず帰って来た」との答えが返ってきました。私は一瞬で酔いが醒め、自分のことしか考えていない己自身を恥じました。それ以来、故郷で何かしたいとの思いになり、卒業時に役場の採用試験を受けたのでした。

 町職員になってからは、体育指導員として子どもから高齢者まで関わらせてもらうほか、役場若手職員でプロジェクト21を編成し、商工会のイベント手伝いや御神輿担ぎなどボランティア活動にも積極的に取り組みました。今思えば、「この島に住みたくない」と考えていた者が「この町のために何かをしたい」と考えるきっかけをもらったあの日はとても大きなものでありました。

 長い間経済が低迷している現代と違い、高度経済成長期には「人生何とかなる。どんな仕事でもやりさえすれば食べていける」と楽観視できていた気がします。大阪万博の入場券が飛ぶように売れ、万博会場は建設ラッシュで沸いていたことからも、明るい未来を想像できる世の中であった気もします。

 新上五島町は、2004年8月1日に若松、上五島、新魚目、有川、奈良尾の5町が合併して誕生した町でありますが、合併当初の住基人口は26,828人で、合併後20年間で約1万人が減少する見込みです。5町の1955年国勢調査人口56,784人と比較すれば約4万人がこの島から居なくなったことになりますが、人口減少の推移をみれば、逓減傾向を示していた総人口は高度経済成長期の後半に大きく減少しており、その後、産業就業者人口も第一次産業と第三次産業が逆転していますので、経済構造の変化による影響があったことも窺えます。

 今は、デジタル化の進展もありコロナ禍を経て田園回帰の傾向もあるようですので、人々の生き方を含めて時代が大きな変化を見せるときかもしれません。少子高齢化が進行し、消滅可能性都市のひとつとして指摘される状況にありますが、明るい兆しも見えます。長年取り組んできた小・中学校での「ふるさと教育」により、この島の歴史文化を知ることや地域住民との触れ合いを通して豊かな心が育まれるほか、高校での地域探求学習等により、生徒たちが島の課題を見つめ解決策を考え具体的に提案・実践するなど、ふるさとへの愛着と誇りを持ち、継承・発展させようとする人づくりが進展していることに希望を感じています。人づくりがまちづくりの基盤であり、未来のために島内外でふるさとの振興に尽力してくれることを期待しています。

 本町には、日本遺産と世界遺産の構成資産がありますが、日本遺産の国境の島が紡いだストーリーのひとつとして山王山をはじめとする遣唐使由来の史跡が多く、先祖や地域の言い伝えを大切に護り継いできた証として伝教大師銅像も建立されています。

 未来を担う子どもたちには「一隅を照らす」という伝教大師最澄様の教えのとおり各自が自らの持ち場をしっかりと守り、さまざまな経験の中から人生の転機となる貴重な体験をしてほしいと願っています。