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豊かな自然と和のこころ 未来につなぐ にぎわいの郷里

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年11月27日

宮田 秀利福島県町村会長・塙町長 宮田 秀利
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 全国町村会機関誌「随想」執筆のご依頼をいただきました。まず1,600字程度の字数に一瞬絶句、学生時代以来の挑戦、さていかがしたものか。

 まずはさておき、自身の産地の紹介から。ご多分にもれず山また山の山間地帯、面積約211kmの約83%が森林の町、この広大な山が育む久慈川、そして久慈川の源流を担う川上川と、山と川の絶妙なバランスが醸し出す雲海に沈む風光明媚な町と自画自賛の一節をひとくだり。

 自慢の追加をもう少々、久慈川は国内でも数少ないダムのない川、そして冬になると国内でも2つの川でしか見ることのできない、シガ「氷花」の流れる川(氷花についてはググってお調べください)であります。

 ちなみに町の所在地は福島県の中通り最南端、茨城県高萩市と隣接し関東の風を感じる微妙な所在となります。東京へのお出かけは新幹線を利用すれば自宅から2時間強で到着しますが、いかんせん新白河駅利用の新幹線は1時間に1本、不満と言えば不満ではありますが、欲張り過ぎですよね。

 こんな所在で育った自身ですから、当然周りの自然が遊び場。幼少時の夏には川遊び、小学校高学年ともなると魚との格闘。当時の久慈川は魚の宝庫、そんな中で驚くのは滋賀県周辺の魚を各種ゲットしていたこと。当時は不思議とも思わず格闘していましたが、後々調べたところ、当時自然遡上の鮎は当然でしたが、年々少なくなる鮎の数をカバーするために、琵琶湖産の鮎の稚魚を久慈川に放流しており、その中に数種類の雑魚が混じっていたようです。その稚魚が増えて久慈川を席巻し、その数は既存の魚を遥かに上回るかと思うほどでした。今は環境も変わり見る影もありませんが…。

 そして月夜の晩には、数cmの鰻の稚魚たちが取水堰のコンクリートの壁を這い登る光景が、いまだに目に残っています。その数、数千匹…はオーバーな表現かも知れませんが、圧巻でした。現在のシラス鰻の価格を考えるとなんとも微妙な思い出となりました。

 さてさて、秋が来れば、実りの季節。まずは木通の収穫を皮切りに山葡萄、甘柿そしてキノコ狩り、休むいとまもなく山を駆け巡る日々は川に遊んでもらい、山に抱かれている、まさに大自然真っ只中の日々でした。

 この話は半世紀以上もむかしの話、当時の町の人口は17,000人に手が届くほどであり、賑やかで活気あふれる町でした。

 2023年の今に目を向けてみますれば、人口は半減、少子高齢化の大渦の真っ只中。その大渦に追い討ちをかける数々の災禍。

 令和になってからだけでも、令和元年の台風19号から始まり新型コロナウイルス感染症、そして福島県沖大地震、震度6強の衝撃は2011年の東日本大震災を彷彿させるものでした。

 そしてALPS処理水の海洋放出と、いとまのない大渦の中であっても、行政運営のストップは厳禁であります。そんな中、議会の一般質問で出た「町長、塙町のこれからの在るべき姿。どのような町づくりを考えているのか」という問いに、迷わず答えた一言は以下のくだりとなります。

 「まず次世代へこの町をしっかりと繋いでいきたい。そのためには足腰のしっかりとした町づくり、足腰のしっかりとした町づくりのためには他力本願ではない地場の産業、そして地産の生産物で日々の生計の確立を目指したい。」

 すこぶる難しい町づくりなのは十分承知のうえでの口上でしたが、もう一言付け加え、都市部と全く同様の生活を目指すことをせずに、少々の不便・不足があっても、こころの充足感と共に、「小さな町でも町民みんなで日本の一辺をしっかりと守っている」との誇りを持って町づくりを行っていきたい、そんな思いを込めて答弁をしました。

 考えてみてください。今、日本が国として在るのは、一生懸命頑張ってそれぞれの地域を守っている全国の自治体があるからです。それが集まった集合体が日本なのです。

 字余りを少々。町には、単体の工場としては日本一の規模を有する製材工場が所在し、関連企業も含めると「地場産業を基に自活した生計の確立は十分可能な目標だ」との想いを申し添え、ペンをおきます。