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稲むらの火のまちに花を咲かせて

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年2月7日

和歌山県広川町長和歌山県広川町長 西岡 利記​​

「築堤の工を起こして住民百世の安堵を図る」

この言葉は、ヤマサ醤油株式会社の7代目の当主、和歌山県の広村(現在の広川町)に生まれた濱口梧陵翁が、安政元年(1854年)の大津波に見舞われ、村を離れていく村人を見て嘆き、未来永劫に安心して村人が住めるように、私財を投げ打って海岸に高さ5m、長さ600mの土盛りの堤防を築堤しようと決心した際の言葉です。堤防は現在、広村堤防として、国の史跡に指定されており、昭和南海津波から広川町の町並みを守り、その偉業や防災意識を継承していくストーリーは日本遺産『「百世の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~』として、平成30年に文化庁から認定を受けています。

濱口梧陵翁の偉業から約1世紀が過ぎ、日本で初めて聖徳太子が描かれた千円札が発行され日本が高度経済成長期にさしかかろうとしていた昭和25年、私は南広村(広川町南広地区)でこの世に生を受けました。

みかん農家の長男として生まれた私は、高校卒業後、県立農業センター(現和歌山県農林大学校)を卒業し、昭和50年広川町に奉職しました。以来、家業であるみかん農家に携わりながら町職員として町行財政に勤しみ、町基幹産業であるみかん栽培をいかに振興させるかに頭を悩ませたものです。

町長となった今でも、そのライフスタイルと考えは全く変わることなく、みかん収穫時の農繁期にもなると果樹園で汗を流し、町内農家の方々とそのときのみかんの作柄を語らい、より効果的な町農業振興施策を模索し続けています。

広川町が位置している和歌山県有田郡は、「有田みかん」の名産地です。平成18年10月、特許庁より「地域団体商標(地域ブランド)」の登録第1弾として発表された地域産品の一つとして登録されている「有田みかん」は、室町時代から栽培していた自生みかんを、安土桃山時代に熊本県から小みかんを導入して優良系統の選抜を重ねた「紀州みかん」です。日本で初めて、みかん栽培を生計の手段に発達させた「有田みかんシステム」は、日本一のみかん産地に発展させた持続的農林業システムで、令和2年7月に農林水産省より「みかん栽培の礎を築いた有田みかんシステム」として日本農業遺産に認定されました。ちなみに11月~12月に収穫のピークを迎える「有田みかん」は、広川町のふるさと納税の返礼品の中で一番の人気商品でもあります。

そんな魅力的な広川町においても、昭和50年代の人口をピークに現在6、800人を割るほどまで人口減少が進んでいることが一番の課題となっており、人口減少に歯止めをかける施策をどんどん打ち出しているところです。例えば、18歳未満の子どもの医療費(自己負担分)を全額助成する「乳幼児・子ども医療費助成」や、60歳未満の方で本町に定住するための住宅取得に対して一律50万円を助成する「定住奨励金」、広川町で起業をめざす野心ある新規創業者にその事業費の半額(上限500万円)を助成する「広川町起業支援事業補助金」などを設け、より実効性のある子育て支援と定住促進、産業振興施策を展開しています。

また、昨今の新型コロナウイルス感染症拡大は、在宅勤務という新しい働き方をもたらしたと考えます。この新しい働き方は災害時や緊急事態においても事業を継続させることができるため、多くの企業に浸透すると同時に、より付加価値をつけたワーケーションやシェアオフィス、コワーキングなどを導入する企業をも増加させています。

このトレンドは都市部から離れた広川町にとってチャンスと考え、現在、本町の歴史と文化のランドマークである「稲むらの火の館」周辺にある歴史的建造物を、地方創生テレワーク交付金を活用してカフェを備えたシェアオフィスにするリフォームを進めています。

今年、私は広川町長として3期目に入り、1期目、2期目に撒いた種を花に咲かせているところです。そして、さらに新しい種を撒き、これからもずっと住民の笑顔と一緒に育てていきたいと願いながら、次にどんな花が咲くのかを楽しみにしているところです。