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公民連携による共創のまちづくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年7月26日

宮城県亘理町長宮城県亘理町長 山田 周伸​​

私の住む亘理町は、宮城県の南東部に位置し、東に太平洋の大海原、西に標高200メートル前後の阿武隈高地の丘陵地帯、北には阿武隈川が流れ、肥沃な土地が広がっています。また、冬は比較的あたたかく、夏は心地よい海風が暑さを和らげ、暮らしやすい町であることから、「東北の湘南」と呼ばれています。

皆さん、10月8日は、何の日かご存じでしょうか。

10月といえば、本格的な秋の到来が肌で感じられる季節。本町において、秋の訪れとともに活況を見せるのが秋鮭漁です。脂ののった身はもちろん、宝石のように美しいハラコ(イクラ)は秋の味覚として親しまれています。

秋鮭を使った本町の郷土料理「はらこめし」が誕生したのは、江戸時代。仙台藩の初代藩主・伊達政宗公が、当時から鮭漁が盛んだった亘理町を訪れた際、地元の人たちが歓待の真心を込めて鮭とハラコを素材とする「はらこめし」を献上。政宗公はあまりの美味しさに感嘆したと伝えられて以来、秋の風物詩として長年愛され続けています。

その「はらこめし」の美味しさを全国の人に知ってもらいたいという願いと、10月は阿武隈川に鮭が上ってくる鮭漁の解禁月で、8日は「はらこ」の「は(8)」であり、イクラの粒を縦に並べると数字の8に形が似ていることから、10月8日を「はらこめしの日」として記念日に設定しました。

さらには、はらこめしが「亘理町発祥の郷土料理」であるということを世界に発信するとともに、町民にもあらためてそのことを知ってもらい、『はらこめし』を永く後世に伝承し、郷土料理の醸成につなげていくことを目的に「はらこめし推進条例」を制定しています。

さて、私は、令和3年5月に就任3年目を迎えましたが、私が町政という道を選択したのは、平成23年3月11日に発生した東日本大震災が転機となっています。

就任前は、保険会社勤務を経て、家業のみそしょうゆ醸造会社に入社し、同社の代表取締役として事業展開を行っていました。震災時には、全国のみそ醸造会社からの支援物資の窓口となり、自身や仲間で県の沿岸に運び続けたみそは、各地の炊き出しで使っていただくなど、被災者支援に奔走していました。

そのような中、みそしょうゆ部門の事業縮小を余儀なくされ、不動産管理を事業の中心に据えていたところ、前町長らから町長選出馬の要請をいただきました。「震災後から新たな一歩を踏みだせない町民がいる。そういう人たちの声を聞きながら復興の仕上げ、復興計画の早期完遂のため」という気持ちと、当時、町職員が家族の安否が不明な状況にもかかわらず、昼夜を問わず働いている姿を見ていたこともあり、自分自身が「亘理町の役に立てるのなら」と町長選出馬を決断し、妻を説得し、出馬をいたしました。

就任後は、東日本大震災に伴う復興事業で財政負担が増す中、民間出身という視点で212事業を見直し、約4億7、000万円を削減する大なたを振るなど、事業の見直しを図りながら、財政面で町民に心配をかけないよう努めてまいりました。

10年間に及ぶ「亘理町震災復興計画」に基づく各種復旧・復興事業の全てが令和2年度に完了し、復興からさらなる発展を遂げる「新生わたり」が目に見える形で表れておりますが、この先も、町民の心のケアなどソフト面での支援は継続してまいります。

令和3年度は、新たな取組といたしまして、民間提案制度の公民連携による共創のまちづくり事業「WATARI TRIPLE Ⓒ PROJECT」を展開してまいります。

この事業は、震災によって空白地となってしまった本町沿岸部に芸術やスポーツを通じて新たな文化を創造する新たな活動拠点を整備し、各方面の世界の第一線で活躍されている方々がプロデューサーとして本町に集結し、地域住民、地域企業、防災関連企業が連携することで、世界で活躍するアスリート・アーティストの育成と地域コミュニティの活性化を目指していくものです。

また、「地域おこし協力隊」を活用し、交流人口の拡大や特産品である「いちご」のPRと集客拡大のため「観光いちご農園」の整備を図り、“また来たくなるまち・ずっと住みたくなるまち わたり”の実現に向け、まちづくりに取り組んでいきたいと考えております。