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地方鉄道の挑戦

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年5月25日

鳥取県八頭町長 吉田 英人鳥取県八頭町長 吉田 英人​

「ガタン ゴトン ピイー」、今日もいつもと同じように「若桜鉄道」の列車が、昭和初期と変わらない原風景が残る若桜谷(八頭町~若桜町)の谷あいを悠々と走っています。

「若桜鉄道」は八頭町(旧の郡家、船岡、八東町)の「郡家駅」を起点とし、隣町の若桜町にある「若桜駅」までの19・2㎞を結ぶ地方鉄道で、昭和5年12月1日に全線が開通した今年90年を迎える歴史ある鉄道です。歴史を紐解くと開通当初は「鉄道省若桜線」、その後、昭和24年に日本国有鉄道が発足し、「国鉄若桜線」として運行され、昭和56年に若桜線は第1次廃止対象特定地方交通線の指定となりました。廃止対象路線認定後、沿線住民が何とか若桜線を存続させようと「乗って残そう若桜線」を合言葉に乗車運動を実施し、昭和62年10月14日に現在の第3セクター「若桜鉄道株式会社」として、営業開始に至ったところです。

しかしながら、沿線の人口減少やモータリゼーションの流れに逆らうことはできず、鉄道利用者は減少の一途をたどり、大幅な赤字が続きました。鉄道の存続に向け、隣町の若桜町と連携した「若桜鉄道運行対策室」を設置し、「鉄道事業再構築実施計画」を策定後、国交省の認可を受けて、平成21年4月、全国初の「公有民営による上下分離方式」による運行に取り組み、以来10年余、未だ経営状況は依然として厳しい状況にあります。

この「若桜鉄道」には多くの自慢があります。その1つ目の取組が、町内にある8駅すべてに、「駅を守る会」が自発的に結成され、会員の皆さん方が中心となって駅の清掃や植栽、駅を拠点とした各種イベントを毎年開催し、それぞれの駅の特色を活かしながら、地域活性化を図っているということです。中でも、毎年8月の第1土曜日に開催される「隼駅まつり」はスズキの大型バイクの「隼」と駅名が同じということがご縁で、昨年はバイク2,300台が、第11回を迎えました「隼駅まつり」に集結し、全国に誇れる一大バイクイベントに発展してきました。このまつりには毎年スズキ本社の社長様に駆けつけていただき、イベント会場である船岡竹林公園内には社会貢献事業として大規模なトイレ整備や、車両にバイク「隼」のデザインをラッピングした「隼ラッピンク列車」の広告など、スズキ本社様には大変お世話になっているところです。

2つ目の取組は、車両の観光列車化です。平成29年、全国の自治体が「地方創生」に取り組む中で、「若桜鉄道」では昭和62年に購入した3両の車両の老朽化が進んでいたことから、車両の全般検査に合わせ観光列車化を図ることとしました。デザインをお願いしたのは、JR九州の「ななつ星in九州」のデザインを手掛けられた、著名な工業デザイナー水戸岡鋭治氏です。水戸岡さんは最初、自治体の仕事は制約が多いので、お断りしたいということでしたが、「若桜鉄道」の生き残りをかけた挑戦事業であることをご理解いただき、お引き受けいただいたものです。水戸岡さんには、観光列車3両の外観・内観のデザインをはじめ、内装装備品などの制作にも携わっていただきました。平成30年3月に1両目、ブルーの「昭和号」がデビューし、翌31年3月、2両目のロイヤルレッドの「八頭号」、そして今年3月にブリティッシュグリーンの「若桜号」が運行を開始しました。内装は木をふんだんに使用し、座席シートも高級感のあるモケットで覆うなど、高級感溢れる乗り心地の良い空間となっており、土・日曜日の臨時貸し切りツアーも好評で、京阪神を中心に多くの観光客の皆さんにおいでをいただき、一大観光スポットともなっています。

3つ目の取組は、若桜線90年の歴史始まって以来の複線化であります。「若桜鉄道」はこれまで単線で運行を行ってまいりましたが、沿線住民の皆さん方の利便性の向上と観光客の呼び込みを図るべく、今春、中間駅である「八東駅」に行き違い施設の整備をしました。複線化することで、これまでの10往復が15往復に増便され、通勤、通学の利便性が向上するとともに、京阪神への特急列車への乗り継ぎがスムーズになり、機動力の高まった「若桜鉄道」へと生まれ変わりました。日本全国で地方鉄道の廃止が進む中、「若桜鉄道」は逆に行き違い施設を整備するという、まさに「若桜鉄道の生き残りをかけた挑戦」に打って出ました。このことは「若桜鉄道」そのものが、若桜谷のまちづくりの根幹を成すものであり、なくてはならない象徴的な存在であることを物語っているとも言えます。

単なる移動手段ではなく、人と人をつなぎ、地域と地域をつなぐ、心の支えでもある「若桜鉄道」、今後も、若桜谷の「持続可能な公共交通」として、若桜町とともに鳥取県をはじめ関係機関の協力を得ながら次の世代に引き継ぐのが、今を生きる私たちの使命ではないかと考えています。昭和・平成・令和、そして次の時代へ、「ガタン ゴトン ピイー」と昔ながらの音を響かせながら、これからも「若桜鉄道」が元気に走り続けてくれることを願うものです。