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村の原点回帰点描

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年3月23日

福岡県小竹町長  松尾 勝徳氏写真岡山県西粟倉村長 青木 秀樹​

昭和30年代はまさに、西粟倉村にとって自治体としての本領を発揮できた年代でした。大正時代に造成した村有林の伐期に当たり、高騰する材木市況を背景に、住民福祉に応分の自主財源の確保ができたのがこの年代でした。しかし、昭和55~56年頃から国産材の市況がピークアウトし、以後は底なし沼に引き込まれるような下落傾向が続きます。かつて賑わった林業もいつか割に合わない産業と化し、衰退とともに山村はその存在意義をも見いだせなくなります。

平成の大合併が強力に推進されたのは平成15~16年、国の国債発行残高が500兆円に迫り地方自治の在り方にも財政効率化、合理化が論じられ始めた頃のことでした。しかし、村民の総意は合併をしない選択をしたのです。


山林不況や人口減少が進み、もともと自主財源の乏しい山村にとって明るい将来が見通せる状況ではありません。そんな中での合併回避でした。しかし、皮肉にも合併をしないというまさに崖っぷちの決断により、私たちは真剣に村の将来に向き合うことができたのです。

現状への無念さと林業の可能性への純粋な想いが出会い、共に同じ方向性を共有できたのは村にとって幸いでした。先代の村長、道上正寿氏のリーダーシップで民有林の間伐を課題とし、林業の循環に希望を抱く外部人材を積極的に受け入れ、共同作業で「百年の森林構想」が起ち上がったのです。以後、山林整備の意義と可能性について「美しい百年の森林に囲まれた上質な田舎」という旗を掲げ、手出し無用と思われた山林に村の将来を託すことになりました。


間伐が進むと、当然のことながら森林は景色を変えます。林内に明るさを取り戻し、木並びの美しさが活き活きと蘇ります。継続的な森林整備に舵を切ったことで、山元での確かな雇用が創出されます。問題は、間伐材の利活用でした。これまで日陰の存在でしかなかった間伐材に生命が注ぎ込まれます。商品開発のターゲットは都市住民、しかも比較的若い従前のマーケティングでは顧客としてカウントされない対象者向けのカテゴリーです。しかし、節のある板で作る本物製品が受け入れられる市場が実は存在していたのです。さらに、木材の特質を活かし保育をターゲットにした分野、また高級家具の分野でもそれぞれに特徴的なベンチャー(ローカル・ベンチャー)が村に誕生したのです。目指すべき将来を示し、その構造をつくり、また情報発信に工夫を重ねたことで、都市に住む若者たちの注目と関心が集まります。小さなチャレンジや成功をもたらした山からの情報は、やる気があっても行き場のない悩める若者たちには新鮮です。さらに未来志向のコンセプトに続々と若者たちが村に集まり始めます。

山が動き出せば次の課題も現れます。間伐された木材は、村内企業をはじめとして川下へと流通するのですが、問題は売り物にならない材木、つまり林地残材の処遇です。林地に残せば廃棄物、放置すれば土砂災害の原因にもなる厄介モノです。それがバイオマス・エネルギーへの転換の発想につながります。課題は温泉施設の石油ボイラーとのコスパ勝負でした。しかし、山に仕事をつくり、地域経済が回り、林内の環境を綺麗にしながらエネルギーの原資が全て地元調達となれば、村の持続可能性には大きなアドバンテージです。そんな経緯から林地に放置された未利用材を活用した熱供給事業や小型発電事業への取組が始まり、そこでも新たなベンチャーが誕生します。地域とはまさに地域外からの人の流入によって成り立つもの、そう思わしむるほどの実感が湧いてきます。

「持続可能で美しい森林に囲まれた上質な田舎」とその村が果たす役割の実現に向けて、村は今一歩、また一歩と小さな歩を前に進めています。現下の人口減はまだ止まないものの、社会増の傾向は現れています。改めて今振り返り、村の未来とは村民と外から村に集う人々の手によって開かれていくものなのだと実感しているところです。