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水と緑、花と文化の町 高知県本山町

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年10月28日

高知県本山町長 細川 博司高知県本山町長 細川 博司

山の緑も、水の青も、棚田の葉先を揺らすかぜも、逞しく暮らす人の笑顔も。
全てでみなさまをお迎え致します。
「本山町へWelcome」なのであります。


高知県の中央北部、四国山脈のまさに中央に位置する本山町。
約90%を森林が占める町の総面積は134.2㎢。
町の中央を東に下る四国三郎吉野川の北岸部は地形が険しく、白髪山県立自然公園を有する森林地域、一方南岸部は比較的なだらかで、棚田や畑等が形成されています。


西日本屈指の縄文遺跡「松ノ木遺跡」からは、早くから稲作が行われていたことが分かっており、「土佐物語」の記述によれば、豪族八木氏は、平安時代末期に要害の地本山郷に拠点を定めて、本山氏を名乗りました。その後、土佐中央部を支配し一時は、後に四国統一をはたす長曾我部氏を追い詰めたとされています。

江戸時代本山氏は山内氏に仕えて士として優遇され幕末まで家名を残しました。また、桂浜の坂本龍馬像や高知城の板垣退助像を制作した彫刻家の本山白雲は、本山氏(傍流)の子孫になります。

この頃、山内氏の支配に反対する郷士高石左馬助が年貢の上納を拒否し、「滝山一揆」(本山一揆)を起こしています。その鎮定にあたった初代本山土居領主永原一照は、本山で善政を布き大阪の陣では高知城の留守居役をまかせられるなど主君の信任も厚い家老でした。現在、墓所は山内刑部の墓として本山町の史跡に指定されています。余談ですが、この人物は自由民権運動家として知られる板垣退助の直系先祖であり、退助自身が墓所を訪れているというエピソードが残されています。

また、藩政改革を断行し、治水・土木工事に大きな功績を残すも、政争にやぶれ失意の内に没した土佐藩家老野中兼山の領地でもありました。兼山失脚後、幽囚の身となった一族と娘婉の悲しくも強く生きる姿を題材に「婉という女」を執筆し、毎日出版文化賞、野間文学賞を受賞されたのが、町出身の作家大原富枝さんです。作家活動やその交流などの足跡は、「大原富枝文学館」で知ることができます。

他にも、北海道浦臼に入植し、開拓者、政治家として活躍し「北見開拓の父」と呼ばれる前田駒次、自ら海外植民学校を設立、多くの卒業生を南米に送り出し、「アマゾン植民の父」と呼ばれる崎山比佐衛等の「フロンティアスピリッツ(開拓者精神)」は、本山町民に脈々と受け継がれています。


【産業・観光】

本山町は四季折々の顔をもち、季節を楽しむことができる町です。

しゃくなげ公園と呼ばれる「帰全山公園」には約3万本のしゃくなげが植栽され、町を訪れる多くの観光客の目を楽しませます。

町の花桜が満開の季節を迎える頃には花見客で大いに賑わいます。

本山の南側の山間部に目をむけると、そこには棚田がひろがります。その棚田で栽培される米は「土佐天空の郷」。その名の由来は司馬遼太郎さんの歴史小説「夏草の賦」で本山氏の拠点である本山を「要害の厳しい地でありながら、大河が流れ、田畑も多い桃源郷」と紹介していることをヒントに名づけられました。寒暖差のある地理的条件を活かし、室戸海洋深層水を散布し、独特の甘みを実現、品質にも徹底的にこだわった結果、お米日本一コンテストで2度の日本一を受賞する快挙となりました。

アウトドアも充実しています。吉野川を存分に満喫するなら、モンベル「アウトドアビレッジもとやま」を紹介致します。2019年7月7日にグラウンドオープンしたアウトドア拠点施設で、国内のアウトドアグッズの老舗モンベルが運営しています。ビジターセンター、コテージ、レストラン入浴施設を併設し、ここを拠点にラフティング、トレッキング、サイクリングなどの嶺北地域のアウトドアフィールドが楽しめます。

あわせて、地域博覧会「土佐れいほく博」が12月25日までの期間開催されています。

嶺北4町村を舞台に「アウトドア」、「生活文化」、「食」をテーマにし、雄大な自然とその自然を楽しむアクティビティやグルメ、歴史の中で受け継がれてきた生活文化など嶺北地域にしかない魅力を存分に味わって頂くキャンペーンで、家族や仲間の方とここでしか味わえない自然体験やこの土地で育まれた食など、存分に体験して頂けます。