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「小さくても輝くまち」 猪名川町の今

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年9月30日

兵庫県猪名川町長 福田 長治兵庫県猪名川町長 福田 長治

兵庫県の中で、「阪神地域」といえば、大阪と神戸に挟まれた大都市一帯のことを言い、猪名川町は、その阪神地域の中で唯一の「町」です。

猪名川町は、兵庫県と大阪府の県境、近畿地方のほぼ中央に位置し、東西最大約8㎞、南北約18㎞にわたる総面積90.33㎢を有する、人口約3万1千人の町です。最北部に位置する阪神地域最高峰の大野山からは、一級河川「猪名川」の源流が湧き出ており、町の中央を大阪方面に向かって流れています。町域の8割を山林が占めるほどの豊かな自然に囲まれている一方、神戸・大阪へは電車で約1時間と、都市近郊という立地の良さから次々にニュータウンが開発され、住みやすさと自然が共存するベッドタウンとして発展してきました。

私は、この猪名川町で6人姉弟の末っ子として生まれ、育ちました。猪名川町内で働きはじめたのち、大好きなこのまちとともに成長したいとの思いで、町議会議員となり26年。その後、阪神間で唯一のまちの魅力を活かし大都市にも負けない「小さくても輝くまち」にしたいとの決意を込め、平成21年11月に町長に就任し、現在3期目となります。

猪名川町には、私が子どもの頃から見てきた里山や田園風景が、まだまだ残っています。そして、私の遊び場となっていた「多田銀銅山」は、今では「国史跡」となり、大切に保存・活用されています。「多田銀銅山」と言えば、耳にされた方もあると思いますが、平安時代末期に採掘が開始され、昭和48年の閉山までの間、場所・規模や主体者を変えながらも、ほぼ継続的に銀・銅の採掘がおこなわれてきました。豊臣政権時には直轄鉱山として、また、江戸時代には幕府の直轄地として代官所が設置され、「銀山三千軒」といわれるほどの賑わいを見せていました。代官所などの施設の遺構、間歩、焼窯跡なども良好な状態で遺されており、大都市近郊にこれだけ貴重な歴史遺産が、当時のままの姿で残されていることが評価され、国史跡に指定されました。資料館「多田銀銅山悠久の館」や実際に採掘を行っていた坑道「青木間歩」も中に入って見学できますので、悠久の歴史を感じていただくことができます。

自然に恵まれ、歴史も残るこの住環境が、いかに貴重で大切なものか。たくさんの子どもにこのような環境で育って欲しいですし、年を重ねてからもとても暮らしやすい環境だと、70歳を過ぎた私自身が実感しています。

そして、令和の時代を迎えた今、この住環境を残し、活かしながら、ますます住みやすいまちづくりを進めています。

そのきっかけとなっているのが、昨年、高槻IC~神戸JCT間が開通した、「新名神高速道路」です。町南部と川西市のほぼ境に位置する川西ICの開通効果で、本町の交通網は、より一層発展し、名古屋や広島などへの所要時間が短縮され益々便利になりました。インターに近い大規模町有地は、民間の力を最大限に活用し、産業団地として開発しています。事業者である「プロロジス」と将来にわたっての相互の協力関係等を定め「猪名川町産業拠点地区まちづくり基本協定」を締結し、「プロロジス猪名川プロジェクト」として現在、造成工事を進めています。これは、事業面積約45万㎡と、国内最大級で、西日本全域をカバーする物流集積拠点となります。完成後は1、500人以上の雇用が創出されると想定しています。

また、現在、これらの相乗効果も期待した「道の駅いながわ」機能拡大プロジェクトも進めており、国土交通省より重点「道の駅」候補に全国14箇所のひとつとして選定されています。現在の「道の駅いながわ」も年間利用者数約70万人と、本町トップの集客施設ですが、拡大後は、現在人気の「新鮮野菜の販売」や「十割そばの手打ち体験」などに加え、「駐車場の拡大」や「温浴施設・子育て関連施設の設置」など、道の駅の多機能化を計画しています。

このように、豊かな自然と住みやすい環境に、これまで多くはなかった「働く場」を確保することで「職住近接のまちづくり」を目指しております。ぜひ、便利になった新名神をご利用いただき、変わりゆく猪名川町にお越しいただければ嬉しく思います。