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「チームたなぐら」

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年6月24日

福島県棚倉町長 湯座 一平福島県棚倉町長 湯座 一平

棚倉町の歴史は古く、すでに10、000年以上も前に生活を営んでいた形跡が、胡麻沢遺跡等から判明しており、縄文・弥生・古墳時代からこの地に高い文化が発達していたことがうかがわれ、奈良・平安時代においても、当地方の文化の中心であったことが推測されています。

室町時代の応永7年(1400年)、赤館源七郎が赤館山に城を構えてからも、有力武士による抗争が繰り返され、江戸時代に入り、慶長11年(1606年)に立花宗茂が棚倉領主となり、元和8年(1622年)には丹羽長重が領主となり、棚倉城築城を開始し、初代城主となって以来、城主は8家16代にわたり、慶応4年(1868年)戊辰戦争で落城するまでの244年間、棚倉藩の城下町として、政治・経済・文化の中心地・交通の要所として栄え、明治22年棚倉町、社川村、高野村、近津・山岡組合村が誕生しました。そして昭和30年1月1日これら1町3カ村が合併し、新生「棚倉町」として発足し、現在に至っております。

町の中心にある、本年2月に国史跡指定となった「棚倉城跡」には、土塁と内堀が残っており、桜と紅葉の季節には多くの観光客が来町しています。

道路は国道118号線が南北に、289号線が東西に通じ、JR水郡線が南北に、JRバス白棚線が白河市に通じ、東白川地方の交通の要衝になっています。さらに、東北自動車道白河IC及び東北新幹線新白河駅までは車で40分の範囲にあります。

また、世界的に魅力的な都市が多い北緯37度に位置する当町は、冬は温暖で四季を通じて極めて住みよい気候を有し、阿武隈川水系に属する社川によって拓かれた北部地域、久慈川の源流を有する八溝山系の急峻な山岳地帯で形成されている西部地域等、極めて変化に富んだ地形で、農業・林業・畜産とすべてに適した自然環境を有しております。

また、「棚倉クレイ」という海泥や粒子の細かい砂があり、昔、海底が隆起した土地であることが分かる土地柄であります。

気象は、北関東地域に類似し、適度な降水量と、極めて少ない積雪量だけでなく、台風の被害もほとんどみられないといった、山間地にありながら生活・生産環境としては、清涼さわやかな恵まれた条件のもとにあります。

農業は稲作を中心にイチゴ、ブルーベリーなどの栽培も盛んに行われ、大手企業の進出もあり第二次産業の産業別人口は約42%、第三次産業が48%、残りの10%が第一次産業となっております。

平成2年には、公施民営の棚倉方式といわれる第3セクターに運営を委託しているスポーツ宿泊施設「スポーツプラザルネサンス棚倉」を整備しました。東日本大震災前は多くの学生合宿等で賑っていましたが、未だ震災前の6割しかその賑わいが戻っておりません。それでも、企業や職場研修等の新たな販路開拓に力を入れ、少しずつ宿泊数も増えてきています。

さて、平成24年9月8日の就任以来、「チームたなぐら」を合い言葉に自分達のできることは自分達で、町民みんなでまちを創って行こうと話してきました。相互に尊重し、協力し合い、家族や地域のつながりを大切にして、誇りと愛着の持てるまちにしたいと思います。若者のグループ、おばちゃんの集まり、PТA有志会等、自ら活動を始めている姿はとてもうれしく頼もしく感じております。

今後も引き続き、「第6次棚倉町振興計画」や「棚倉町 まち・ひと・しごと創生総合戦略」の着実な推進のもと、住民福祉の向上を図るため、国の施策に沿って幼児教育の無償化や子育て世代包括支援センターの開設など、教育・子育て環境の充実を目指すほか、国史跡指定となりました「棚倉城跡」の保存・活用計画や歴史的風致維持向上計画の策定、さらに観光や農林業、商工業など各種産業の振興を進めてまいります。