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小さくても笑顔あふれるまちへ

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年11月12日

和歌山県美浜町長 森下 誠史和歌山県美浜町長 森下 誠史

 

元気印の私は、昭和30年7月7日七夕に生を受け早63年、先日献血100回を達成したのが自慢の一つです。5人兄弟の末っ子で甘えん坊にもかかわらず、きかん坊のところもあったようです。自分では七夕生まれでどことなく彦星、織姫のお話のようにロマンチストだと思っているのですが・・・。

さて、我が美浜町は昭和29年10月1日に3村が合併し誕生しました。合併時と比較すると多くの町村と同様1300人減少し、現在は約7300人、面積は12.77㎢とコンパクトな町です。和歌山県のほぼ中央部に位置し、町名のとおり黒潮躍る太平洋に面する風光明媚な町です。

そして、白砂青松の煙樹ヶ浜は近畿一の規模を誇る松林で、潮害防備、保健保安林として住宅地や農業地域を潮害、風害から守り、生活にゆとりの場を提供する町民のシンボル的な松林です。また、海岸林でフラットな所が多く膝の負担が少ないことから、ウオーキングやジョギング等には最適で、更に中高校生の皆さんはここでトレーニングに励み、多くの箱根駅伝のランナーを輩出しています。

大正の末年にこの地を訪れた山梨県の近藤浩一路画伯が、雲煙模糊たる長汀と青松の景観を見て『煙樹ヶ浜』と名付けたと言われています。以前は近隣の地名から日高浜と言われていたようです。煙樹ヶ浜・・・このネーミング、良い響きで、私は大好きです。

さて、当町は地震津波対策に力を注いでいます。国が南海トラフ巨大地震の津波浸水想定を平成24年に公表し、県がより詳細に想定した結果、町土の約46%が浸水するとのこと。それに伴い工事を進め、昨年11月に住民待望の日本一の高台津波避難場所が完成しました。高台の整備面積約13000平方メートル、標高15.5m、避難場所面積2400平方メートルの規模を誇ります。備蓄倉庫6基やマンホールトイレは下水道に接続、かまどベンチは、災害時にかまどに早変わりといった設備があり、町は一挙に津波避難困難地域を解消する事が出来ました。また、高台建設の盛土材約40000㎥は県事業の道路改良工事と国交省事業の日高港の浚渫工事の発生土を無償で提供してもらい、高台避難場所の建設に有効活用させていただきました。まさに『一石二鳥』の取組だと自負しています。

また、平成30年10月には若き津波防災大使として、インドネシア、デンマーク等24カ国の高校生が現地で、かまどベンチなどを自ら組み立てるなど、学んでいただきました。高校生からは、非常に参考になった、素晴らしいとの言葉をいただいたことが、心に残りました。

次に地方創生事業の一端を。

当町の西方に通称『アメリカ村』と呼ばれている地区があります。決して大阪ナンバの街ではありません。和歌山美浜町三尾の『アメリカ村』で大阪ナンバの「アメリカ村」より先に名付けられました。明治21年単身でカナダバンクーバーに渡った工野儀兵衛翁に起因し、翁はフレザー川を遡上する鮭の大群を見て『フレザー川に鮭が湧く』と郷土の三尾にその様子を知らせ、それがきっかけで多くの村人がカナダに渡り、瞬く間にその数、数百人に達したとのことです。そして昭和初期にはカナダからの送金で、洋風家屋の新築、改築が多くあったと記されています。アメリカ村の名称は、カナダが北米にある事から、そしてバス会社が観光開発と併せて命名したと言われています。

こうしたカナダでの生活や暮らしの一端が垣間見える施設がカナダミュージアムです。平成30年7月に民家を改装し、オープンしました。カナダでの足跡、歴史等を紹介しており、100年前の蓄音機、ミシン等も展示しています。また、近隣の新鮮な食材を活かした料理やカナダ風の食材を使った『すてぶすとんアメリカ村食堂』も同時にオープンし、更にもうすぐ開設予定のゲストハウス『遊心庵』もあります。カナダ帰りのお年寄りの派手な服装や英語混じりの会話などは見られませんが、少しでも異国を感じとっていただけるのでは。

美浜町は小さい町ですが、今後も町民の一人ひとりの笑顔がたえない、元気な町づくりに、全力で取り組んでまいります。

是非一度お越し下さい。お待ちしています。