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ボランティアについて考えさせられたこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年11月5日

大分県日出町長 本田 博文大分県日出町長 本田 博文

 

今年もお盆が終わりに近づいた8月15日、日出町の名前がテレビ各局の全国放送で流れました。

各局のニュースで、山口県の周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男の子を、15日の早朝に、日出町にお住まいの尾畠春夫(78歳)さんという方が発見しましたと伝えていました。私にもこの年頃の孫がいますので、他人事とは思えず、早く見つかって欲しいと思っていた矢先の出来事でした。このニュースで男の子が無事だったことを知って、私だけでなく日本中の人が安堵したのではないかと思います。

翌16日に、尾畠さんが日出町に帰ってこられたので、敬意を表するためにご自宅に伺い、お話をさせていただきました。

尾畠さんは、2年前に大分県佐伯市で2歳の女の子が行方不明になった時も捜索に参加したそうです。その時は尾畠さんが発見したわけではありませんが、その経験から、子供は上のほうに行くと信じて、男の子が最後に確認された場所から山に向かって探していて発見したとのことです。

尾畠さんは、14日午前に「山口県へ2歳の子供をさがしに行く」と書置きして自宅を出発、その日のうちに周防大島町に着いて、翌朝からの捜索に備え準備をしたそうです。行方不明になって2日も経っているし、この間何も食べていないだろうから、最初に口に入れてあげるのは何がいいかと考え小さな飴玉を用意していました。また、車の中で夜が明けるのを待っているとき、雨が天井を叩いたことから、男の子が雨に濡れているだろうと考え、バスタオルを携行品に加えるなど、周到な準備をして臨んだそうです。

見つけたときは、怖がらないようにやさしく声をかけて緊張を解いたと聞き、とてもきめ細かい気配りのできる方だと思いました。

今回、男の子を発見したことで有名になりましたが、実は尾畠さんのすばらしいところは、これまで永い間、数々のボランティア活動を続けてこられていることです。65歳のときに、経営していた鮮魚店を閉めてから「人のために役に立ちたい」という思いで、ボランティア活動に専念するようになって、東日本大震災の時は南三陸町に、熊本地震の時は南阿蘇村に、そのほか各地で発生した水害の現場にも駆けつけるなど、あちこちでボランティア活動をしてこられました。これまで、わが町の広報誌でも、尾畠さんのボランティア活動を紹介しています。

尾畠さんは、ボランティア活動を行うに際しての信念をお持ちの方です。

男の子の祖父から、お風呂を勧められたり、傘を差し出されたりしても、固辞されている場面がテレビで報道されていましたが、それは尾畠さんなりの考えがあってのことです。

「ボランティアをするときは、『助ける』という気持ちではなく、『手伝わせてくれますか』という気持ちを忘れないようにしている。『放っておけない』と勝手に自分が押しかけたのだから、謝礼は一切受け取るわけには行かない」と言っておられます。

日出町の公式ツイッターには、報道で尾畠さんのことを知った方々から、その行動力やボランティア活動に対する姿勢について賞賛の声が多数寄せられました。

尾畠さんは、日出町民に勇気と誇りを与えてくださいました。

ボランティアは、平成7年の阪神・淡路大震災のときに、被災者の支援やその後の復旧復興において大きな役割を果たしたことから、災害時には欠かせない存在として認知されるようになりました。

今回の報道を契機に、ボランティアに対する評価が一層高まり、ボランティアの輪がさらに広がることを期待いたします。

今も、尾畠さんはこの空の下のどこかでボランティア活動をされていることと思います。どうぞお体に気をつけられて、これからもお元気でご活躍されることを念願いたします。