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2年目に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年10月29日

高知県いの町長  池田 牧子高知県いの町長  池田 牧子

1964年、東京オリンピック。聖火が走り抜けた当時の国道33号は私の家の前、旧伊野町の商店街を通っていました。子どもたちが三輪車や自転車で走り回って遊んでいる道でした。

現在、奇跡の清流と言われ、「仁淀ブルー」で認知されている仁淀川は、スクール水着にタオルを首からさげ、手に数十円のお小遣いを握りしめて、友だちと自転車に乗って泳ぎに行く、当時の小学生には恰好の遊び場でした。

母校伊野小学校のすぐ北側にある標高261mの加茂山は、帽子、水筒、タオルがあれば友だち同士で登り、道ばたの苺がおやつでした。

時は高度経済成長期の只中、当たり前にある豊かな自然と、土佐和紙発祥の地として栄え、人の往来も賑やかだった町の営みの中で、私たちは、一つの行為に時間を一生懸命使って、自然を贅沢に使っていたと思います。

昭和から平成へと時は移り、我が町いの町は、平成16年10月、本川村、吾北村、伊野町が合併して誕生しました。

仁淀川と吉野川源流という二つの清流と、北は西日本最高峰の石鎚山に連なる美しい山々に抱かれた町です。東南部は温暖で、JRや路面電車、国道33号で高知市と繋がっている一方、中北部は広大な中山間地域で、北は愛媛県西条市、久万高原町に接していて、冬はマイナス10度にもなる変化に富んだ町です。7月からテレビで「風になりたい~」と歌いながら走る新型自動車CMのバックは、石鎚山系の町道(通称UFOライン)です。

合併当時は市にも匹敵する人口でしたが、毎年約400人の人口減少と、少子化、高齢化、過疎化、シャッター通りとなった中心商店街等々、地方の抱える深刻な課題はご多分に洩れずとなっています。

そんな現状だから、今こそ、住民の皆さんとの対話、協働で、誰もが自分らしく生き生きと暮らせる町、自分たちの地域に誇りが持てる町を目指さなければとの思いで、町長に就任し2年目です。

今年4月に、縦割り行政から脱却し、それぞれ地域で異なる課題に対して横断的に取り組むため、総合政策課を新設しました。今、移住定住促進や、情報発信、少子化対策等、プロジェクトチームを作り、課題解決に向けてスタートしています。

自然体験や観光では、仁淀川流域市町村で構成される仁淀ブルー観光協議会の日本版DMOや、愛媛県西条市、久万高原町、高知県大川村といの町で石鎚山系連携協定を結び、DMCの設立に向けて進もうとしています。

インバウンドとか、有効求人倍率とか、景気回復とか、なかなか、実感できてはいませんが、夏休みの仁淀川の川原は、どこのビーチ?と思われるほどの人出で、海水浴よろしく川水浴。また、春先には筍が、鮎漁解禁日には鮎が、夏にはスイカが、秋には新高梨が・・と、旬のものがどこからともなく届く、人の温かさと豊かな自然の恵みが実感できる町です。

いの町には仁淀川、吉野川、石鎚山系という得難い観光資源がありますが、一つの自治体でできることには限りがあります。それぞれ関係する市町村でつないでいけば、大きな資源になり、自然体験や観光が、地域振興と儲かる仕組みになっていくと思います。

国道33号は今やバイパスとなり、三輪車では走れなくなったけれど、仁淀川も加茂山も接し方や姿を多少変えながら、悠然と私たちの生活の中に存在しています。