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わが町のさらなる発展に向けて

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年8月20日

徳島県北島町徳島県北島町長  古川 保博

北島町は徳島県の北東部に位置し、県下一小さな面積(八・七四㎢)で、人口は二万三千人と人口密度は県下一高い町です。
山はなく、四国三郎といわれる吉野川が紀伊水道に注ぐ河口に発達した三角州に広がる、周囲を旧吉野川と今切川に囲まれた「ひょうたん型」の町です。
この吉野川河口に広がる地は、土が肥えており、農業地帯として発展する一方、豊富な水、水運、陸運の利便性もあり、県内有数の工業地帯でもあります。
また、徳島市などに隣接しているため、住宅地としての機能も果たしており、交通の利便性の良さと、田園に包まれた静かな環境が相俟って、近年、他の都市の人口減少が加速するなか、北島町は人口増加を続けています。特に若い世代が多く、高齢化の進行も遅い状況です。
人口の増加により、郊外型の大型商業施設や小売店などの進出も続き、現在では北島町は商業の町ともなっており、県内でも有数の発展地域として注目されているところです。

私は昭和二十四年に北島町で生まれ、父親の転勤で幼稚園を大阪の堺市浜寺で、小学校は四年生まで名古屋市東区矢田町で過ごしました。その後、北島町に戻り、横浜の大学を卒業後、地元に工場のある繊維会社へ入社し、静岡、徳島、大阪へと転勤を繰り返しました。のちに企業内議員として、平成七年から北島町議を経て、現在町長三期目を迎えています。

私が小学生の頃の北島町は、戦後十年余りが経過していましたが、まだまだ田舎で、毎日学校の帰り道でどじょうを捕って帰っていました。どじょうにぬるぬる防止のために材木の切り粉を塗し、短い竹に結んだたこ糸の先に釣針を付け、どじょうを餌とした「はえなわ」を五十本程、夕暮れに近くの堀に仕掛けておきます。次の早朝に引き上げにいくのですが、たこ糸がピンと張っているのを見ると、どんな獲物がかかったのかドキドキワクワクしながら引き上げたものです。
また、釣り上げたうなぎやナマズを魚籠に入れて持ち帰りながら、持ってきた「たも網」で水門に居る「手長エビ」を五~六匹掬って家に帰ったものでした。獲物は祖母に渡して、今度は田んぼのあぜ道で渋草を取って帰り小米と混ぜてにわとり小屋に行き、餌を与えます。にわとりが餌をつついている間に卵をとるのです。にわとりの世界は弱肉強食で、弱いものは他のにわとりに鶏冠をつつかれたりお尻をつつかれたりして、弱ってくると祖父が殺処分し、夕食には、鶏肉にありつけるというような、自給自足の生活だったと記憶しています。

当時は国道を走る車も少なく、電話も郵便局に行き、交換手さんに継いでもらって、話し終えるとその料金を支払うという方法でした。
それが、今では、各自が自家用車に乗り、スマホを操る、本当に便利な世の中になったものです。改めて科学技術の発達には目を見張るものがあります。
私自身も専攻が機械科だったので、会社時代には、ウレタン発泡機を中心に冷蔵庫生産ラインから始まり、建材の断熱剤製造、複写機のクリーニングブレード製造、花王さんとご一緒した合成洗剤ストックビン等々、日本全国の大手メーカーの関係会社と共同開発してきました。その時の民間企業の企業戦士としての生き様が今の私を作ったと感じています。

町長就任以来、「クイックレスポンス」(難しい案件から速やかに対応する)、「P・D・C・A」を回す、「報・連・相」の徹底、「プロに成れ」の四つの基本を職員にお願いしています。
現在、各市町村が地方創生で生き残りをかけて、競い合っているところです。
私は、民間企業の出身なので、古い手法かもしれませんが、住民の皆さんに定住してもらうために、働く場の確保として企業誘致を進めています。そして、町の未来を担う子ども達の教育も大切なことだと思っています。
現在三十一億円程度の町税を四十億円とする目標を掲げ、その実現に向けて「入るを量りて出ずるを制する」を基本に努力を続けています。

本年六月十四日に町の体育館「サンフラワードーム」において、「第四十三回全日本愛瓢会徳島県北島大会」を開催しました。名誉総裁の秋篠宮殿下が北島町にお見えになり、大会への出席と町内企業の視察を頂いたところです。殿下にわが町にお越し頂けたことが、北島町のさらなる発展の契機となることを期待して筆を置きます。