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いい町には声がある~宮城県山元町・りんごラジオ~

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年11月19日
 

いい町には声がある
~宮城県山元町・りんごラジオ~

  

宮城県山元町

2820号(2012年11月19日)

今日も「りんごラジオ」の高橋厚アナは、通勤途中に早朝の町を訪ね歩き、働く町民にマイクを向けます。まさに通りすがりに突然インタビューを 敢行するというのに、取材拒否する町民は誰ひとりとして、いません。そんな町のあたたかさが「りんごラジオ」の原動力。災害情報のためだけのラジオではない、 町にとって大切な存在になっています。   

町が消えたという噂を聞いて

宮城県沿岸部に位置する山元町は、東日本大震災の大津波で全世帯のおよそ半数が被災しました。ライフラインが閉ざされ、町外からも町の様子がまったく わからない状況に陥ったため、町は壊滅状態になったのではないか、といった噂が流れたほど。当然、町に必要な情報もまったく届きません。被災のショックと閉塞感、絶望感から、 なかなか立ち直れずにいる町民を見て、このままでは本当に町がダメになってしまう、と即座に情報の発信が可能なコミュニティFMラジオの開局を思い立ったのは、 町在住の元東北放送アナウンサーの高橋厚さんでした。震災後、5日目のことです。町長に直談判し、かねてから交流のあった『FMながおか』から機材を借り受け、 開局にこぎつけたのは、震災から10日後の3月21日でした。

こじんまりしたプレハブの放送局ですが、町の情報がいっぱいつまっています

  

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「おはようございます、りんごラジオです」の声とともに

被災者対応に大わらわの役場庁舎1階ロビーの一角で、「臨時災害FM放送りんごラジオ(80.7MHz)」はスタートしました。局名の由来は、 りんごが町の特産品であることと、戦後復興のシンボルだった「りんごの唄」にあやかったといいます。開局当初から20人にも及ぶボランティアスタッフ、 そして町役場の全面的なバックアップのおかげで、「今、必要な正確な情報」を収集、発信できました。朝7時から夜8時まで、町民一人ひとりにとって大事な情報をできる限り つぶさに届けていきました。同年7月には、被災した役場庁舎の安全性を考慮し、中央公民館前の専用プレハブ(約20畳)に引越し。現在も放送が継続されています。 町の復興も少しずつ進み、今では災害情報以外の町の明るいニュース、賑やかな声も電波にのせることができるようになりました。

第38回放送文化基金賞特別賞受賞を喜ぶ齋藤俊夫町長(左)とりんごラジオの高橋厚アナ(右)

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すべての町民に町の今を伝える

2012年10月現在、りんごラジオは朝8時から夕方6時まで、ほとんど生放送で情報をお届けしています。毎朝、町で出会う人々のインタビューをそのまま放送したり、 様々な職業の町民をゲストに招いてトークを展開したり。これまで各界の著名人もたくさんスタジオを訪れ、激励してくれました。また、町内のすべての学校や幼稚園を紹介する 人気コーナーや町議会の完全生中継など、常に町民の関心が高い事柄を取り上げています。そして、今では、サイマルラジオ※として、やむを得ず町を離れた町民にも、 町の「今」を伝えることができるようになりました。これからも、「いい町には声がある」のキャッチフレーズのように、りんごラジオを通して、町のありのままの「声」を 「届けあう」ことで、本当の意味での町の復興を目指していきます。

今も放送局内は、DJブースもないワンフロアでわきあいあいと

※サイマルラジオ:コミュニティFM の自主制作番組をネット配信すること

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