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希望の鐘の音に再出発を祝って

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年7月23日
 

希望の鐘の音に再出発を祝って


  

宮城県女川町

2808号(2012年7月23日)

色とりどりの風船が舞い上がる青空に、鐘の音が響き渡る2012年4月29日、グランドオープンの日を迎えた「きぼうのかね商店街」には、 町内外からたくさんの人が訪れました。「もう一度仕事がしたい」「たくさんの笑顔が集う商店街を再建したい」そんな町の思いがやっとひとつになった日。 女川町の復興のシンボル「希望の鐘」を前に、誰もが新たな一歩を祝い、未来図を心に刻んでいました。   

生きる糧を取り戻さなければ

宮城県牡鹿半島の付け根に位置する女川町は、古くから良港として知られ、カキやホタテ、銀鮭などの養殖も盛んでした。豊かな漁場に恵まれ、 海産物加工業を含めた漁業が支えてきた町。あの日、想像を絶する大津波により、人口の約1割にも及ぶ尊い命が奪われ、町の中心部が壊滅的な被害を受けました。 茫然自失の淵から脱するには、できる限り多くの町民がそれまで従事してきた生業を復活させること、と方向を見出すにはそれほど時間はかかりませんでした。 震災後約1カ月の2011年4月には、商店街復活計画が持ち上がり、国の援助を受けて、その再建の目処が立ちました。場所は、当初仮設住宅の建設が予定されていた 女川高校グラウンド。その後の余震でクラック(裂け目)が発生したため、住居には不適切との判断から、商店街用地として県から借り受けることになったのです。

須田善明町長ほか、支援していただいた方々とテープカット

  

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たくさんの善意に支えられながら

商店街再建の準備を進めていくうち、世界規模の福祉活動を行っている「救世軍」及び「救世軍ジャパン」、そして米国水産業最大手の 「トライデントシーフード社」から資金面での支援の話があり、商店街の店舗数を増やせる見通しが立ちました。さらに、神奈川県鎌倉市の「パッシブハウス・ジャパン」 とのご縁から、商店街の設計を全面的にサポートしていただけることになり、国の助成で建設予定だったプレハブ仮設店舗以外に、木造の仮設店舗の建設が実現可能となりました。 2011年9月の『女川町復興計画』の策定と時期を同じくして、町民への商店街再建の説明会を行った上で、店舗経営の希望を募り、約50の事業主が賛同してくれました。 「また自分たちの店ができる!」集まった町民のみなさんの笑顔が、幸福感と高揚感で輝いているのを見て、役場の職員も力がみなぎってきたといいます。幾多の課題を乗り越え、 2011年12月に着工。実際の施工は、町の建設組合が請け負いました。

商店街の再出発を祝って、町民の笑顔が集う

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「希望の鐘」に思いを託して

震災後のガレキの山から、女川駅にあったカリヨンの鐘※が奇跡的に1つだけ完全な状態で見つかったため、「希望の鐘」と名付け、 町の復興のシンボルとなりました。その鐘を一角に据え、「きぼうのかね商店街」と名付けられたこの仮設商店街は、食料品、日用品、雑貨を扱う店や飲食店、金融機関など、 日常生活を賄うに充分な商業エリア。50店舗の中には、新規に起業した若い世代が経営する店もあり、今後の発展も期待できます。「きぼうのかね商店街」は、 単なる店舗の集合体でなく「笑顔の集う場所」であり続けたい…と、町の思いはひとつです。これから先、「仮設」が「本設」になっても、結束力を維持していけるよう、 力を注いでいきます。

女川町復興のシンボル「希望の鐘」

※女川駅舎前に設置されたカリヨンには4つの鐘がついており、電車の発着を告げていた。

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