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栃木県壬生町/「論語」を活かしたまちづくりー下野国壬生藩の藩校教育を現代へ生かすー

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年7月24日

再現された〈壬生城二の丸門〉

▲復元された町のシンボル「壬生城二の丸門」。壬生城は文明年間に壬生綱重によって築かれた


栃木県壬生町

3247号(2023年7月24日)
栃木県壬生町長 小菅 一弥
壬生町教育委員会


壬生町の概要

本町は栃木県央南部に位置し、総面積61.06km²です。

東京からは北に約90㎞の距離にあり、東・南は下野市、西は栃木市、北は鹿沼市と宇都宮市に隣接しています。本町の人口(住基人口)は、令和3年度末現在、38,985人であり、平成26年度の39,912人をピークに減少傾向となっています。

地勢は、西境を思川、中央部を黒川、東境沿いを姿川が流れており、関東平野の北部にあたるほぼ平坦な地形で、標高は50~100mです。

また、東武宇都宮線の4つの駅(「おもちゃのまち駅」という、かわいい!駅名ランキング日本一の駅もあります)が町内にあるとともに、北関東自動車道壬生インターチェンジが東北自動車道と連結しており、広域的交通の利便性が高い町となっています。

昭和30年、新制壬生町が誕生するとおもちゃ団地や獨協医科大学の誘致を進め、近年では北関東自動車道及び壬生インターチェンジ、県道宇都宮栃木線等が整備されるとともに、壬生総合公園、東雲公園をはじめとした公園や緑地が充実した、便利で快適な「緑園都市」として発展しました。

なお、人口10万人当たりの医師数全国5位、看護師数全国5位となるなど、医療環境の充実などを理由に「住みよい 住み続けたい」と思う町民が9割近くに達し、世界首位の産業用ロボット企業の誘致、役場新庁舎開庁や県内初の大型商業施設の進出など、ますます「住みたい 住み続けたい町」へと歩んでいます。

1.はじめに

​栃木県の壬生町(旧壬生藩)では、令和3年11月20日・21日に“鳥居家三君に見る人づくりの精神”をテーマに「第18回全国藩校サミット壬生大会」を開催しました(写真①・②)。町をあげての「論語素読」、「湯島聖堂公認〈壬生論語検定〉」、そして町歴史民俗資料館が行った「郷土の偉人顕彰作業」などを手堅く実施してきた成果が認められ、開催に漕ぎ着けました。一地方自治体の誘致としては誇りとすべきことと思っています。​

この紙面ではわが町の「論語素読」の取組から「ギネス挑戦」、「藩校サミット」までの流れを紹介し、これからの飛躍へとつなげたいと考えています。

藩校サミットポスター
▲①藩校サミットのポスター。壬生町で開催した本大会は、町全体をあげて取り組んだ

藩校サミット:論語朗誦
▲②藩校サミット:みぶっ子「論語大朗誦」が堂々と披露された

2.下野国壬生藩

江戸時代の下野国(栃木県)に置かれた1万石から3万石の譜代藩です。日光東照社(宮)造営時には物資輸送の前線基地となり、その後の日光社参の行程では徳川将軍家の定宿(宿館)となった信頼された藩でした。

現在の壬生の文化に大きく影響を与えたと思われるのは正徳2(1712)年に6人目の藩主として入城した鳥居忠英です。忠英は壬生に来るなり〈学問所(のち学習館)〉をつくりました。前任地近江国水口藩(滋賀県甲賀市)では大学者 伊藤仁斎を2度も招聘して学んでいる事実があり、もちろん壬生で学んだものも仁斎の学問であったことは想像に難くありません。

壬生藩鳥居家は明治の廃藩置県まで続き、この領内からも多岐にわたる人材が育ちます。以下の人物は「偉人顕彰作業」で発掘された人々です。①県内初の西洋医“齋藤玄昌”  ②国内初の医大生“榊原玄瑞”  ③漢方六賢人の1人“河内全節” ④国内初の海外留学生“齊藤留蔵”  ⑤東京音楽学校教授の“鳥居忱”  ⑥太田胃散の創業者“太田信義”、そして⑦宮中顧問長官、帝室博物館総長を歴任した“渡部信”と枚挙に暇がないほど多出しています。

なお、この人物たちは維新後も活躍し、藩校〈学習館〉(写真③)に学んだ生徒です。壬生藩は関東譜代、政治的には大きな動きはしないものの、着実に人づくりをしていたと言えます。

明治5年に撮影された藩校「学習館」全景写真
▲③明治5年に撮影された藩校「学習館」全景写真

3.「全国藩校サミット」

江戸時代に藩校(藩学)が設置されたのは300諸侯のうちの約260諸藩。各藩で行われていた教育や精神を再認識して現在に生かそうという主旨のもと、第1回を平成14年に東京湯島聖堂で開催しました。それから毎年全国の都市を持ち回りで開催し、正しい日本語、漢字文化を将来へ引き継ごうと、湯島聖堂内にある漢字文化振興協会が中心となり立ち上げました。

藩校サミットは全国から旧藩主(大名)の子孫やその藩校関係者が一堂に集まり、2日間にわたって大会・エクスカーションが開催されます。毎年会場には千人近い人々が集い、開催地はなかなかの活況を呈します。初日の本大会ではステージ上に徳川宗家を中心に江戸時代の大名子孫が並ぶ姿は壮観であり、得も知れぬ威厳さえ感じさせられます(写真④)。また2日目のエクスカーションではいくつかのグループに分かれ、その土地の名所・旧跡等を廻るのが恒例となっています。

藩校サミット:旧藩主紹介
▲④藩校サミット:旧藩主紹介。江戸時代の大名子孫が一堂に会する姿は壮観

なお、これまでに開催された、第2回から第17回までのホスト藩を掲げると、会津藩、佐賀藩多久邑、備中松山藩、高遠藩、庄内藩、熊本藩、長岡藩、松江藩、水戸藩、薩摩藩、忍藩、福岡藩、丸亀藩、加賀藩、丹後田辺藩、萩藩。そして第18回大会は壬生藩で開催され、旧藩主29藩、藩校関係者42藩の皆さまが参加し、官民一体で開催された大会になりました。しかも、町レベルの自治体の開催は初めての試みでした。​

4.壬生と「論語素読」

今日では管内小学校の児童・生徒なら誰でも、論語の2つ3つの章句はスラスラ言えます。これは自信をもって断言できる事実です。それくらい町中に論語は浸透しています。

町内で最初に「論語素読」を行ったのは、16年前の平成19年でした。これは商店街のフェスティバルで管内小学校の1クラスが、路上パフォーマンスをしたことに始まります。運営するスタッフは「まちおこしの素材は、大人も子どもも取り組めるもの」として「論語の素読」に辿り着いたそうです。

平成21年度、文部科学省「学習指導要領」の改訂があり、小学校の「国語」に「伝統的な言語文化」の事項が盛り込まれました。時の教育長(故人)は平成21年度から藩校の伝統を受け継ぐ壬生小学校に「論語素読」を導入、平成22年度からは管内全ての小学校で必須としました。ただし、授業ではなく、朝のホームルームや休み時間に実施しました。この時点でのテキストは湯島聖堂のものをベースに、壬生論語18章句を抄出した簡単な印刷物でした。ただ章句を選択するにあたっては、1学年で3章句、つまり6年間で18章句と定め、子どもたちの成長過程や生活環境を考慮して、身近な問題として捉えられるような内容のものを多く選び出しました。

平成23年度は「素読・暗唱」が軌道に乗り、各家庭での論語素読や、校長先生の前で暗唱する「校内論語検定」が定着しました(写真⑤・⑥)。平成25年度には「壬生藩校〈学習館〉開学300年記念」の町ぐるみの式典があり、その中で行った「小学生千人による論語大朗誦」は圧巻でした。この頃になると小学生だけでなく一般町民からも『論語』を学ぶことができないかといった意見が出てきました。

校内論語検定:校長先生の前で暗唱する生徒
⑤校内論語検定:校長先生の前で暗唱する生徒

校内論語検定:達人たち
⑥校内論語検定:合格した論語の達人たち

5.『壬生論語古義抄』の刊行

小中学校での「素読学習」が軌道に乗ってくると、町としても永続的に使えるしっかりとしたテキストが必要となってきました。副読本として制作する運びとなり町歴史民俗資料館と地元研究者が中心となって編集し、『論語』約500章句から100章句を選び、また儒学者伊藤仁斎との関わりから壬生町のテキストならば「仁斎読み(古義読み)」の方が良いのではないかと意見が出されました。それは山形県の庄内藩ではすでに「儒者 荻生徂徠」の学説で「徂徠読み」のテキストを刊行していたのです。この徂徠読みに倣って、壬生論語は「壬生論語古義抄」の名で壬生の論語が再スタートを切りました。

「古義」という名称は、「論語」が朱子学的解釈になってしまったことを嘆いた仁斎が、孔子の解釈で説明しようとまとめたものが『論語古義』という書物です。

平成25年度には全小中学生に『壬生論語古義抄』を配布することができました。また平成26年度からは町歴史民俗資料館を会場に一般町民を対象にした「壬生論語古義塾」が開講となり、毎週土曜日、午前9時から1時間の素読を行っています。

6.湯島聖堂公認〈壬生論語検定〉

この「検定」を受検するようになったのは平成29年度からです。毎年250名前後の小中学生が受検しています(写真⑦・⑧)。壬生論語18章句のうち、15問中3章句の暗唱ができれば初級、15問中5章句ができれば中級の認定をもらうことができるシステムです。なお、一昨年度から18問全てを暗唱できれば上級(世界記録チャレンジコース)の設定を追加しました。もともと湯島聖堂発行のテキストとは内容が異なるため、湯島聖堂との協議により、壬生オリジナルの検定方法を公認してもらいました。また、受検料の全額は、壬生ロータリークラブ様からの助成で賄っています。

「壬生論語検定」:「初級」挑戦の小学生  壬生論語検定:中級挑戦の中学生
 ▲⑦ ⑧湯島聖堂公認「壬生論語検定」:「初級」挑戦の小学生(左)と
 「中級」挑戦の中学生(右)

この湯島聖堂公認の検定を受ける小中学生たちはかなりの練習を積んでいます。例えば担任教諭を含む3名各々の先生の前で暗唱し、さらに校長先生の前でも行うという徹底ぶりです。もちろん初級・中級を落ちる子はいません。18章句を全て暗唱できる子もかなりいます。当町では合格者の力を借りて論語でギネスに挑戦するのも面白いのではないか…。

藩校サミットの誘致が決定した後にこんな声が出てくるのも自然のことなのかもしれません。そしてこのギネス挑戦はまとまりました。

7.論語で〈ギネス挑戦〉

町民818人で世界記録に挑戦
 ▲⑨町民818人でギネス世界記録に挑戦。一般公募により3歳~ 93歳の町民が集った

「藩校サミット」の誘致決定を受けて令和元年11月24日、「論語で〈ギネス挑戦〉」で、壬生町は「同時に孔子の言葉を暗唱した最多人数」748人でギネス世界記録を達成しました。町民818名が壬生論語18章句を声高らかに暗唱しました(写真⑨・⑩)。句読点の箇所は拍子木を叩くという、比較的ゆっくりのペースでしたが、約9分間をかけて完遂しました。最終的には748名の有効人数で認められ、ギネス登録となりました。

748人でギネス世界記録達成!
⑩748人でギネス世界記録達成!

今回のチャレンジは多くのマスコミ各社にも取り上げられました。その理由の1つが、参加者の構成です。参加者を見ると小学1年生から6年生までの630人、3歳から6歳までの園児が90名、老人会を含む一般公募の町民が98名です。最高齢は93歳の女性でした。

ギネス挑戦に『論語』を使うことに対して異論もあります。しかし一地方自治体が一丸となって『論語』に向き合い、「人づくり」「まちづくり」を唱えていることは、大変すばらしいことだと考えています。

8.最後に

ここ数年、ここに述べたように『論語』を活かした「人づくり」「まちづくり」を実践しています。当町では本年度から、サミット開催月をレガシーとするため、「第1回壬生藩校学習館祭り」を開催し、壬生論語大朗誦に加え壬生論語青少年・町民の主張作文コンクールを実施しております。明日を担う子どもたちに「論語を知ることは、壬生の歴史を知ること。意味は分からなくても、朗誦を通じて郷土の誇りを伝えられれば…」と願いながら。

「人づくり」「まちづくり」、先は長い。

栃木県壬生町長 小菅 一弥
壬生町教育委員会