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北海道音威子府村/地方創生のヒントは、小さな村にある~地域史からみる「移動・交流」と、新たな関係人口づくり~

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年3月21日

JR宗谷本線音威子府駅(観光列車おもてなし風景)

▲JR宗谷本線音威子府駅(観光列車おもてなし風景)​​


北海道音威子府村​

3193号(2022年3月21日) 係長 横山 貴志


1 北海道で一番小さな村、音威子府

アイヌ語で「川尻、川口のにごっている川」等の意を持つ音威子府村は、北海道北部の内陸部に位置する、北海道で一番人口の少ない村です。また、全国7地方の中で最も人口の少ない村(東北・福島県桧枝岐村、関東・山梨県丹波山村、近畿・和歌山県北山村、中国・岡山県新庄村、四国・高知県大川村、九州・熊本県五木村)で組織している、「小さな村g7サミット」の北海道代表村でもあります。

人口676人(令和4年1月末現在)のうち、約2割が村立高校「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」に在籍する生徒で構成されており、村の特色の一つでもあります。昭和50年代には廃校の危機にあった高校でしたが、新たに村立全日制工芸科への転換を図り、現在では全国各地から美術工芸を学ぶために生徒が移住してきています。

安政4年(1857年)、三重県松阪市出身で幕末の探検家である「松浦武四郎」が、本村を縦断する国内で4番目に長い河川、天塩川流域を訪れたとの記録が残されています。その際、本村の筬島地区付近でアイヌ民族の古老から聞いた話をもとに、北海道の名称発想へとつながったと言われており、村内には「松浦武四郎・北海道命名之地」木碑が建立されています。

村立北海道おといねっぷ美術工芸高等学校ロビーに展示されている生徒作品

村立北海道おといねっぷ美術工芸高等学校ロビーに展示されている生徒作品

 

北海道の名付け親、松浦武四郎「北海道命名の地碑」

北海道の名付け親、松浦武四郎「北海道命名の地碑」

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2 人とモノが移動し賑わった、鉄道の街

かつて本村は、鉄道の街・国鉄の街と呼ばれ、全国各地に鉄道網が敷設され始めた大正元年に宗谷本線が開通、以降は本村から分岐していた旧・天北線の鉄道要衝地として発展をしました。北海道北部の鉄道宿場町的に街が形成、発展をし、最盛期には人口4、000近くとなり、鉄道関係者が多くを占めていました。しかしながら、平成元年には分岐していた鉄道路線の廃止、国鉄民営化などの影響も大きく、現在は北海道で一番人口の少ないミニ村となっています。

本村を代表する名産品には、鉄道愛好家をはじめ、蕎麦ファンに根強い人気の「音威子府そば」があります。黒くて特徴的な麺はインパクトが大きく、秘伝製法で作られた歴史ある蕎麦は、かつては音威子府駅プラットホームの待合室内の立ち食いそば屋「常盤軒」で提供されていたことから有名になりました。残念ながら、駅立ち食いそば屋は店主が他界されたことにより惜しまれつつ閉店してしまったものの、現在も製造される音威子府そばを求めて、多くの観光客が本村に立ち寄られています。

日本一の駅そばと言われた「音威子府そば」

▲日本一の駅そばと言われた「音威子府そば」

3 北海道の無人駅が消え、集落が消えていく危機感

明治期からはじまった鉄道の敷設は、人やモノを運ぶだけではなく、特に「新しい街を形成する」ことを後押しする意味合いが強かったことが、北海道の鉄道の特徴です。

本村には現在、特急列車が停車する「音威子府駅」をはじめ、無人駅の「筬島駅」「咲来駅」「天塩川温泉駅」の計4駅があります。のちに設置された天塩川温泉駅以外は、駅を中心に駅前の街が形成されており、昭和の時代には駅長、駅員が各駅にいて、線路を守る保線現場の方、家族を含めると、『駅』があるだけで小さな集落ができるほどでした。

北海道の鉄路は存続の危機を迎えており、路線の廃止や無人駅の廃止が進められています。そのような中、本村の無人駅3駅も廃止対象となり、令和2年3月末をもって廃駅予定でしたが、自治体が維持経費を負担する形で当面の間、存続することとなりました。同じ宗谷本線内においても、多くの無人駅が廃止対象となりましたが、各自治体の判断で数駅が存続しています。

人々の移動手段は、半世紀前と比較しても大きく変化をしており、あわせて市街地以外に住む人も大きく減少しています。それとともに、駅を利用する地元住民の数が減っていくのと同時に、さまざまな理由で列車の本数の減少により、延べ利用者数は必然的に減っているのが現実です。

一方で、他の公共交通と同様に、「駅」を利用できるのは地元住民だけではなく、全国、全世界の人が同じように利用することができる、それが駅であり鉄道であると言えます。

鉄道の敷設や駅の設置とともに駅前市街地が形成され、人々の営みがあった各地区が、さまざまな理由からその地を離れ、当たり前のように利用ができた「駅」がある日突然消えてしまう。このことは、『都市や地方に関わらず「平等」に使えていたものが、地方から先に消えていく』ことの表れ、きっかけであるように感じています。この「駅が消える」こと自体も地域にとっては一つの問題ですが、都市と地方との関係性を考えるうえでの本質的な問題、課題が隠れているように感じています。

自治体で維持する筬島駅

自治体で維持する筬島駅

 

4 ふるさと納税返礼品「線路の石缶詰」で、一石を投じる

本村では、「駅」は地元だけのものでもなく、みんなで支え維持をすることができる一つの仕組みとして、『みんなの駅プロジェクト』を展開しています。このプロジェクトの中心となる取組では、無人駅3駅の維持存続に対する維持経費の捻出のため、「ふるさと納税」を活用して賛同者、支援者を募り、ふるさと納税での寄附金を駅の維持経費や鉄道利活用の取組へと活かしています。

この取組には、地域の20~30歳代の若手が中心となり組織されている住民有志グループ「nociw*」(※読み:ノチウ。アイヌ語で「星」の意)が企画したふるさと納税返礼品、「線路の石缶詰」が話題を呼び、多くの反響がありました。この缶詰には、本村から分岐していた旧鉄道路線跡地(現在は村有地)で採取した線路の石だけが入っている、食べることができない缶詰です。一般の方はもちろんですが、鉄道愛好家の方であっても、ほしい!と思うような返礼品ではないのは確かです。

他の地域で人気のふるさと納税返礼品は、肉や海産物などの地場産品が中心ですが、この線路の石缶詰を返礼品に追加した2020年11~12月のわずか2ヶ月間で約100個の申し込みがあり、納税額換算で100万円以上となりました。2020年の1年間で見ると、無人駅維持経費や鉄道利活用に対する総額で約500万円弱にのぼり、無人駅維持に必要な1年分の経費分以上にもなったのです。


◇ふるさとチョイスアワード

この一連の企画は、ふるさと納税ポータルサイト・ふるさとチョイスで開催する、地域での取組を表彰する「ふるさとチョイスアワード2021」にノミネート選出されました。ふるさと納税額トップの自治体は年間数十億近くになるところもある一方で、地域の歴史や資源、限られた人材、資金の中で、地域の諸課題解決に向けたストーリー展開が評価されたものです。

小さな村であっても、地域の中にある小さな魅力、資源に着目し、一見価値のない「石」に地域のストーリーや想いを込めて、ふるさと納税返礼品にする。その取組は、過熱する豪華なふるさと納税返礼品競争に対して一石を投じるとともに、小さな村でのまちづくりにおいても、大切にしなければならない視点の一つであるものと感じています。

ふるさと納税返礼品「線路の石缶詰」自然に還りつつある旧鉄路の跡地で石を採取

ふるさと納税返礼品「線路の石缶詰」​    ▲自然に還りつつある旧鉄路の跡地で石を採取

 

旧駅跡看板を背景に、村長と住民有志代表が「石」をPR

▲旧駅跡看板を背景に、村長と住民有志代表が「石」をPR

 

ふるさとチョイスアワード2021

▲ふるさとチョイスアワード2021

5 小さな村の役場職員と東大生がまちづくり

本村の歴史は、特に鉄道を中心とした人とモノの移動、そのための鉄道設備や人材と、それらを支えるサービス業等が集まり、街全体が発展をした背景があります。現在は鉄道自体の効率化、役割の縮小、北海道北部の人口減などの要因により、人とモノの移動自体が少なくなってきているものの、いまもなお交通の要衝地の役割は変わりません。

地域の歴史の中においてこの「移動」という点に着目してみると、単なる「通過」だけではなく、転勤を伴う職種の方々の「異動」も多くあったと言えます。そのことにより、数年おきに人が入れ替わる中での「交流」から生まれるさまざまなものは、本村の地域特色や活性化のエネルギーにもつながっているのではないかと感じました。

現在では、要衝地としての人の動きは縮小した一方で、全寮制の村立高校の生徒40名が毎年移住し、40名の卒業生が地域外へ転出していくこと、村の総人口の約1割が必ず入れ替わるのは、ある意味で過去からの「移動」の歴史がつながっていると言え、地域的な強みでもあると考えたことが、新たなプロジェクトへと展開していくきっかけとなったのです。


◇都市圏交流推進事業

このプロジェクトは「都市圏学生交流推進事業」の名称で、特に首都圏の大学に通う大学生を対象にし、本村と学生との交流を通じたまちづくりを目指し、令和3年から本格的にスタートしました。

地域と大学とが連携した事業の場合には、大学単位やゼミなどを通じた場合が一般的ですが、今回の事業では学生間のネットワークで周知を行い、特に地域に対して強い興味関心のある学生が自ら携わってきたことが第一の特徴です。そのことから、学生の学部や所属もさまざまで、建築や都市工学を専攻する大学4年生、東京大学にある農業まちづくりサークル「東大むら塾」に所属している2年生、という内訳です。学生個々人の専攻や興味関心の視点から、地方の『村』と関係を持ち、実際に体験し、考え、実践する場を、本プロジェクトを推進する地域側が創り上げていくことを第一目標に、事業を実施しました。

プロジェクトの推進は、本村役場では初めての「挙手性参加型プロジェクトチーム」により立ち上げをし、20歳代職員3~4名で事業実施を行いました。事業内企画は、「建築」と「農業まちづくり」の大きく二つに分け、テーマに沿った展開をしています。建築からのアプローチでは、地域の状況や美術工芸を学ぶ生徒がいる村立高校の強みを活かし、タクティカル・アーバニズム(TACTICAL URBANISM、まちづくりの新たな手法、長期的変化のための短期的プロジェクト展開)を用いた、パビリオン(仮設建造物)制作イベントを実施しています。


◇OTOINEPPU Pavilion 2021

このパビリオン制作イベントに向け、村役場若手職員と東大生とがZoomやSlack(※ビジネスチャットツール)などのオンラインを駆使し、会議を重ねてきたことも特徴です。実際のイベント時にも、事前事後の意見交流会は、東京の大学生と本村の高校生、役場職員とがZoom上で行い、その様子はYouTubeで公開ライブ配信を試み、メインイベントもオンライン上で楽しめる工夫などもされました。

企画のメインイベントでは、どこにでもある「ビニール傘」を構成部材に用い、その傘に美術工芸を学ぶ村立高校の生徒有志が「描き」、大学生が考えた半円ドーム状の仮設構造物を、現地で参加者全員が協力し合いながら組み上げる、というものです。

大学生が専攻する「建築」と、高校生が学ぶ「美術工芸」とを掛け合わせ、小さな村で「交流」をデザインする試みは、これまでにはなかった視点と発想で、村にとっても大きな刺激の一つとなったと感じています。

​​地元農家と東大生の交流

地元農家と東大生の交流

 

オンラインを通じた交流

▲オンラインを通じた交流

 

東大生の設計をもとにパビリオンを組み立てた高校生らが絵ビニール傘に描いた作品のお披露目

▲東大生の設計をもとにパビリオンを組み立てた ▲高校生らが絵ビニール傘に描いた作品のお披露目​​

 

報告書を学生が作成し住民へ配布

▲報告書を学生が作成し住民へ配布

 

ライブ配信した動画をYouTubeで公開中

▲ライブ配信した動画をYouTubeで公開中​

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6 小さな村は、オモシロイ

来村した大学生からの事後感想の中には、「実際に訪れるまでは、なにもない、消えかけている自治体だと思っていた。」と、コメントがありました。都市で暮らす若者からすると、人口だけを数値上で見れば当たり前の反応で、しかしながら実際に暮らしている村民とすれば突き刺さる感想です。

人口が減り、地域が消えていくのは村に限らない問題ですが、現実と向き合いながらもいかにピンチをチャンスに変えていけるか…。廃線跡の石ころを拾い集めたり、オンラインで大学生の発想や知識を借りながら役場若手職員がまちづくりに挑戦したりと、ちょっとした些細なアクションでも、村にとっては大きなプラスとなり得ることは、ある意味「小さい」が故の強みだと感じています。

地方創生や関係人口の創出が求められる中で、本村の地域史を振り返ると、実はすでに「移動」や「人が交わる(交流)」ことの積み重ねが続き、関係人口へとつながるターニングポイントがあったからこそ、現在の村があるように感じます。地方の課題に直面する小さな村には、過去にも現在にも、地方創生につながる多くのヒントが隠されています。

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