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和歌山県北山村/村民一人一人が輝く村づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2022年3月14日

観光筏下り

▲観光筏下り


和歌山県北山村

3192号(2022年3月14日)北山村長 山口 賢二


1 北山村の概要

北山村は、紀伊半島の中央部、三重県、奈良県、和歌山県の県境に位置する、自治体丸ごと飛び地になっている村です。令和4年1月時点の人口は、260世帯421人、面積は48・20㎢と、人口でみると本州の中で最も小規模な自治体の一つです。

紀伊半島南部特有の多量な雨に恵まれた、豊富な流量を誇る北山川が村内を貫流し、山間の小さな村独特の景観を作り出しています。豪雨と急流による浸食が作り出した七色峡や瀞峡の景色は、ぜひとも一度はご覧いただきたいものです。

かつては道路が未開通であったことや、狭隘な山道を超えなければ来村することができず、秘境と呼ばれることもありました。現在では近隣の高速道路の開通や道路環境の改善により、県庁所在地である和歌山市や大阪市、名古屋市などがいずれも自動車で3時間圏内となり、日帰りでの来村も比較的容易になりました。

明治22(1889)年の町村制の施行以後、一度も合併することなく単独村を維持し続け、令和元(2019)年には単独村制施行130周年を迎えました。昭和・平成の大合併の時代を生き抜き、これまで単独村制を貫いてきたことは、村民の誇りの一つでもあります。

2 全国唯一 飛び地の村

「飛び地」とは、一般的には自治体の一部が別の自治体に飛び離れている地域のことを指します。本来の自治体と陸続きになっていない状況から、離島のイメージが近いかもしれません。

北山村は全国で唯一、村が丸ごと飛び地になっており、村の境界はすべて三重県か奈良県と接しています。

和歌山県の地図で見ると右側に浮かんだ島のようになっており、非常に覚えやすい立地になっています。

村ごと飛び地になっている所以については判然としない部分もありますが、現在の新宮市とのつながりを重視したから、というものが有力です。

詳しくは後述しますが、山と川に囲まれた北山村は、林業を中心産業として栄えてきました。道路の通わない山間部から、木材を搬出する手段として発達したのが、筏流しでした。

明治4年の廃藩置県の折、北山川を境に奈良県・三重県・和歌山県が区切られた結果、本来であれば奈良県に属するはずでした。しかし、かねてより新宮に木材を搬出していたことから、そのつながりを大切にした地域の人々は、「新宮が和歌山県になるのなら、自分たちも」と希望し、和歌山県に編入されたそうです。

村内の景観

▲村内の景観​

3 全国唯一 伝統産業 筏

現在は5月から9月の夏の観光アクティビティとして名高い観光筏下りですが、実は600年以上の歴史をもっています。

北山村に限らず、近隣の地域では山から伐採した木材を筏に組み、川を流すことで搬出していました。川の上流から河口まで、地域ごとにいた筏師が、交代しながら筏を流しました。

そうして搬出された北山産の木材は伏見城や江戸城本丸の建材にも使われたと記録されています。

急流と難所を有する北山村周辺を流す筏師の技術は卓越したものだったそうです。この実績を買われ、明治40(1907)年には、朝鮮の鴨緑江へ出稼ぎと技術の指導に向かいました。

昭和40(1965)年のダム建設と道路の改良により、木材の搬出は完全に陸路に代わりました。多い時には500人以上もいた筏師も次第に数を減らしていきました。

しかし、北山筏の技術を絶やすわけにはいかない、林業が衰退した後の村を支える産業を作らなければならない、と考えた当時の筏師は、筏下りを観光資源にすることを考えます。筏を小型船舶として登録し、ダムの放水を一定にしてもらい、安全な水路を作り上げるなど、数多の困難を乗り越え、昭和54年から観光筏下りがスタートしました。

村の観光を支える日本唯一の筏下りの技術を後世にも残すべく、現代の筏師たちが日々技術の向上に励んでいます。ぜひともここでしか味わえないスリルを楽しんでください。

 

4 全国唯一 伝統果実 じゃばら

北山村にはもう一つ全国唯一を誇るものがあります。それが「じゃばら」という柑橘です。

じゃばらは邪気を払うほど酸っぱいことから名づけられた、北山村だけに自生していた香酸柑橘です。柚子よりも果汁が豊富で種もなく、地元では縁起物として昔からお正月の料理に欠かせないものでした。

そもそもじゃばらは、ある村民が庭に生えていた「へんなみかん」を発見したところから始まります。「みかんじゃないが独特の味と香りがうまい」と村の特産品化を目指し動き出します。昭和46(1971)年、柑橘の分野で高名な田中諭一郎博士の調査により、全く新しい品種であることがわかり、村をあげての増産に踏み切りました。

しかし、平成10年頃までは、柑橘類の人気も低く売り上げは低迷、事業の撤退も視野に入りました。そこで、毎年熱心に購入してくださるリピーターの方に聞いてみると、「子どもの花粉症に良い気がする」とのことで、大規模なモニター調査を実施したところ、多くの方から同様の感想が得られました。

これを機にマスコミでの露出の増加や行政としては異例の楽天市場でのECサイト開設を行い、爆発的に売り上げを伸ばしました。

令和2年には村出資100%で株式会社じゃばらいず北山を設立し、行政の事業であった商品開発や販売事業を独立させました。民間会社ならではの機動力の高さをもとに事業展開を行っています。また、同社ではふるさと納税事業も請け負っており、長年の販売事業で培ったノウハウを活かし、満足度の高い事業を行うとともに、近隣市町村の事業も受託するなど、新たな事業への取組も盛んです。

じゃばらの果実

じゃばらの果実

5 いきいきと その人らしく暮らせる 支えあいの村

そのような北山村ですが、当然に人口減少・高齢化の波が押し寄せています。

しかし、単に表面上の人口に囚われることなく村づくりを進めることが重要です。70歳以上の人口が150人を超える村において、自然減に打ち勝つ人口増を目標に据えるのは間違いです。適度な過疎「適疎」という考えの下、村の今後を考える必要があります。

なによりも村民の生活を守り、生活の向上を図ることが第一義の目標です。そのために村にとってどういう人物が必要なのか、移住・定住をはじめとする今後の施策をどうしていくか、大局的な視点が求められます。

生活を守り、生活の質をあげていくことは、一つ一つ地道に課題を解決した先で、成果が出てくるものと考えています。

一つの目標として掲げているのが「いきいきとその人らしく暮らせる支えあいの村」です。高齢者をはじめ、皆が積極的に社会の中で役割を果たし、生きがいをもって長く健康に暮らしていくことで地域の発展を目指すことを願っています。

診療所が一つだけの村において、健康づくりは地域での暮らしの基盤として非常に重要です。そこで、近年は年齢を問わない健康づくり事業を推進しています。

一つは「あいべ元気イキイキポイント」事業です。1日のウォーキングやロコトレ、畑での農作業などで運動したら、量に応じてポイントがたまります。3カ月ごとに歩数部門・ポイント部門で集計し、ランキングを作成しています。ランキング上位を目指したり、近所の方との日頃の運動機会の創出につながったりと、運動能力の維持向上だけでない成果につながっています。

また、今年からは「高血圧ゼロのまちプロジェクト」と題し、高血圧の方ゼロを目指すプロジェクトを始動しました。ヘルスプロモーション研究センターと協力し、村民の日常的な血圧測定の実施、動脈硬化検診の積極的な活用、健康づくり教室の実施などを通じ、自身での健康づくりの意識向上を目指し、村民全体の健康状態の向上を図ります。

健康的な生活の先に、一人一人が生きがいを見出し、元気に地域づくりに携わっていただきたいと考えています。

健康エクササイズ

健康エクササイズ​

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6 教育にかける思い

村では「子どもは宝」という考えの下、世界で広く活躍できる子どもを育てるべく教育に取り組んでいます。

早期から取り組んできた英語教育は近年ようやく芽吹きだし、初期の英語教育を受けた人材が各地で活躍を始めています。

保育園から中学校まで一貫して週1時間以上の英会話教室を開催し、子どもたちの英語力を伸ばします。また、集大成として中学校2・3年生の希望者全員を、全額公費負担の下アメリカでのホームステイ事業に派遣しています。小さな村だからこそできる事業の一つです。

また、今年度からは、中央公民館である村民会館に教育委員会事務局を移転し、図書・交流スペースの常設を開始しました。これまで、保育園入園前の乳幼児の保護者が週1回「ママカフェ」を開催し集まっていましたが、今後は常時オープンしたことで、遊びに行けばいつでも誰かがそこにいる、という環境を作り出すことができました。

小規模な村での子育て環境は、必ずしもすべてがプラスの環境ではありません。こうした課題を一つ一つ解決していくことで、住み続けられる村づくりを進めたいと考えています。

交流スペースの様子

▲交流スペースの様子​​

 

7 新時代の観光立村

暮らしやすさの向上とともに重要なのが「外貨」の獲得です。中小事業者の売り上げの向上、一人一人の所得の向上はもちろん、行政として収入を増やすことでより良い行政サービスの提供につなげるために、外貨の獲得が欠かせません。

筏での観光、じゃばらでの特産品による外貨獲得の手段をもっていますが、同様のことを続けているだけでは衰退を待つのと同じこと。「これまでと同じ日常が続くだろう」という甘い見通しが通用しないことは、新型コロナウイルスが猛威を振るったここ数年で身に染みているはずです。

じゃばらに関しては、新加工場の建設を進めており、これまで外注に頼っていた一部製品の製造の内製化、製造ラインの効率化などを図り、収益の向上を図ります。また、生産者と協力し、村内遊休農地を活用したじゃばらの増産にも取り掛かっています。

観光筏に関しては、収益構造の改善を図るとともに、伝統文化としての後継者の育成や、天候に囚われない筏体験の提供などを検討していきます。

また今後、道路環境の改善が人の流れを大きく変える可能性を常に考慮しなければなりません。紀伊半島を一周する高速道路の完成、村内の主要道路である国道169号奥瀞道路Ⅲ期区間の開通を数年後に控え、総合的な視点での観光事業の再構築を図っていきます。

「村全体まるごとアウトドアパーク」と題し、村内全体で大自然を体感できるアクティビティを充実させるべく検討を始めています。まだまだ構想段階ではありますが、親水エリアの拡大やキャンプ場の整備、新規橋梁を活かしたアクティビティの誘致、道の駅施設のリニューアルなど、新たな北山村をお見せできるよう準備を進めています。

奥瀞道路Ⅲ期区間工事

▲奥瀞道路Ⅲ期区間工事​​​

8 近隣との連携・「ちいさな村g7サミット」

これからの観光振興において、単独の村だけで成功することはあり得ません。近隣地域全体の観光動向を注視し、柔軟に協力していくことで、紀伊半島全体の振興を達成する必要があります。

2019年からは隣接する奈良県上北山村および下北山村の有志が中心となり「北山3村フェスタ」を開催しています。コロナ禍にも負けず、対応した形で3年間続けて開催してくれています。地域の方が、できる形でフェスタに協力し盛り上げ、地域で元気に暮らしていこうという意気込みを感じられる良いイベントです。

また、「筏師の道」というかつて筏を流した筏師たちが帰りに歩いてきた道のウォーキングイベントも徐々に盛り上がりを見せています。広域にわたるため、道の整備などは奈良県十津川村の方との協力が欠かせません。

一方で、村の課題の一つとして挙げられるのが公共交通機関の不足です。JR熊野市駅と村内を往復する1日2便のバスしか交通手段がなく、熊野三山や熊野古道など周囲の観光ルートから断絶している状態です。早急に解決したい課題の1つととらえています。

また、広域での連携は観光にとどまりません。全国の人口が少ない7つの村が集まった「ちいさな村g7サミット」では、北海道から大分県までの村が集結し、切磋琢磨しています。全国的な協議会などとは違った、小規模だからこその付き合いが生まれ、相互に取組を学び、人を育てあう機運が醸成されていると感じます。山梨県丹波山村を中心に、東京でのアンテナショップの出店や多様な業界の方との連携が進んでおり、今後ますますの躍進が期待されます。

北山3村フェスタ

▲北山3村フェスタ​​

大田区も交えたg7+ 1サミット

▲大田区も交えたg7+ 1サミット​

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9 これからの北山村

日本全体で人口減少が進む中、私たちのような最小の自治体が真っ先に前人未踏の時代に突入します。その荒波の時代をいかにして漕ぎ抜くことができるのか。

北山川を下る筏師たちは、見事な連携でその激流を超えていきます。村行政、議会、住民が一体となり、筏師のようなチームワークの下、一致団結して荒波を超えていきたいと思います。