ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 町村の取組 > 青森県佐井村/みんなが“愛と誇り”を実感できるむら ~日本で最も小さくかわいい漁村の挑戦~

青森県佐井村/みんなが“愛と誇り”を実感できるむら ~日本で最も小さくかわいい漁村の挑戦~

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年5月17日

 仏が浦

▲仏が浦


青森県佐井村

3159号(2021年5月17日)佐井村長 樋口 秀視​


1.佐井村の概要

佐井村は、青森県下北半島の西側に位置し、津軽海峡に沿って南北を底辺とする細長い三角形をなし、人口1、900人ほどの小さな村です。地形は、概して峻険で平坦地が少なく、ほとんどが山地となっており、山岳が海岸線まで迫っていて断崖絶壁をなし、こうした地理的環境は、海と山に囲まれた急峻な地勢の中に美しい海岸美を形成し、四季の変化に富んだ自然環境を土台として、心やすらぐ景観を生み出しています。江戸時代は、潮流の好便、地理的位置、河水の利に恵まれていたこともあって、佐井の港は、諸国の廻船を集めて北前船の往来により繁栄し、江戸・上方と蝦夷地を結ぶ海の交易・流通の要所であり、佐井の湊から積み出されたものは、ヒバ材と鮑・昆布・鰯などの海産物で、これらの交易により多くの上方文化が本村にもたらされ今なお伝承されています。また、本村を代表する観光資源に、国指定の名勝及び天然記念物「仏ヶ浦」があり、津軽海峡に沿い、およそ2㎞にわたって天空を突くように広がる奇岩怪石群は、見る人を幻想の世界へといざない、厳しい自然に刻まれた白緑色の凝灰岩は仏の姿にも似ており、思わず手を合わせたくなるような雰囲気を漂わせ、年間十数万人の観光客が訪れます。

福浦の歌舞伎

▲福浦の歌舞伎

 

2.基幹産業が消滅する!?

全国的にも漁業を取り巻く情勢は厳しく、漁業就業者は年々減少を続けており、漁業後継者は喫緊の課題となっています。本村においても例外ではなく、村の基幹産業である漁業従事者の平均年齢も60歳を超え、一部の集落を除いては、後継者がいなく、十数年先の産業としての存続が危惧される状況にありました。また、漁協の組合員の数もピークであった昭和50(1975)年の486人から直近では200人を下回り、それに比例するように水揚げ高も平成4(1992)年の約12億円から5億円前後に半減しています。このような状況が続く中、漁業従事者も漁師は自分の代で終わり、無理に子どもに継がせないという風潮が漂い、負のスパイラルに陥っていました。そもそも漁業は観光と同じように非常に裾野の広い産業であり、他の産業への波及効果や漁業に関わる人の幅などが広く、昔から浜の賑わいは地域経済の活気を図るバロメーターと言われています。そのため、漁業がこの先も村の基幹産業として存続できない可能性があるということは村の死活問題でした。

漁の風景

▲漁の風景

 

漁の風景

​▲漁の風景

 

3.漁業自立振興プロジェクトの推進

平成23(2011)年3月に策定した佐井村第4次長期総合計画に重点戦略プロジェクトがあり、その一つに“漁業による定住社会の復活”を目標として、漁業に関わる人・物・知恵を含めたすべての資源や力を活用するとともに、幅広い連携と協働によって、継続的・安定的な収入を得ることのできる漁業の再構築に取り組むことを目的として設定した「漁業自立振興プロジェクト」を掲げています。その中の一つの施策が「漁師縁組事業」でした。​

 

4.多様な業種との連携

漁業自立振興プロジェクトの推進にあたっては、さまざまな業種との連携を模索し、事業展開を行ってきました。例えば、他産地の鮮魚との差別化を狙い、当時としては、さほど普及していなかった鮮魚の高鮮度処理技法の一つである“活〆神経抜き技法”を導入し、流通面における地理的ハンディを克服し、国内では首都圏や関西圏を中心として、遠くは沖縄、さらには、海外ではグアムまで佐井村産鮮魚の出荷を広げ、佐井村の認知度向上を図ることができました。また、長年の経験により培われた知識や技術に学術的な知見を取り入れながら、これからの地球環境の変化に対応できるノウハウを習得するため、国立大学法人長崎大学水産学部との連携事業、民間資本金1億円を活用した漁業の協業化事業による合同会社3社設立も成果の一つです。そうした取組の中で、あとはいかにして漁業の担い手を確保していくか、その課題をクリアしていく仕組みづくりが必要でした。

神経〆

▲神経〆

 

長崎大学水産学部現地調査

▲長崎大学水産学部現地調査

 

5.漁師縁組事業の誕生

佐井村漁師縁組事業は、前述4.のこうした背景から生まれてきたものです。以前から、後継者がいないと叫ばれ、その後継者とは、地元の人を想定したものでありました。漁業は非常に閉鎖的な産業であり、漁師になるためには漁協の組合員資格を取得する必要があり、当村に限らず、全国的に“よそ者”が組合員資格を取得することに強い抵抗があるように感じられます。なぜなら、自分たちが占用している漁業権という権利を“よそ者”にも与えることで、自分たちの水揚げ、すなわち、所得が減るのではないかという潜在的な意識があるように思われるからです。このようなことから、漁師縁組事業は、地元の後継者のいない漁業者の下へ“養子縁組”のような形で従事者として就労させ、その指導の下にゆくゆくは後継者として跡を継がせるようなイメージで事業の仕組みづくりを行いました。“漁師縁組”というネーミングは、単に“養子縁組”を掛けて名付けたダジャレのようなものです。

 

6.新規就業者の募集

事業の構想を抱き、村の計画として位置付けられたのは、平成24(2012)年3月です。しかし、実際に募集に至ったのは、平成28(2016)年2月であり、約4年間の空白がありましたが、これは、前述した“よそ者”が組合員となることへの地元の漁業者や漁協との協議に要した期間でした。“よそ者”が組合員になることは、決して今の漁業者の所得を脅かすものではないということ、また、従事者が減ることで一人あたりの水揚げ額が増えるのではなく、逆に漁協全体の水揚げ額が減少して漁協経営を圧迫し、結果として組合員の負担が増えるということ、本村の漁業をこの先も村の基幹産業として存続させるためには、その担い手の一部を外部に求めることも選択の一つであるということをデータなどを用いて説明し、最後は漁協における手続きを経て了承されました。こうして、最初の募集がスタートすることとなりました。

募集チラシ

▲募集チラシ

 

7.新規就業者の受入れ

平成28年2月に募集を開始し、翌年3月から今日まで5名の方がこの制度を活用して、本村に移住してきました。5名はすべて県外の方で年齢も10代から40代までさまざまで、現在、このうち、3名が定住しています。今春で就業5年目に入り、昨年1月には自ら漁業権を行使できる組合員の資格を取得し、自立した漁家経営を目指して指導者の下で研修を受けています。

活動の様子

▲活動の様子

 

8.活動内容

漁師縁組事業に採用された新規就業者は制度上、「漁業支援員」と位置付けられ、村が最長5年間生活費の支援を行います。また、それぞれの漁業支援員は、漁業技術指導者として登録し、村内の漁業を営む法人や団体に預けられ、5年間指導を受けながら独立を目指します。この指導者は、前述4.で述べた協業化事業により誕生した合同会社も技術指導者の役割を担っています。

活動内容

▲活動内容

 

活動内容

▲活動内容

 

活動内容

▲活動内容

 

9.これから

新規就業者の採用の過程において、本人の思いと事業が狙いとする所が一致せず、面接で不採用になった方、採用後、リタイアする方など、俗にいうミスマッチが生じたこともありましたが、採用に至った5名のうち3名が今なお、定着に向け、活動を続けていることは、本人の意思や努力、そして、指導者や地域の方のサポートがあったからだと感謝しています。この3名が、村の支援が終わった後も漁業で生計を成すことができる仕組みを、彼らの活動を通じて示すことができれば、地元からも新たな漁業の担い手が生まれるのではないかとの思いを当初から抱いてきました。まだまだ、クリアすべき課題などはありますが、この先も村の基幹産業である漁業が存続し続けることができるような施策を展開していきたいと思います。

10.おわりに

佐井村は、平成28(2016)年10月にNPO法人「日本で最も美しい村」連合に加盟し、地域資源を最大限に活かし、真に自立したオンリーワンのむらづくりを進めています。その中で翌年、多くの住民の方が参加し、自分たちが描く日本で最も美しい村とは何か、どのような村になってほしいかを話し合い、2030年の村の姿を「日本で最も小さくかわいい漁村」とした「日本で最も美しい佐井村づくりビジョン」を掲げ、住民主体による新たなむらづくり活動も展開されています。本州最北の小さな佐井村が“小さくてもキラリと光る村”として輝き続け、これからも自らの可能性を信じ、何事にも果敢に挑戦し続けていきます。

美しい村連合ロゴ

▲美しい村連合ロゴ

 

村全景

▲村全景