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岐阜県関ケ原町/豊かな自然と歴史が調和したまち

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年2月22日

関ケ原合戦決戦地

▲【関ケ原合戦 決戦地】現在、のどかな田園風景が広がるこの地において、慶長5年(1600年)に天下分け目の戦いが繰り広げられました。


岐阜県関ケ原村

3150号(2021年2月22日) 関ケ原町長 西脇 康世​


 

関ケ原町は、岐阜県の西端、滋賀県との県境に位置し、人口6、841人(令和3年1月1日現在)、東西に約8km、南北に約12km、総面積49・28㎢で、北は伊吹山を主峰とする伊吹山地、南は鈴鹿山脈に囲まれ、平野部でも高低差があり、変化に富んだ地形が特徴となっています。町域の8割近くが山林で占められ、このうち北部及び南部山地を中心に揖斐関ケ原養老国定公園に指定されるなど、良好な自然環境を形成しています。昔は、この山々に挟まれた険路を通らなければ東西の行き来ができない交通の要衝でした。交通網としては、国道21号線や国道365号線に加え、名神高速道路関ヶ原インターチェンジなどがあり、交通至便な道路網が形成されています。更には、JR東海道本線の関ヶ原駅から、岐阜・名古屋方面や京都・大阪方面までの良好な鉄道環境も整っています。

関ケ原町の魅力として、伊吹山がもたらす豊かな自然に加え、かつて中山道・北国街道・伊勢街道の3つの街道が出会う東西の結節点であり、戦国の世から泰平の世へと移行する舞台となった関ケ原古戦場をはじめ、壬申の乱、不破関跡、中山道宿場町(関ケ原宿、今須宿)、東洋一の規模を誇った旧陸軍の火薬庫跡があります。更に、壬申の乱後には古代三関の1つである「不破関」が設けられたことから、この関所から東を関東、西を関西と呼ぶようになったと言われており、東西が混合する食文化や風習など数多くの観光資源があります。​

関ケ原古戦場を活かしたまちづくりへの転機

本町は戦国の世から泰平の世へと移行する契機となった「関ケ原の戦い」の地として、高い知名度を誇ります。住民の誇りや観光価値を生み出すような関ケ原古戦場の保存と整備を望む声は従前より高いものがありましたが、あるのは史跡指定地9カ所計約26 haの広大な「古戦場」であり、建造物のような目に見える史跡はわずかしかないために観光地化は遅れていました。

こうした中、平成19年に「関ケ原古戦場保存活用のための基本構想」を、平成21年にはそれに基づく保存管理計画を策定しました。これらには、関ケ原古戦場が「地域活性化の重要資源」として定住人口と交流人口の拡大という役割を担うこと、そして、未来へその歴史的意義を継承していくという役割を担うことを重要な柱としています。

これらの基本構想と計画を踏まえ、関ケ原のブランド力を活かした地域活性化と歴史資産の継承に向けた第一歩として、平成26年度に岐阜県と共同で、学識経験者や歴史ファンなどの多彩な顔ぶれからなる懇談会を開催し、関ケ原古戦場の整備と活用の指針となる「関ケ原古戦場グランドデザイン」を策定しました。これを契機として今日まで、岐阜県と協働してハード・ソフトの両面からさまざまな古戦場観光の受入体制と環境の整備や誘客イベントを行っています。​

本町の観光事業の「強み」と「弱み」を知る

本町の「強み」は、主要な史跡等がJR関ヶ原駅近郊に位置し、歩いて訪れることが可能であること。また、名神高速関ヶ原インターを利用すれば東海関西圏からは日帰り観光が可能であることです。そのため関ケ原古戦場への観光客の方は、東海地方のみならず関東、関西方面からも多く来ていただいています。特に戦国の大河ドラマの放映や映画「関ケ原」が公開されたとき、更には戦国武将が主役となるゲームが人気になったときなどは例年に増して多くの観光客の方にお越しいただきました。また「歴女」と呼ばれる歴史に非常に関心が高い女性が関ケ原に訪れていただいているという現状もありました。

また、本町の周辺地域(愛知県や滋賀県など)と併せて戦国武将ゆかりの地を巡る方も多く、戦国時代を題材とした周遊観光の中核的観光拠点の役割を担える可能性もあります。

逆に本町の「弱み」を来訪者アンケート等で分析したところ、関ケ原を訪れる方の大半が他県や他の観光施設等のついでに日帰り(立ち寄り)旅行で来訪されており、「本町での滞在時間がかなり短く、宿泊や食事・お土産品購入などの分野が弱いこと」「関ケ原合戦のブランド力が活かされていないこと」「一般的な観光客が楽しめる設備や工夫に欠けること」「史跡の歴史的価値が十分に保存・活用されていないこと」など、多くのご意見をいただき、改めて古戦場観光によるまちづくりへのハードルの高さを感じるとともに、皆様からの期待の大きさに心を動かされました。

古戦場観光の新たな環境整備とさまざまな広域での取組をはじめる

本町の古戦場観光の強みと弱みを追求していく中で多くの方から具体的なご提案もいただきました。それらを参考にしつつ平成27年度からは関ケ原古戦場グランドデザインに基づき、岐阜県と関ケ原町と協働して、多岐にわたる古戦場観光事業への取組が加速していきました。その一例として、東西両軍で15万の兵が戦ったと言われている関ケ原の戦いの規模の大きさやその後の経過を鑑み、同規模であるアメリカの南北戦争最大の激戦地であるゲティスバーグとナポレオン戦争の主戦場となったベルギー王国ワーテルロー古戦場に呼びかけて、「世界三大古戦場」として古戦場サミットを本町で開催しました。その縁で、アメリカ合衆国ペンシルバニア州ゲティスバーグ区と姉妹都市協定を、同国立軍事公園とは姉妹古戦場協定を締結し、翌年にはベルギー王国のワーテルロー古戦場と姉妹古戦場協定を結ぶことができました。

協定式

▲ベルギー王国ワーテルロー古戦場との協定式

 

また、気軽に古戦場巡りの拠点としてご利用いただける施設を整備するために、平成27年度には、古戦場観光の情報発信拠点としてJR関ヶ原駅前に「関ケ原駅前観光交流館(愛称:いざ!関ケ原)」を開設し、全国から来訪される方に対し、関ケ原の魅力や情報の発信、観光案内を行っています。

館内にはおみやげショップを設け、町内各地に点在する史跡巡りで活躍するレンタサイクルを設けています。この運営は観光協会が行っていますが、関ケ原古戦場を訪れる方に向けて、本町の地理案内は「関ケ原街角案内ボランティア」の皆さんが行っています。

お土産屋の店内

▲関ケ原駅前観光交流館おみやげショップ

 

更に詳しく関ケ原合戦の名所・古跡についての案内が欲しい方に対しては、「せきがはら史跡ガイド」の皆さんが安心して古戦場巡りを楽しんでいただける体制づくりに努めています。

こうした活動は地域住民のボランティア意識によって支えられており、年々、ボランティア活動に参加する方が増えてきています。特に、シルバー世代の方の活躍で交流の場が広がっており、「オール関ケ原でおもてなし」の気運が高まっているように感じています。

ほかにもおみやげショップには現在、850種類のアイテムが並び、関ケ原合戦に参戦した武将のグッズや家紋の焼き印が押されたお菓子や飲料だけでなく、関ケ原合戦に関連した書籍や模造刀など、幅広い品揃えでお客様をお迎えしています。そうした商品ラインナップに加え、東西文化の接点である関ケ原を象徴する商品として、鰹出汁と昆布出汁の「味の東西対決」を楽しむことができる「どん兵衛カップうどん東西味比べセット」などがあり、ご家族やご友人へのおみやげとしてご好評をいただいています。

コインロッカー

▲武将の推定兵力により大きさがランク付けされた人気のコインロッカー

どん兵衛カップ

▲東西の味の対決が楽しめる「日清どん兵衛カップうどん東西味比べセット」

 

また、古戦場観光の課題だった老朽化して不揃いだった案内看板等は、関ケ原古戦場に訪れる方や海外からのインバウンド観光で来訪される方に、気軽に史跡巡りを楽しんでいただけるよう、英語併記での史跡地への誘導サイン(128基)、広域案内のサイン(2基)や史跡地の解説サイン(32基)、眺望ポイントのサイン(3基)をリニューアルしています。併せて町内の史跡地周辺の電柱広告には「このまち まるごと 古戦場」のキャッチフレーズのほか、合戦に参戦した武将のエピソードや豆知識、歴史クイズなどが掲出されており、史跡巡りの道中も楽しんでいただけるように取り組んでいます。

更に、各史跡地の整備も順次進めており、徳川家康最後陣跡、決戦地、石田三成陣跡、大谷吉継の墓、開戦地、東首塚などの樹木伐採や園路整備、手すりの設置、平成30年度には、屋外公衆トイレ(4カ所)の洋式化も行い、来訪される方々を迎え入れる体制を着々と整えてきました。

史跡サイン

▲整備された史跡サイン

 

史跡地の整備を進めると同時に、歴史ファン以外の方も気軽に楽しめる施設を望む声が高く、また、歴史教育や研究が目的で来訪される方や社会見学や地域学習などで古戦場を訪れる子どもたちが気軽に利用できる施設として、「岐阜関ケ原古戦場記念館」が昨年10月にオープンしました。砦をイメージした建物は関ケ原古戦場観光の拠点として岐阜県が建設し、本町のシンボル的な建物になりました。記念館の館長には戦国時代史が専門で、関ケ原合戦に精通されている静岡大学名誉教授の小和田哲男先生が就任され、アンバサダーとして俳優の竹下景子さんが就任されるなど歴史ファンには待望の施設となっています。

岐阜関ケ原古戦場記念館

▲岐阜関ケ原古戦場記念館

 

少し施設紹介になりますが、ガラス張りのエントランスから入ると、1階は「関ケ原の戦いを体験」と題し、巨大な床面グラウンドビジョンでは日本中を巻き込んだ関ケ原合戦の行方について放映し、シアターでは縦4・5m、横13mの大型楕円形スクリーンで風や振動、光と音の演出により、関ケ原合戦を臨場感たっぷりに再現しています。興奮冷めやらぬままに2階へと上がると、展示室には1階での体験をより深く理解できるような甲冑や武具のほか、多くの歴史資料が展示されています。また、戦国体験コーナーがあり、本物そっくりの武器に触れたり、兜をかぶっての写真撮影などができます。3階に上がると、セミナールームがあり、各種講演などの場としても対応しています。そして最上階の5階に上がると、360度全面ガラス張りの展望室が現れます。こちらでは、関ケ原古戦場が一望でき、合戦当時の武将が見たであろう景色を思い浮かべることができます。

ガラス張りの展望室

▲岐阜関ケ原古戦場記念館5階の展望室

 

岐阜関ケ原古戦場記念館のオープンにより、それまで主体となっていた町の歴史民俗資料館は、記念館の補完施設として活用することになり、改装して歴史民俗学習館としました。この学習館は郷土の歴史を大切にし、教育的視点と体験的要素を重視した施設として、全国の歴史ファンや小中学生が集い、学び、語ることができる施設となっています。1階には教育旅行におけるガイダンス等が行える多目的室を備えており、古戦場を散策される方の拠点となっています。特に、多目的室の壁面には関ケ原の戦いに関する書籍を配架しており、古戦場巡りで疲れた体を休めながら歴史を堪能できるようになっています。

なお、関ケ原の戦い関連の書籍は今後も増やしていく予定でいます。

また、2階の体験展示室には関ケ原の明治時代以降の生活に焦点を当て、当時のくらしを支える道具や生活で使われた民具が展示してあり、当時の生活を体験することができます。同じく2階の地域展示室では「東西の交差点 関ケ原」と題し、縄文~戦後に至るまでを6つの時代に分けてそれぞれの時代の関ケ原の様子や所蔵品などを展示しています。最近では社会見学や地域学習活動の拠点として多くの学校や子どもたちに利用されています。

学習館多目的室

▲関ケ原歴史民俗学習館 多目的室

古戦場観光がもたらす好循環の波及効果

6年にわたる各種観光事業を推し進めたことで、関ケ原古戦場が地域活性化の重要な要素として輝きを増し、近年においては他の施策に好循環な効果が現れています。

例えば、本町でも力を入れている移住・定住施策や空き家バンク事業において、観光事業で培った交流人口の拡大により、本町へ関心をもっていただき、お問い合わせも増え、空き家を活用して移住をする方が僅かずつではありますが年々増えてきています。また、ふるさと納税事業においては、以前に本町へ観光でお立ち寄りいただいた方々からも、納税とともに「関ケ原の観光振興に役立てて欲しい」といった声をたくさんお寄せいただいており、関ケ原古戦場の知名度を活かした魅力的な返礼品を取りそろえることで、多くの方々からのご寄附につなげていきたいと考えています。

こうした好循環の波及効果は、町が実施する施策のみならず、新たな視点から、自らが地域を盛り上げていこうとする団体が結成されるなど、地域住民の皆さんの郷土愛や「観光推進の気運が高まっている時期に一緒に盛り上げていきたい」という気持ちが行動に現れてきています。本町では平成30年にボランティア団体や商工・観光団体などから構成される「関ケ原古戦場おもてなし連合」が結成され、町内イベントに参画するなど、おもてなしの心が現れてきています。

イベント参画以外の活動としては、古戦場内にある田畑にコスモスを咲かせることで、絶好の写真スポットとして、多くの方を魅了すべく「何もない古戦場の風景でも、おもてなしをする」気持ちを込めた景観づくりにも取り組んでいただいています。

コスモス畑

▲古戦場内に咲き誇るコスモス畑

 

観光地には土産物店があり食事の場があり楽しんでいただく施設が多少なりともあるのが当たり前と思いますが、本町ではまだまだ不足していると思っています。また最近は「玉城」という陣城の遺構が新たにテレビで取り上げられたこともあり、古戦場の史跡等についても整備を継続していく必要があります。

文化財としての価値が高い史跡の保存整備と古戦場を観光地と位置づけての開発整備は、両立が難しい問題がありますが、多くの歴史ファンに楽しんでいただける古戦場になるようこれからも取組を進めていきたいと考えています。

最後になりましたが、近年は未曾有の災害や新型コロナウイルス感染症の拡大が続くことに加え、少子高齢化・人口減少などの課題が山積し、地域活力の減少が進んでいます。本町においても「まちづくりは人づくり」を基本に、そこに住む人たちが絆を大切に、助け合いのまちづくりを進め、これからも先人から受け継いだ文化や歴史を大切にして、いつまでも輝き続けられるようなまちづくりに邁進してまいりたいと考えています。​