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宮城県南三陸町/いのちめぐるまち 南三陸

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年6月24日

リアス式海岸を一望できる田束山

リアス式海岸を一望できる田束山


宮城県南三陸町

3084号(2019年6月24日) 南三陸町長 佐藤 仁


南三陸町の概要

南三陸町は、宮城県北東部に位置し、馬蹄形の形はリアス式海岸特有の猛々しい風光を有する三陸復興国立公園の一角を形成しています。

面積は163.4㎢。東西、南北とも約18kmで、西・北・南西は北上山地の支脈の南東にあり、東は海に向かって開け、西の田束山嶺から海に向かっては、北上山地の山麓部、開析された海岸段丘を経て海岸部に至っています。海岸部は、日本有数の養殖漁場になっています。

気候は、太平洋岸に位置するため、海流の影響により夏は涼しく、冬は雪が少なく、比較的温暖な地です。

町を襲った最大の津波


明治以降120年余りの間に南三陸町では、4度の津波被害を受けました。明治三陸大津波(明治29年)、昭和三陸大津波(昭和8年)、チリ地震津波(昭和35年)、そして平成23年3月11日の東日本大震災です。午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震は、本町で震度6弱を観測し、最大20mを超える津波が町を襲いました。死者620人、行方不明者211人。建物(住家)の半壊以上は3,321戸(※61.94%)。一瞬にして古里を飲み込んだ津波は、私たちのかけがえのない家族や友人、そして思い出までも奪い去りました。

※平成23年2月末日時点の住民基本台帳世帯数に対する割合

震災からの復興状況

新しいまちづくりには住民の意向が大切と考え、全世帯を対象に「復興まちづくりに関する意向調査」を実施しました。この結果に基づき「教育・医療・利便性」を重視し、今日まで復旧・復興事業を進めてきました。

町内には8校の小中学校がありましたが、そのうち6校が被災。特に海岸付近にあった戸倉小学校は、3階建ての校舎屋上を越える津波で全壊しました。震災後は、隣市の学校を間借りし、その後は町内の小学校に併設して教育活動を行っていましたが、平成27年8月に校舎が完成し、町内すべての学校が復旧しました。

戸倉小学校

戸倉小学校

町内唯一の病院であった公立志津川病院は、震災によって被災しました。震災後は、イスラエル医療支援チームが医療活動を行い、活動終了後は、同チームが使用していた医療機器等が寄贈され、それをもとに診察等を行ってきました。その後は、町内に設置した公立南三陸診療所と隣市に開設した公立志津川病院で診察を行ってきましたが、平成27年12月に医療・保健・福祉が連携した南三陸病院・総合ケアセンター南三陸が開院しました。

国内外からの多くの支援で開院した南三陸病院・総合ケアセンター南三陸

国内外からの多くの支援で開院した南三陸病院・総合ケアセンター南三陸

また、交通インフラについても震災の津波によって流出したJR気仙沼線の一部区間がBRT(バス高速輸送システム)で運行を開始したほか、国道や復興道路として位置づけられた三陸沿岸道路も南三陸町内で開通しました。震災で被災した市街地は、約10mのかさあげ工事を行い、商店街の再建やスーパーがオープンするなど、住民の利便性は確保されつつあります。
 

さんさん商店街

さんさん商店街

森の取組

南三陸町は町境が分水嶺と重なっています。そのため、町に降った雨は町内の森、里を伝い海に注ぎ込むという独特の地形を持っています。森、里、海、そして人の関係性が近く、平成23年12月に策定した南三陸町震災復興計画では、町民が自然と共生をしながら安心して暮らせるまちづくりを進めるとともに、農林水産業を含む産業の再生・発展を目指すことを盛り込みました。また、同計画の基本理念を踏まえ、南三陸町バイオマス産業都市構想も策定しました。そして、これらの計画によって生まれたのが適正な森林管理を認証する国際的な機関、FSC(Forest Stewardship Council:森林管理協議会)の認証取得です。

本町の主要産業は第1次産業です。この産業の豊かさの源泉は、町の約8割を占める山林からもたらされます。森が育むミネラルや栄養分をたっぷりと含んだ水は、川や水田を通って海へと注ぎ、カキやホタテ、ワカメなどの貴重な栄養分となります。森林資源の適切な管理と利用は、里や海の豊かな恵みにつながることから、町を含む協議会では、平成27年10月にFSCの認証を取得しました。認証取得は、ゴールではなくスタートです。認証材を活用しなければ効果もありません。その活用の一つとして、役場庁舎へ認証材を使用しました。

本町の役場庁舎(本庁舎と支所)は、震災で全壊しました。新庁舎の建設にあたっては、主要な建材に南三陸町産材のFSC認証材を100%使用しました。その結果、公共施設では日本で初めてとなるFSCプロジェクトの全体認証を取得しました。今後、本町の認証材は、新国立競技場のなかでも使用される予定です。FSC認証を通じて、林業の活性化を図るとともに、被災地の復興を世界へと発信していきます。

日本初の公共施設におけるFSC全体プロジェクト認証 南三陸町役場

日本初の公共施設におけるFSC全体プロジェクト認証 南三陸町役場

里の取組

前述のとおり、本町ではバイオマス産業都市構想を策定しています。この構想の中心事業として掲げているのが、バイオガス事業です。

町内の生ごみやし尿・合併浄化槽汚泥(余剰汚泥)は、バイオガス施設に収集しています。施設では、メタン菌の働きによってバイオガスと液体肥料(液肥)に生成され、生成された液肥は、町内の農家や家庭菜園等で活用されることで環境保全型農業に寄与しています。これにより隣市で焼却処理していた生ごみの資源化と地域内循環が可能となりました。町内にはごみ焼却施設がなく、隣市にごみの焼却を委託している状況です。また、震災で公共下水処理施設が停止となったなか、ごみの減量・リサイクルの促進、し尿・合併浄化槽汚泥などの町内処理システムの構築が重要な課題となっていたのです。

バイオガス施設を稼働させていくには、住民の生ごみ分別が不可欠です。そのために地元有志の方々がキャラクターや紙芝居、新聞などを作成し、普及啓発に協力いただいたこともあり、分別した生ごみの量の増加や異物混入率の減少となり、バイオガス施設の安定操業へとつながっています。

分別生ごみ量の増加もあり、副産物である液肥も増加しました。液肥の利用については、肥料登録を行い、町・農協・バイオガス事業者と連携しながら農家に普及してきました。農家にとって化学肥料の代替えとして液肥を使うことは、コスト面の削減だけではなく、労力の軽減(バイオガス事業者が液肥散布を実施)にもつながっています。また、液肥の利用によって化学肥料の使用量を削減することになるので、環境保全型農業の振興に役立つほか、これによって栽培された農産物は、循環型・環境保全型農産物としてブランド化されるなど、メリットが生まれています。

海の取組

平成28年3月、宮城県漁業協同組合志津川支所戸倉出張所が管轄するカキ養殖が国内初のASC認証を取得しました。ASCとは、水産養殖管理協議会(Aquaculture Stewardship Council)のことで、環境に負荷をかけず地域社会に配慮して操業している養殖業に対する国際的な認証制度です。

震災前の戸倉地区では、養殖施設が密殖状態であったため、カキの身入りが悪く出荷までに3年を要していました。しかし、震災後の再出発に際し養殖施設台数を3分の1に減らすことを決断。漁業者にとっては、これまでの実績やプライドを捨て、そして収入もやってみなければ分からないという不安のなか、良いカキを作りたい一心でスタートしました。結果、密殖を避けたことで海の環境がよくなり、カキの身入りが向上。出荷するまでに3年かかっていたのが、1年で出荷できるようになりました。このことにより、漁業者の所得向上や労働時間の短縮、後継者の増加へもつながっています。

私たちにとって、海はかけがえのないものです。海は私たちに多くの恩恵を与えてくれます。私たちはこの大切な海を守り、活用し、学習や交流をしていくため、ラムサール条約への登録に平成22年から動き出しました。しかし、震災で町が被災したことから、登録活動は中断を余儀なくされました。震災から5年後の平成28年から本格的な活動を再開し、住民説明会やシンポジウムを開催してきました。寒流と暖流が混ざり合う独特の海洋環境にある志津川湾では、動物553種、海藻・海草類208種が確認されるなど、豊かな生態系が形成されています。また、世界に8千羽ほどしか生息していない国の天然記念物で絶滅危惧種に指定されているコクガン、100羽から200羽が、餌となる藻場(海藻・海草)を求めて冬の志津川湾にやってきています。これらの貴重さが認められ、平成30年10月に志津川湾はラムサール条約湿地に登録されました。日本国内では52番目、海藻藻場としては国内初登録です。

FSC・ASCダブル認証取得

FSC・ASCダブル認証取得

南三陸町の海「志津川湾」

南三陸町の海「志津川湾」

神様が割って作ったと言われる神割崎

神様が割って作ったと言われる神割崎

終わりに

震災前、海沿いを中心に家々が並び集落を形成していた南三陸町。震災後は、二度と津波で尊い命を失わないため、職住分離の道を選択し、高台に災害公営住宅等を建設しました。一方、低地部は高台造成で出た土を利用し、約10mのかさ上げを行い、交流施設や商業施設などを配置してきました。

本町は、過去に経験したことがない職住分離というまちづくりのなかで高台と低地部の賑わいの創出や人口流出問題に直面しています。しかし、私たちは今日まで「震災前より良いまちにしよう!」を合言葉に、官民一体となって復旧・復興、そしてまちづくりを進めてきました。課題のハードルは高いですが、クリアできないことはありません。これまで以上に官民がスクラムを組み、さまざまな問題を解決していきたいと思います。

最後になりますが、東日本大震災では、全国、全世界から温かいご支援をいただきました。皆様のお陰で南三陸町は着実に復興への道を歩んでいます。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。