柚子の収穫風景
高知県馬路村
3080号(2019年5月20日) 馬路村長 山﨑 出
馬路村は、高知県の東部、徳島との県境に接し、周囲を標高1,000m級の山で隔たれた村です。市街地から離れた典型的な中山間地域であり、村内に、国道、鉄道、信号、高校、コンビニ、スーパーはなく、高知市まで車で2時間弱の位置にあります。
人口は約900人、高知県で2番目に人口の少ない市町村です。数少ない平坦な地域が宅地として利用されているため、公共施設や住宅がまとまって所在しており、総面積・人口からするとコンパクトな村となっています。
村の総面積は166㎢ですが、97%を森林が占めています。特に、森林の75%が国有林であり、県木にも指定されている「魚梁瀬杉」の産地として知られています。かつては、銘木「魚梁瀬杉」を産出する国有林野事業の拠点として栄えてきた歴史があり、平成29年には、林業から柚子産業への変遷の歴史が「森林鉄道から日本一のゆずロードへ︱ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化︱」として、日本遺産に認定されるなど、産業と歴史・文化が密接に関連する地域でもあります。
そして、馬路村といえば、柚子をはじめとする地域資源を活用した村おこしで知られる自治体です。今回は、柚子を活かした馬路村の産業振興・村おこしを中心に説明させていただきます。
馬路村中心部
昭和中期までの本村は、「魚梁瀬杉」の生産を中心として、森林資源に恵まれ、国有林野事業が盛んな地域でした。馬路村、特に魚梁瀬地区では、雨量が多く、年間降水量は4,000mmを上回ります。豊富な雨量と温暖な気候が杉の生育に適しており、昔から杉の産地として知られていました。古くは弘法大師(空海)の時代から伐り出され、豊臣秀吉は洛陽東山佛光寺の大仏殿の建材に用いたと言われています。近代においても、国の管理の下、国有林野事業が盛んに行われました。
その後木材の価格低迷や国有林野事業の経営合理化に伴い、村の林業が行き詰まりを見せ始める中で、馬路村農業協同組合を中心として、昭和30年代に柚子の栽培を始めました。栽培当初は、生食用や果汁の出荷を目指していましたが、肥培管理の難しさや売上げの伸び悩み等から、馬路村農協が加工事業に乗り出しました。加工品第1号の佃煮にはじまり、昭和61年にぽん酢しょうゆ「ゆずの村」を発売し、昭和63年に西武百貨店の「日本の101村展」で最優秀賞を受賞したことによって、馬路村農協の商品が世間に認知されていきました。さらに、昭和63年に発売された、はちみつ入りゆず飲料「ごっくん馬路村」も平成2年に「日本の101村展」で農林部門賞を受賞し、馬路村農協は売上げを大きく伸ばしていきました。「ゆずの村」と「ごっくん馬路村」は、現在も馬路村農協を代表する商品となっています。
馬路村の柚子製品
本村の柚子商品の取組には、様々な特徴があります。まず、流通を介して市場に出すのではなく、直接一般消費者に販売する手法に力を入れました。百貨店の催事に出展し、馬路村で暮らす職員が、柚子の食文化と馬路村の商品を消費者に届けることにこだわり続け、ファンを増やしてきました。また、通信販売(直販)をベースにし、電話・ダイレクトメールを活用した、顔の見える関係の構築に力を入れるとともに、顧客情報をしっかりと管理し、販売戦略を構築していきました。
また、単に「柚子商品」を売るのではなく、馬路村の田舎のイメージを前面に押し出し、村とセットにした広報戦略をとっています。例えば、「ごっくん馬路村」は、「馬路村公認飲料」と銘打っています。この考え方は、商品パッケージだけでなく、CM・チラシ・梱包にいたるまで徹底しており、どれも一目見て「馬路村」とわかるようなものになっています。結果として、柚子商品の売上げだけでなく、村に愛着を持つ馬路村ファンの増加、「一度馬路村に行ってみたい」という観光客の誘致につながっています。
さらに、原料の質にもこだわっており、馬路村農協に出荷する全ての柚子農家は、化学肥料や農薬を用いず、有機栽培に相当する栽培方法を採用しています。
今でこそ、農産物の生産だけでなく、加工・販売によって付加価値を生み出す「6次産業化」が一般的な概念となっており、全国で取り組まれていますが、馬路村のように30年以上前から本格的な6次産業化を行っていた地域というのは、全国的にも例がないものと思います。これらの先進的な取組によって、柚子が生活の中心となり、柚子生産が住民の生きがいとなり、柚子商品が住民の誇りとなり、今では馬路村は「柚子の村」と呼ばれるまでになりました。
馬路村農協ポスター
一方で、6次産業化の普及により、柚子をはじめとする柑橘類の産地で様々な商品が開発されており、また、本村の主力商品であるぽん酢しょうゆ等については、大手メーカーの商品も発売されるなど、競合する商品が増えてきています。また、本村の柚子商品は、お中元・お歳暮等の贈答用として購入されていましたが、こういった文化も少なくなりつつあり、需要が減少しています。一度成功したからといって、それを続ければ上手くいくというものではなく、厳しい環境の変化を感じています。
このため、本村では、柚子果汁を原料とする多様な飲食料品を開発するとともに、その残さの活用、とりわけ、種子を原料とする製品の開発に取り組んでいます。柚子は非常に種子の多い柑橘であり、これを活用することができれば、柚子産業の新しい世界が切り拓けると考えたのです。
馬路村農協では、村の女性たちが柚子の種子を焼酎に漬けて肌に塗っているという話をヒントに、柚子種子エキスの化粧品の開発に取り組み、平成23年に独自の化粧品ブランド「umaji」の販売を開始しました。これと並行して、平成21年には高知大学医学部と共同研究契約を締結し、共同研究を行いました。共同研究の成果の1つとしては、平成30年に青玉柚子の種子エキスにシワを目立たなくする効果があることを確認し、青玉柚子を原料とする美容液が開発されています。また、現在、柚子種子エキスの機能性に着目しており、抗酸化作用や体重増加抑制効果の実証を行い、柚子を原料とした健康機能食品の開発を目指しています。
これらの取組を通じて、平成30年度からは、高知大学に馬路村農協との共同研究講座「高知馬路村ゆず健康講座」が設置されました。共同研究講座は、大学の研究者と民間企業等(馬路村農協)の研究者が、対等な立場で柚子の機能性について共同研究を行うもので、高知大学では初めて設置されたものです。
化粧品「umaji」シリーズ
共同研究講座の協定締結式
柚子という地域資源を活かして取組を進めてきた馬路村ですが、他の中山間地域と同様に多くの課題を抱えており、中でも、人口減少は深刻な問題となっています。柚子産業があるのに人口が減るのかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、平成27年の国勢調査では、前回調査に比べて人口が18.8%減少(1,013人→823人)しており、四国一の減少率となっています。また、馬路村は夜間人口より昼間人口が多く、昼間人口比率は104・7%で高知県の市町村の中で最も高い数値です。
一般的に、「地方で人口を維持するためには働く場をつくることが必要」と言われていますが、馬路村の場合、「働く場があっても定住につながっていない」という状況になっています。このため、村では、平成27年度に策定した「馬路村まち・ひと・しごと創生総合戦略」に基づき、「馬路村に住んでみたい、帰りたい、住み続けたい」と思ってもらえる魅力ある村づくりに取り組んでいます。
①若者の活動支援
馬路村では、平成28年に若年層(20~30代)の有志が「馬路村若者座談会」を立ち上げ、職場や出身の垣根を越えた議論を開始しました。村としては、若者が活発に議論・活動することが村の魅力づくりにつながると考え、平成29年度には、「若者が、住みたい村を自ら創る」ため、村が材料(空き家)、資金(補助金)等を提供し、「若者が集える場所(サードプレイス)づくり」を支援する事業を実施しました。
若者の活動拠点となる空き家の改修を、全面的に若者座談会に任せるという、村としても挑戦的な取組でしたが、後述するふるさとワーキングホリデーに参加した関東圏の建築系の大学院生と連携するなど、工夫しながら改修を行いました。単に村内の若者のつながりだけでなく、村外とのつながりを構築できたことは予想外の展開でした。
若者座談会の様子
②ふるさとワーキングホリデー事業
馬路村としては、人口減少が進む中で、村外の方との連携が不可欠になっています。特に、柚子農家の高齢化が進む中で、いずれ柚子収穫期の労働力が不足することが見込まれます。
このため、本村では、平成29年度から「馬路村ふるさとワーキングホリデー事業」を実施し、県外の方に村に2週間程度滞在していただき、柚子収穫に従事しながら、馬路村の暮らしを体験していただく仕組みを構築しています。毎年10名以上の参加者を受け入れ、柚子収穫期の労働力確保策として機能するほか、昨年度は上述の関東圏の大学院生と村内若者の連携につながり、今年度はワーキングホリデー期間後も馬路村に滞在し、村内事業体の繁忙期に手伝いに入るなど、本村の「柚子」が媒体となって様々な展開を見せています。
ワーキングホリデー参加者と村内若者との交流会
本村は、柚子の6次産業化に先駆的に取り組み、様々な商品・手法を開発してきました。柚子産業が村の主要産業として成長できたのは、単なる農業・農協の取組ではなく、村全体の取組として、馬路村農協、村役場、そして住民が連携し、それぞれが意欲的に取り組んできたからだと思っています。
現在、柚子産業を取り巻く環境も変わりつつあり、更なる挑戦の時期を迎えています。また、村の人口減少に伴う課題も顕在化してきました。こういった新たな局面においても、初心を忘れずに、村が一丸となって取り組んでいくことが重要です。
小さいながらも、柚子をはじめとする取組で頑張ってきた本村ですが、人口減少社会の中で、これまで育ってきた産業のさらなる発展と、新しい視点での村づくりで、「小さい村でもここまでできるんだ」ということを示していきたいと考えています。