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鹿児島県伊仙町/合計特殊出生率全国№1の町として~伊仙町版子育て支援~

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年3月28日
子どもたちの集合写真

サッカーボールで夢はJリーガー


鹿児島県伊仙町

2954号(2016年3月28日)  伊仙町長 大久保 明


伊仙町の概要

伊仙町は、本土から南へおよそ460㎞離れた徳之島の南部に位置し、人口6,958人、世帯数3,548戸(平成28年1月31日現在)、四季を通じて温暖な亜熱帯海洋性気候に恵まれた風土の下、基幹作物のサトウキビをはじめ、赤土バレイショ(ブランド名:春一番)や畜産・果樹等の農業が盛んに営まれている町です。

徳之島の大きさは、南北約26㎞、東西約15㎞、周囲84.1㎞、面積は248.11k㎡で、日本の島嶼中9番目に大きく、3町(徳之島町、天城町、伊仙町)からなり、東側は太平洋、西側は東シナ海に面し、北に大島本島、南に沖永良部島の島影を望み、山丘として、伊仙町には犬田布岳(417.4m)がそびえ、徳之島全体においては井之川岳(664.8m)を主峰とする山脈が中央を南北に走り島を両断しています。

また、南東部はなだらかな地形、南西部は鋭く切り立った断崖があります。この南西部には観光公園犬田布岬があり、その景観は「奄美十景」の一つに数えられ、自生する高麗芝のスロープが広がっています。昭和20年4月に、沖縄戦に向けて南下の途中撃沈された有名な戦艦大和を旗艦とする特攻艦隊戦士の慰霊碑(3,721柱)もそびえ立っています。

健康・長寿と子宝の町、伊仙町には、現在数多くの文化財(遺跡、史跡、有形・無形民俗、彫刻、植物)が点在しています。また、美人・羽衣伝説や民話・伝統芸能も集落に数多く残っており、埋蔵文化財では、約2万4千年前のAT火山灰層の下層から石器(スリ石2点)が出土しました。

艦隊戦士慰霊塔の写真

犬田布岬に立つ戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士慰霊塔
(昭和43年 中村晋也作)

伊仙町の歴史

太古からの永い歴史の中、様々な文化に育まれ成長してきた伊仙町は約“2万4千年前の旧石器時代の石器が出土した”シマですが、その過程は決して坦々としたものではありませんでした。

徳之島はその昔、日本本土と琉球(沖縄県)を結ぶ「道の島」と呼ばれ、東アジア史上の海上交通において重要な地位を占めていました。1609年(慶長14年)以前は琉球北山王の統治下にあり、以後1871年(明治4年の廃藩置県)まで約260年の間、鹿児島藩(薩摩藩は通称)の統治下にありました。

その後、1908年(明治41年)に島尻村、1921年(大正10年)に、伊仙村に名称を変更しました。1946年(昭和21年)には大東亜戦争敗戦により、アメリカ合衆国軍政府統治下におかれましたが、1953年(昭和28年)12月25日に奄美群島民の大悲願である祖国日本復帰(泉 芳朗奄美大島日本復帰協議会議長が8月1日~5日まで120時間の断食祈願を決行)を果たし、苦節8年の夢が実現し、全郡民が歓喜に沸き返りました。

泉 芳朗の銅像の写真

泉 芳朗(奄美群島日本復帰の父)

歴史年表を紐解いてみますと、大昔はアマンユ(奄美世)と呼ばれ、その後、アジユ(按司世)、ナハユ(那覇世)に移り、サツマユ(薩摩世)を経て、ヤマトユ(大和世)とアメリカユ(アメリカ世)と変遷し現在に至っています。1962年(昭和37年)には町制を施行し「伊仙町」としてスタートしました(町花はハイビスカス、 町木はガジュマル)。

1912年(明治45年)の徳之島の総人口は53,171人でした(徳之島事情)。1960年(昭和35年)の伊仙町の総人口は16,234人に達していました(国勢調査)。昭和40年前半までは15,000人前後で推移し、昭和43年頃から徐々に減りはじめ、第2次ベビーブームを境に、平成時代に入ってから増加が見られず右肩下がりの減少に転じています。

伊仙町の人口推移のグラフ画像

伊仙町の人口推移

伊仙町の学校教育

教育に関しての始まりは、1872年(明治5年)に国民教育の重要性を強調し「邑(むら)二不学ノ戸ナク家二不学ノ人ナキヲ期ス」と宣せられた時から始まります。その際、教校(面縄・伊仙・犬田布)が設立され、教師には読み書きの出来る地元出身の人々があたり、個人的教授に終始し、教科目も書・習字・作文・算術等の初歩的なものでした。

その後、明治29年に尋常小学校の設立(修業年限は4ヶ年)、さらに幾多の変遷を経て、義務教育制度が整い普及するには長い年月を要しました。

現在の6・3・3制の教育制度は1948年(昭和23年)から実施されています。学校給食の面においては、昭和41年に学校給食センターが建設され、町内の小・中学生(当時4,200人)に本格的な完全給食が実施されました。

伊仙町立学校給食センターの写真1伊仙町立学校給食センターの写真2

伊仙町立学校給食センター

その他、義務教育就学前の幼児のための幼稚園としては、昭和31年に伊仙小学校に初めて附属幼稚園が開設され、遅れて面縄や犬田布にも開設、幼児教育の施設も整ってきました。

また、地域の方々を招いた特色ある教育活動の活性化や町単独でのALTによる外国語教育の活用、英語科の授業(小学校5・6年生と中学生)、更には豊かな人材を活用し、地域に目を向け、国際社会に貢献できる児童生徒の基礎学力向上にも努めています。

なお、平成14年度には、各小学校(8校)・中学校(3校)の代表による、伊仙町初の第1回子ども議会が開催され、子ども達の目線による要望等が出される等未来の伊仙町を担う世代が着実に育っており、同議会は現在も継続しています。

議場での子ども達の発表の様子の写真

議場での子ども達の発表の様子

伊仙町子ども議会に出席したメンバーの集合写真

伊仙町子ども議会に出席のメンバー

伊仙町の観光

伊仙町は、エメラルドグリーンの海と白い砂浜が広がる美しい自然に恵まれた長寿・子宝の島です。ギネスブック認定の長寿世界一で、泉重千代翁(120歳237日)と本郷かまと嫗(116歳)の2人を輩出しました。

長寿の要因は、温暖な亜熱帯海洋性気候とカルシウムの豊富な水(琉球石灰岩の地層)、そして海が近いことだと言われています。それは栽培される野菜や果樹には台風等でもたらされた海水中にある微量元素やミネラルがバランスよく含まれているからです。

子宝としては、昭和55年の「上木5つ子ちゃん」をはじめ、喜念新田神社(子宝神社)や徳之島子宝空港が有名です。

喜念新田神社の写真1喜念新田神社の写真2

喜念新田神社(安産祈願と子宝の御利益がある社)
(喜念集落民の聖地であり、古くは喜き 念ねん御う 岳たき・ウタケ様と呼ばれ、
鎮守の神として森全体が信仰の対象)

また、島民最大の娯楽として、400年以上の歴史を持つといわれる「徳之島闘牛(なくさみ)」があり、6月のシキュマ(始給米)には、農作業を休み男女とも着飾って浜や広場で闘牛や角力(相撲)、手踊りを楽しむ習慣がありました。

徳之島の闘牛がいつ頃から始まったのか?闘牛の起源に関する資料は乏しいのですが、藩政時代の文献に登場していることから、江戸時代には既に住民の娯楽として定着していたことになります。以来、時代を超えて島民の情熱を最大限に高め、闘牛と共に家族や仲間と一喜一憂出来ることが、今日まで続いている最大の要因です。

奄美群島の常緑広葉樹林は、絶滅危惧種を含む多種多様な動植物たちを育み、地球上で奄美大島と徳之島のみに生息する特別天然記念物の「アマミノクロウサギ」をはじめ、徳之島だけの固有種「トクノシマオビトカゲモドキ」や「イボイモリ」、「トクノシマトゲネズミ」、「アマミヤマシギ」、「キノボリトカゲ」、「アマミイシカワガエル」、「トクノシマエビネ」、「トクノシマカンアオイ」「トクノシマテンナンショウ」などがあげられます。

近年、世界自然遺産登録に向けての活動も推進しており、平成30年度の登録に至れば日本で5番目の自然遺産となります。

徳之島子宝空港の写真徳之島空港愛称についての看板の画像

徳之島子宝空港(平成24年の公募により愛称が決定)

伊仙の町(人)づくり

伊仙町は農業の町です。農業生産額50億円を目標に、基幹作物のサトウキビや馬鈴薯を中心とした園芸作物等の更なる生産額向上を目指しつつ、新たな産業の掘り起こしを行っています。国内外で需要の高まっているコーヒーを始め、「まぁざく(長命草)」と呼ばれるボタンボウフウ、黒ゴマや新規の熱帯果樹など、消費者の要望の高い作物の栽培を手がけています。また、サトウキビ以外の作物の商品化及び地元の食材を用いた特産品の開発にも力を注ぎ、これらの製造、販売などを進めています。

まず、生産物の基礎となる土づくりにおいて、活性化対策に取り組み、第一次産業のキビの産出額は奄美群島全体の約5割、肉用牛も約4割を占めています。また「農業で最も大切なのは土づくりである」をモットーに土地を大切にし、次世代へ確実に受け継ぐためには、地域における担い手確保が極めて重要だと考えています。

基本目標である「あしたをひらく心豊かな人づくり・文化づくり」に基づき、町民が生涯を通じて自主的学習の機会が得られるような支援体制と、いつでもどこでも・誰でも参加できる環境づくりに努めています。そのためにも、土づくりと同様に人づくりの基礎としての幼児教育(幼稚園・保育園)において人間性豊かで、自分が生まれ育った地元を誇りに思い、郷土を愛すると共に守り育てようとする「生きる力」を培うことのできる人材育成に取り組んでいます。

ちびっこフェスタの様子の写真

ちびっこフェスタ(徳之島町文化会館)

町の人口減少対策

わが国においての、子どもや子育て家庭を取り巻く環境は、急速な少子高齢化を始めとして、コミュ二ティ意識の希薄化等を背景に、深刻な状態です。

国の試算統計によると、このままでは平成40年の日本の総人口は1億人を割ることが予想されています。これを回避する施策として、国は、児童手当の拡充や保育施設の見直し等の新たな取組を始めており、本町においても「子は宝」の精神を基本理念として、集落の人達で支え合う子育てのしやすい町を目指し、子育てのためのあらゆる事業・施策を進めているところです。

第4次伊仙町総合計画「次世代育成支援対策推進法」に基づく、伊仙町次世代育成支援行動5ヶ年計画書「前期(子(くゎー)ど宝)=子供は宝」を平成17年度に策定し、平成22年度に後期計画である少子化対策に努めて参りました。

へき地保育所合同卒園式の様子の写真

へき地保育所合同卒園式(伊仙町中央公民館2階大ホール)

近年の少子化問題に伴い、平成24年からは国において「子ども・子育て支援関連3法案」の新制度が成立し、平成27年度から実施されています。

現在における家族構成は、一昔前(昭和60年代からの高度成長時代)とは大きく様変わりし、核家族化や就業する女性の増加等で、個々人の生き方や価値観も複雑・多様化の傾向にあります。伊仙町は、「みんなで育む、安心子育てのまち 伊仙町」をキャッチフレーズとして、平成27年度からの5ヶ年計画「伊仙町子ども・子育て支援事業計画書」を策定しました。

伊仙町子ども・子育て支援事業計画書の画像

様々な子育て支援

学校の教育以外に、子ども達への地域教育を進めていくため社会教育課が年間を通して体験型の教育プログラム(毎月1回年12回)「親子チャレンジ教室」事業を進めています。子ども達に伊仙町の足元の歴史や文化、自然に触れる実体験を通し、地元愛の心と誇りを持ってもらえるようにと、青年団を中心に地域の方々が講師となり、町内に伝わる伝統文化や技術の伝承を行っています。

町全体の子育て支援の取組の一部を紹介いたします。まず一つ目として、昭和43年から伊仙町内の各地域の公民館や生活館14カ所を併用するかたちで、幼児のためのへき地保育所を設置・運営してきました。しかし、少子化に伴い、現在は5カ所を運営しています。そのような中、認可保育所を3カ所開園し、年齢ごとの幼児教育を充実させています。

1968年(昭和43年)発足当時から現在に至るまで、町立へき地保育所の入園料は無料ですが、おやつ代として、お子さん1人(現在70名)あたり毎月4,000円を頂いてます。

合計特殊出生率№1の基礎的要因として、親が早くから(1歳6か月の低年齢・低月齢)へき地保育所を利用し、また職場や通勤範囲に近い場所にあり保護者の負担が少ないことで、子育て支援に大きく寄与していると考えています。

二つ目としては、地域包括支援センター・保健センター・徳之島交流ひろば「ほーらい館」の3施設連携により、妊婦や乳幼児・児童・生徒から高齢者に至るまでを対象に運動や健康づくり等の輪を広げている事です。

健康増進施設の外観写真

健康増進施設(徳之島交流ひろば「ほーらい館」)25m温水プールやトレーニングジムを完備

また、子育て支援金として

  1. 平成18年度から第3子以上出産した方には10万円を支給。
  2. 平成21年度には第1子に5万円・第2子に10万円・第3子以上は15万円を支給。
  3. 平成24年度には、敬老祝い金を減額し一部を子育て支援金に充てる。

―等を行い、町民の子育て支援や健康・体力向上等の保健事業、高齢者の介護予防事業、直売所“百ひゃく菜さい”を拠点とした食育推進活動など、幅広い活動に取り組んでいます。

徳之島交流ひろば「ほーらい館」(平成20年8月2日オープン)では、子ども達の体力向上の運動(特に水泳に注力)、伊仙町地域子育て支援・放課後児童健全育成事業として、小学校1年生~3年生を対象(月曜日から金曜日までの週5日間、午後3時30分~5時30分まで)に、ほーらい館のスタッフが預かり、健全育成を目的とした「放課後わくわくクラブ」を実施しています。

スタート位置に並ぶ子どもたちの写真

位置について、ヨーイ

へき地保育所合同運動会の様子の写真

へき地保育所合同運動会

その他、保健センターでは、安心・安全な妊婦出産を支援するための相談支援の一環として、母子栄養強化事業の継続により牛乳券を発行したり、離島であるが故のハンデに対して不妊治療旅費の一部支援やハイリスク妊産婦旅費助成等を実施しています。家庭全戸訪問事業(こんにちは赤ちゃん訪問)として、 生後4か月までの乳児がいる全ての家庭を訪問して情報提供と養育環境等の把握に努めるとともに各乳幼児健診やマタニティ教室・にこにこママ&キッズ教室なども開催しています。

保育士の研修会の様子の写真

保育士の研修会(伊仙町中央公民館)

おわりに

日本が現在抱えている少子高齢化対策の問題は避けて通れない最優先課題であって若い世代が安心して家庭を持ち、子育て出来る環境づくりに向けて取り組まなければなりません。

伊仙町は「子は宝」と結いの精神を守り伝えると共に、子ども達の安心と安全に配慮し、産みやすく・育てやすい環境づくりの互助・共助の町として、また健康・長寿・子宝の町として地域性・地域力を活用し、先人達からの知恵(知識)を最大限に活かし、島人(しまんちゅ)が豊かな自然環境等の価値を高めながら、町民一人ひとりが心にゆとりと生きがいを持ち、次世代(子々孫々)に精神を受け継ぐことで、潤いと活気に満ちたマチ(地域)づくりの源になると確信しています。