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奈良県十津川村/紀伊半島大水害からの復興の村づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月18日
谷瀬の吊り橋の写真

297mと、生活道として日本一長い谷瀬の吊り橋


奈良県十津川村

2946号(2016年1月18日)


町の概要

奈良県十津川村は、紀伊半島の中央部に位置し、面積は672k㎡、奈良県の約5分の1の面積を有する日本の統治下(北方領土には十津川村より大きい村が2村ある。)では日本一大きな村です。

村の96%が森林で1,000mを越す山々に四囲された急峻な山岳地帯です。平地はほとんど無く、急峻な斜面にへばりつくように集落が点在し、200を越す集落で形成された人口3,621人、高齢化率も42.7%と少子高齢化・過疎化の進んでいる村です。

村の歴史は古く、日本史の表舞台にもたびたび登場し、壬申の乱で大海人皇子(後の天武天皇)に加勢したと伝えられて以来、十津川郷士は源平の戦いや南北朝の乱、幕末の動乱期にも南北戦争や戊辰戦争などで活躍しています。また、京都御所の禁裏門守護の任に就いており、御所の近くに十津川屋敷を建てて常時300人前後の郷士達が住まいして御守りした歴史もあります。

当時、孝明天皇から「十津川郷士が任についている時は、安心して眠られる」とお言葉を賜るほど警備の指揮は高かったとされています。このような先人達の活動が認められ、孝明天皇内勅により十津川文武館(現奈良県立十津川高等学校)が1864年(元冶元年)創設され、昨年創立150周年を迎えたところです。この十津川文武館と共に村の発展もあったものと考えます。

明治の十津川大水害

明治23年6月に、旧十津川郷6か村が合併して十津川村が誕生し今年で125年を迎えました。明治22年8月には、十津川郷を未曾有の大水害が襲い、3日3晩降り続いた暴風雨により、村中が真っ赤に見えるほど山は崩れ、100m以上の山崩れが1,080か所、山が崩れて出現したあまたの湖(土砂ダム)が37か所を数えました。また大雨により激流となった河川が堰き止められると矢のような速さで水が逆流して上流の民家に襲いかかりました。やがて満水になって堰が決壊すると鉄砲水となって下流域を襲い、死者行方不明者168名の犠牲者を出す大災害となりました。

先人達は、このような逆境の中でも希望を失わずに十津川精神(一致団結・不撓不屈・質実剛健)を発揮して、荒涼の地と化した郷土の復興に立ち上がるとともに、災害から僅か1か月で北海道移住を決定し、2か月余りで移住に望んだ641戸2,667人が北海道の地に到着するなど迅速な対応をしています。

北海道移住した方々は、翌年、雪解けを待って石狩の地で開拓を開始し、現在の新十津川町の礎を築いたのです。

紀伊半島大水害

明治の大水害から122年目の平成23年9月に、紀伊半島大水害で本村は再び甚大な被害を受けました。被害は全壊家屋18戸、半壊家屋30戸、床下浸水14戸、山林崩壊75か所261ha(うち深層崩壊30か所)など大きな災害となりました。また、河川を堰き止めた土砂ダムは、村内に2か所、上流の五條市大塔町内に1か所出現し、地域住民に脅威を与えました。現在も3か所の土砂ダムは存続していますが、国土交通省による対策工事が進捗しつつあります。

災害直後から国土交通省をはじめ、国、県、県内市町村、そして新十津川町から職員が災害支援に駆けつけていただき、約1か月で応急復旧が概ね完了しました。我々職員だけでは、1か月での応急復旧は到底出来ずに右往左往するばかりであったと思い、感謝の念に絶えません。また、全国から物心両面にわたるご支援を賜り、村の復旧・復興が進められましたことに対しまして、心から感謝とお礼を申し上げます。

災害の翌年4月には、10年間にわたる復興計画を策定し、短期・中期・長期の期間に分けた計画で、短期計画では3年間で被災された方々の生活再建やインフラの復旧と整備、その後の中長期計画では産業振興による雇用の創出や安心安全な村づくりを掲げています。昨年4月には復興住宅が完成し、被災され避難生活を強いられていた方々に入居いただき、ようやく避難状態を回避することができました。村のインフラ整備も概ね完了し、現在は中長期の計画を推進しているところです。

この災害で村民の皆様は、集落が孤立した中でもお互いに助け合い、支えあって災害を乗り切ると共に、災害からの復旧にも一致団結して取り組んでいただき、十分な対応が出来なかった行政に対して苦情も言わずに、我々職員のことを逆に気遣っていただいた状況でした。そこには十津川精神である「一致団結・不撓不屈・質実剛健」の精神が今もなお脈々と引き継がれていました。

落橋した折立橋の写真

落橋した折立橋

林業の六次産業化の推進

さて、村の産業は、96%を占める森林による林業が産業の中心でした。年間素材生産量が百万石(27万立方メートル)という時代もありましたが、40年代以降の外材輸入により木材価格が低迷を続け、 近年では村内業者による素材生産量は、ほぼ0の状態まで落ち込み、販売単価も.あたり10,000円で売れれば良い状況となっています。(近年では、40年前の4分の1の単価になっています)

和歌山県新宮市や奈良県橿原市などへの素材での市場出荷が主流の本村林業にとって、木材価格の低迷は死活問題で、森林所有者は山林経営を諦め、手入れされずに放置される森林が多くなっていました。

村では平成20年度から村の木で家を建てることを川上側と川下側が一体となって取り組む「十津川郷土(さと)の家ネットワーク」を設立し、県内外で十津川産材による住宅建設を進めるとともに、平成24年4月には十津川村森林組合の木材加工流通センターが完成し、これまでよりも低コストで品質を確保した製品化を図ることができるようになりました。現在年間30棟程度の十津川産材の家が建築されるとともに、家具職人もUターン者1人と復興協力隊員として入村し定住した職人1人による家具の生産にも取り組んでいます。また、木質断熱材の生産や木製枠サッシの生産など木材に付加価値をつけて、少しでも山元にお金が戻る仕組みづくり「十津川式林業の六次産業化」を推進しています。

また、持続可能な林業経営を目指すためには、山から木を出す仕組みづくりが大事で民有林の境界明確化を推進し、団地化することにより集約林業を推進して、作業道の整備や高性能林業機械を導入するなどして低コストで木材を伐出できるシステムづくりを構築しているところです。林業事業体も現在7社となり、少しずつですが木材の生産量(現在1万立方メートル)が増加してきました。

平成23年の災害時には、村から出荷する住宅建築材の在庫があったことから、知事にお願いして木造仮設住宅を村の大工さんに建築していただきました。

プレハブ式の建物と同程度の期間で大工建ての木造仮設住宅(4か所に30戸)が約1ヶ月(平成27年11月17日)で完成し、被災者の方々に入居いただきました。

その後の復興住宅(2か所に13戸)も勿論十津川の風土にマッチした木造住宅で整備「(2020年省エネ基準クリア)」し、現在の村営住宅や医師住宅なども全て同じモデルによる建物を採用しています。今後は、バイオエネルギー利用についても検討して行く予定です。

木製枠サッシの写真

「十津川式林業の六次産業化」の一環である木製枠サッシ

木造の復興住宅の写真

風土マッチした木造の復興住宅

心身再生の郷づくり

平成の大合併でなお自立の道を選んだ十津川村(新十津川町と共に)ですが、そのキーワードが「心身再生の郷づくり」です。モノやカネを追い求めてきた結果、忘れてしまった「ほんもの」「日本の心」を村は今も大切に守り続けています。そんな「ほんもの」の魅力と価値を内外に発信して村の活性化を図っています。

平成16年6月に村内3か所で湧出する県内唯一の高温泉を全国に先駆けて「源泉かけ流し宣言」を実施するとともに、その翌月には紀伊山地の霊場と参詣道「大峯奥駈道」と「熊野参詣道小辺路」が、 ユネスコの世界遺産に登録されました。先人達が1300年間営々と守り続けて来た道が、世界に誇る道として評価された訳であります。勿論、この道を通って熊野詣を多くの先人達が行うとともに、幕末には十津川郷士達が京都御所の守衛や村への情報伝達・物資の道として、また、北海道開拓への村を去る道でした。

このような貴重な村の宝や資源、歴史・伝統などを内外に情報発信することで、観光面での活性化を図ることを目指しています。

紀伊半島大水害後、村への観光客の入込は激減しましたが、奈良県によるプレミアム宿泊券や路線バス運賃キャッシュバックキャンペーンなどのご支援により徐々に観光客も災害前の水準に戻りつつあります。昨年は、源泉かけ流し宣言や世界遺産登録からダブルの10周年を迎えた年で、年間を通じたイベントなどを開催したところです。

現在は、3か所の温泉はそれぞれ温泉力(還元力)が高いとの評価を受けて、温泉の効能を医学的に解明・実証調査するモニターツアーなどを実施しているところです。現在結果待ちの段階ですが、良い調査結果が得られそうですので、今後の温泉に対する情報発信に活用していきたいと考えています。

温泉(公衆浴場)の写真

十津川村自慢の温泉(公衆浴場)

活力と魅力あふれる村づくり

村の総合計画や復興計画の推進と実効性を高める方策を検討するため、役場職員による横断的な組織である「活力と魅力あふれる村づくり推進委員会」を平成24年10月に立ち上げて、地域の活性化に向けて検討しています。この委員会には大学教授や学生、アドバイザーをはじめ奈良県にも加わっていただき、事業検討の場・情報共有の場となっています。地域の活性化や集落づくりのプロジェクト(7件)を立ち上げて現在対応しています。

特に高齢化率が42.7%となり、1人暮らし高齢者が314人、2人暮らし高齢者も300世帯となっていますが、村には特別養護老人ホーム(36床)が1か所と認知症対応型グループホーム2か所(18人)があり、 定員は満床で数十人が現在入所待ちの状態です。また、在宅介護を支えるホームヘルパーの高齢化により、十分な在宅介護サービスが利用できない状況です。歳をとっても最後まで村に住み続けられる高齢者福祉の充実を目指すために、現在高齢者がお互いに支え合って暮らすことのできる施設づくりなどについて検討し、次年度には施設整備に向けて対応する予定となっています。

命の道の整備

十津川村を南北に縦貫する国道168号は、村の主要幹線道路ですが未だ狭隘な所があり、乗用車同士がスムースに対向できない所が多くあります。現在、国土交通省直轄により工事を着工いただいている所が1か所と2か所の整備区間の指定がされています。先般の災害でも新しいバイパス道路は被災することがありませんでしたが、旧道は崩壊して現在でも復旧がままならない状況の所もあります。

また、南海トラフ地震などの際には、和歌山県・三重県に通ずる物資の輸送路として紀伊半島アンカールートと位置づけされているところですが、まだまだ整備は遅れている状況にあります。

村の「命の道」となる主要幹線道路である「国道168号」の早期改良を全ての村民とともに、周辺自治体も強く望んでいるところです。

国道168号の七色高架橋の写真

国道168号の七色高架橋

村の総合戦略

国が推進する地方創生の時代の中で、村の活性化、村の存亡をかけて現在総合戦略を計画しつつあります。十津川村が未来永劫存続するためにも、英知を結集して総合戦略を策定し、計画に沿って今後の事業推進に取り組んでいきたいと考えています。