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長野県北相木村/山村留学と移住の村・北相木~好きです!信州 北相木~

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月31日
ひな流しの写真

3月3日に行われる北相木に伝わるひな流しの行事。子供たちが作ったひな人形をワラで編んだ
「さんだわら」にのせて相木川に流すと、 人形が身代わりになって災いから守ってくれる。
「家難」「河難」を払うという意味があるといわれている。


長野県北相木村

2874号(2014年3月31日)  総務企画課長


北相木村の現状

人口わずか815名。全国でも少ない方から11番目の村(離島を除いた順位。離島を含めると少ない方から21番目)。長野県の東端に位置し、 あの日航ジャンボ機の墜落事故のあった群馬県上野村に接している。 

815名中、Iターン者が150名。Iターン者の割合がなんと20%弱という村である。約20年程前から積極的にIターン政策に取組んできた成果であるが、 もしIターン政策を行っていなかったら…現在の北相木村はどうなっていたのか…。 

もっとも今日では北相木村に『Iターン』という言葉は存在せず、移住したその日から真の仲間である村民なのです。 Iターンの先駆者として27年前に移住してきた男性(60歳)は現在、村の公民館長として活躍していますが、移住当時を振り返ると『風貌も風貌なので、皆にはジロジロ見られたり、 よそ者だって言われた』(本人談)と笑って話し、『今移住して来る人は全然怪しまれなくていいよね』…と続いて話してくれました。  

人口815名の村の平成25年度の小学生は総勢43名。内訳は山村留学生13名・Iターン者23名。そして村出身者の子供が7名であり、 言い換えれば山村留学政策とIターン政策で小学校を維持していることになる。 

実は、山村留学事業の衰退に伴い、平成22年度には小学校の全児童数が27名まで減少し(1学年たった3名の学級が3学年ありました。)、 村出身者の保護者を中心とした『小学校問題を考える会』から隣町小学校への統合に関する請願書が提出され、 また一方、Iターン者の保護者を中心としたメンバーからは統合に反対する請願書が提出され、議会においては苦渋の選択で『統合に関する請願書』が採択となりました。 

昭和62年度から東京に事務局を置く「(財)育てる会」と共に歩んできた山村留学事業だが、 児童数の確保等の問題により平成21年度をもって育てる会が撤退したことが大きな要因でした。『統合に関する請願書』の採択を受けて、村は一大決心をしたのです。 山村留学事業の経過とともにお話しさせていただきます。

山村留学事業の経緯

北相木村の山村留学事業は、昭和59年に短期で、そして同61年に「北相木村山村留学センター」の建物が竣工し、翌62年度から、(財)育てる会により、 長期山村留学がスタートしました。初年度の留学生は8名でした。ここから平成21年度までは、毎年5~8名前後の受入を行い、小学校の活性化や、複式学級の解消に貢献し、 さらには「子どもの声が帰ってきた」、という思わぬ効果も生み、村民に広く山村留学の制度が浸透していきました。 

しかし平成21年に、募集児童数の確保の問題などから、(財)育てる会が北相木村での活動停止を決定します。もちろん村では、様々な意見が出されました。

そこで、平成22年度については、センターは使用せず、受入農家のみで児童を預かる、村独自の山村留学事業を行いました。この時の受入児童数はわずか3名でした。 このままでは、北相木村の山村留学は継続が難しい…。そこで、村当局、教育委員会では協議や視察を重ね、 長野県木曽郡王滝村で山村留学事業を行っていた『企業組合こどもの森』への視察をきっかけに提携を模索。話し合いの結果、平成23年度から、 こどもの森スタッフから主任指導員を迎えることとなりました。加えて、総務省の「地域おこし協力隊」制度を利用した新しいスタッフの確保などにより、 村直営という新しい形での山村留学制度が開始されたのです。  

一人の応募もない、という可能性も含んだ状態でしたが、結果的にはこの年、10名の児童を迎え入れ、新しい「北相木村山村留学事業」が始まりました。 さらに平成24年度にはスタッフの増員と中学生の受入を開始し、児童生徒17名というこれまでにない大所帯となりました。小学生の受入児童数16名は、 この年の全国の山村留学のなかで一番多い数でした。続く平成25年度も児童生徒15名の留学生が、北相木の子どもとして生活しています。 

また、平成23年度からは、秋に「体験発表会」を行っていますが、ここで子どもたちは、自分で決めた研究の発表を行い、 練習を重ねた和太鼓と沖縄演舞エイサーの披露もあり、多くの大人たちを感動させてくれます。 

一年間の留学で、子どもたちは確実に変わります。3月の修村式では、成長した我が子の姿に涙する家族の姿が見られます。そしてそれらの感動は、 村と他地域の人々との絆となり、様々な交流も生まれています。現在も、村の成人式に留学生を招き、旧交を深める機会を作っていますが、今後はOB会の設立も視野に入れ、 より多くの交流の場を作っていく計画です。 

「長者の森」で川遊びをしている写真

夏には、村内にあるキャンプ場「長者の森」で川遊びをします。

落花生を収穫している写真

センター横にある畑で、毎年色々な野菜を育てています。この時は落花生を収穫しました。

体験発表会の写真

山村留学で一番のイベントである「体験発表会」。
各自が北相木に来て興味を持ったことを研究して発表します。
また、村の方やお世話になった方々へ、民舞、和太鼓を披露します。

山村留学での労働体験の写真

農家さんに教えていただきながら、山村留学での労働体験
「田んぼ作業」で、一番大切な作業です。

立派に育った稲を、自分達で刈り取っている写真

立派に育った稲を、自分達で刈り取っています。
この後も「脱穀」「籾すり」という作業をして、精米し、
初めて自分達で作ったお米を食べれる様になります。

山村留学事業の効果

山村留学事業は村に様々な効果をもたらしております。3つ具体的に書かせていただきます。 

数年前に、山村留学生時代に民泊をしていた農家に遊びに来た山留卒業生の少女(現在では33歳になります。)が、久しぶりに同級生と再会。 意気投合し…愛が芽生え…見事にゴールイン!!今では押しも押されぬ村を代表する『おしどり夫婦』であります。 

2つ目は、山村留学をしていた孫の祖父母が北相木村を大好きになってしまい、祖父の定年退職を機に村営住宅に入居し孫と一緒に定住しました。 村や地区の活動にも積極的に参加され、田舎暮らしを満喫されています。  

3つ目が中学生。中学校は隣町村との1町2村での組合立となっていて、村では山村留学の受入は小学生のみということでした。しかし、一昨年山村留学を2年間過ごし、 北相木小学校を卒業していった少女が…大好きな北相木村を忘れられず…2学期から山村留学生として村に戻り、組合立中学校に編入してしまいました。そして、 昨日新しく中学生として1人が継続を決定し、来年度も新たに1名が組合立中学校に入学することから中学生は3名になります。そんなに北相木村が好きなんだなと…。 村の意図とは全く違ってしまいますが、嬉しいことです! 

マッチだけで火をおこす練習をしている写真

新聞紙や燃料を使わず、周辺にある自然のものと
マッチだけで火をおこす練習をしています。

スキーをしている写真

子供達の冬一番の楽しみは、スキーのようです。
隣町の小海リエックススキー場にて。

終わりに

議会では小学校の統合について採択されたが、今現在は保護者からも統合に関する話題は立ち消えています。小学校のない自治体にはなりたくない一念で職員も頑張っています。

そんな職員を代表して一言… 

信号が一つもなく、コンビニもない村。でも、この村には…真っ青な空と澄んだ空気、美味しい水、豊かな森の緑があります。そして、人々のこころには温かさがあり、 子供からお年寄りまでいきいき暮らしています。  

あなたも、こんな北相木村での暮らしを考えてみませんか。今、北相木村では田舎暮らしを応援しています。『求む!村民』プロジェクトが進行中です。ぜひ一度、 北相木村を訪れてみてください。きっと大好きになりますよ。合言葉は『好きです!信州北相木』。 

収穫体験の写真

秋には松本市にあるりんご園で、収穫体験をさせていただいてます。
りんご園の方から、収穫までに至る大変さを聞き、子供達は改めて、
収穫できる有り難さを実感しています。