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滋賀県愛荘町/消えゆく文化を保存し、地域の魅力に ~町の「地域遺産」を未来へ~

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年7月26日
滋賀県愛荘町の写真
滋賀県愛荘町の写真2

滋賀県愛荘町

2728号(2010年7月26日)
愛荘町 政策調整室


金剛輪寺本堂の写真

金剛輪寺本堂(国宝)

水と歴史の愛荘町

愛荘町は滋賀県の中央部、琵琶湖の東側に位置する緑豊かな田園都市空間です。鈴鹿の山麓から広がる洪積丘陵と扇状地からなり、南には一級河川愛知川、中央部には宇曽川が流れ、水田が町域の約4割を占めています。古くから水との関係が深く、現在でも豊富な地下水を求めて、飲料水メーカーや食品会社、さらには染織工場など、多数の企業が進出しています。

また、愛荘町には国宝本堂「大悲閣」など豊かな寺宝を有する湖東三山の古刹金剛輪寺、近世中山道愛知川宿の面影を残す町並みなど、古からの歴史と文化を伝える文化遺産が多数あります。

香之庄の看板の写真

お宝自慢が親近感生む ~むらじまん標示板~

平成18年2月に、隣接する秦荘町と愛知川町の2町が合併し誕生した愛荘町は、合併後でも人口約2万人と、決して大きな町ではありません。しかしながら、旧町域が異なるとやはり互いの地域の様子が分かりにくく、4年の月日を経ても馴染みがない地域のことは知る機会もなく、町の一体性を損なっているように感じられました。そこで町では、地域に生きる人々の息遣いを知れば町民の一体感が進むのではないかと考え、来訪者の利便性アップと地域アイデンティティの醸成を狙って、町内58自治会に伝承・保存されてきた誇れるお宝を「むらじまん」と題し、自治会名とともに標示した221枚の看板を作成しました。看板は主に集落(自治会)の入り口となる道路わきに設置しており、「むらじまん」の内容はそれぞれの自治会に提供いただきました。

事業費約700万円の財源には、滋賀県湖東圏域で取り組む定住自立圏推進協議会からの交付金を当てています。

堺町の看板の写真

設置後は驚くほど多くの反応があり、「知らなかった集落の場所が分かった」、「自慢の内容が面白い」、「個性的な写真をみて親近感がわいた」など、その内容も様々。この標示板は、地元の住人が懐かしむだけでなく、町を訪れる人や地元の子どもたちにも埋もれた宝 を「発見」して楽しんでいただく効果も期待しています。

知る機会がなかった地域に触れることで、町が一体になれば大変うれしく思います。

中山道の面影残す愛知川商店街 ~和菓子の菓子型~

菓子型の写真

中山道に沿った愛知川商店街にある、三店舗の菓子店、小松屋老舗、しろ平老舗およびさかえ屋には干菓子などに使用する大量の菓子型を所有しており、総じて明治30年から平成の初めにかけて蓄積されてきたものです。明治から大正、昭和さらに平成とおおよその編年 が可能であり、各時代の地域的な要求の中でどのような干菓子が作られてきたかがわかります。京都のような繊細な菓子型ではありませんが、地域性が強く表れた貴重な地域文化資源です。

消えゆく手しごとの復興と継承 ~びん細工手まり~

この地域は、古代先進的な土木・灌漑技術をもった朝鮮半島からの渡来人「依智秦氏(えちはたうじ)」によって開発されたところです。秦氏がもたらしたといわれる養蚕・製糸・紡績の技術や、良質な水のある自然環境、中山道の宿場町、近江商人の活躍などいくつもの要素が作用しあって、太鼓、酒、和菓子づくり、さらには近江上布や近江刺繍といった染織文化など、さまざまな手しごとを生み出しました。

ふるさと体験塾の写真

「ふるさと体験塾」伝統技術が人から人へ受け継がれます。

このような手しごとは、身近な暮らしのなかで受け継がれており、その代表がびん細工手まりです。びん細工手まりとは、フラスコ型のガラスびんの中に、びんの口より大きな手まりを封じこめた不思議な工芸品です。その起源は明らかではありませんが、丸くて中がよく見える(丸く仲良く)ことから縁起物として進物にされることが多く、当町でも江戸末期に嫁入り道具として持参されたものが確認されています。昭和初期までは裁縫塾を中心に全国各地に存在したと考えられるびん細工ですが、高度経済成長など変動のなか、多くの手しごとと同様にその姿を消しつつありました。当町では、明治期に裁縫塾でびん細工を習得し継承していた女性が逝去されたことから、昭和49年に教育委員会の呼びかけで貴重な技術継承のため保存会が結成されました。現在の制作工程は、伝承の方法に改良を加え、さらに保存会会員が工夫して発展させたものです。

びん細工手まりの写真

旧愛知川町では、平成8年の町観光協会発足を機に、びん細工手まりを町のシンボルにしようと取り上げる動きがありました。技術向上と後継者育成のため、びん細工手まりの指導者養成講座を実施し、町の伝承工芸品としての確立を目指しました。平成11年には意匠登録もされ、現在ではびん細工手まり制作が町内中学校の選択授業に採用されており、若い世代へ技術の継承が続けられています。結成時 19人だった保存会の会員は、今では200人近くになり、観光イベントにあわせて京都駅や東京駅、韓国などでも展示や実演を行っています。

町が平成10年から行っているびん細工手まりの制作体験イベント「ふるさと体験塾」には、これまで全国各地から300人以上の方に参加いただきました。一方、びん細工手まりの販売は近江鉄道愛知川駅構内の「愛知川駅コミュニティハウス るーぶる愛知川」でのみ行っており、結婚や新築祝いなど慶事の引き出物として順調に売上を伸ばしています。

本町の看板の写真

町民が気軽に憩う空間 ~ゆうがくの郷~

平成12年12月に、びん細工手まりの常設展示施設である「びんてまりの館(やかた)」が、愛知川図書館とビオトープ公園との複合施設「ゆうがくの郷(敷地面積約3,300㎡)」として開館しました。愛知川図書館は地域の情報庫として、図書や雑誌だけでなく、例えば、新聞の折り込み広告、古い写真、ホタルやお地蔵さんといったまちの風景を利用者から収集して発信する「まちのこしカード」など、地域に関するあらゆる情報を収集し発信しています。また、びんてまりの館と連携して、手しごとや芸術、地域の歴史文化の発展のため、コンサートやワークショップなどさまざまな行事を開催しています。こうした幅広い活動が認められ、平成19年には、NPO法人知的資源イニシアティブ(IRI) が主催する「Library of the Year( ライブラリー オブ ザ イヤー)」を受賞しました。また、町内のもうひとつの図書館である秦荘図書館とともに、人口2万人以上3万人未満の自治体のなかで、全国1位の貸出冊数を記録(21年度末調査)するなど、図書館は住民の暮らしのなかに深く浸透しています。施設は、オープン当初からすべての人が気軽に訪れ、知識や経験を共有して交流できる場所、楽しみながら有意義な時間を過ごすことができる場所、いつもあたらしい発見があり何度も訪れたくなる居場所のような空間づくりをめざしています。平成21年には、町議会で「愛荘町まちじゅう読書の宣言」が採択され、読書文化推進に向けて図書館の活動がさらに注目されています。

ゆうがくの郷(びん手まりの郷)の写真

ゆうがくの郷(びん手まりの郷)

三町合同企画展で新たな縁をつむぐ ~近江上布~

三町合同展示会の写真

三町合同展示会

偶然のきっかけから、群馬県東吾妻町、徳島県藍住町そして本町、滋賀県の愛荘町というそれまで全く縁のなかった三町が、平成21年9月、東京で合同企画展「麻・藍・布」を開催しました。 

一方、愛荘町は伝統の近江上布の産地です。麻と藍は、日本人が古くから親しんできた布であり、天然染料です。江戸時代、日本四大麻布と言われたものに、薩摩上布、越後縮、奈良晒および高宮布があります。このうち、薩摩上布、越後縮ならびに奈良晒は同じ麻でも苧麻(ちょま)布ですが、今日の近江上布のルーツといえる「高宮布」は麻(大麻)を素材としている非常に稀な布です。麻は苧麻に比べ荒く品質の劣るものと思われ一般的に野良着などに使われていましたが、高い技術力によって細微で光沢を持つ品格のある布に仕立てたものが「高宮布」であり、近江上布はこの歴史と伝統を発展させたものです。「高宮布」には縞柄等に藍染めが多用されていました。この麻と藍そして麻布を縁として、三町合同展示会が実施されました。東京での展示会では約1,500人余りの来館者があり、麻挽き(精錬作業)、苧績み(麻糸を紡ぐ)、藍建て(染料作り)、藍染め、あるいは麻の手機織りや麻布のシボ付け(皺加工)など、他ではなかなか見学や体験できないメニューを用意し、大変好評を博しました。

布の写真

今年は、この三町合同展示会が徳島県藍住町で8月11日(水)から9月20日(月)にかけて開催されています。阿波踊りの期間とも重なり、昨年以上の反響が期待され、さらには、平成23年度は本町、平成24年度は群馬県東吾妻町での開催を予定しております。深い歴史的なつながりが背景にあったとはいえ、妙な縁から地域文化資源に息吹を吹き込み、活性化できる機会を得たことは望外の喜びであり、この好機を今後とも大切にしていきたいと感じています。

希少建物に保存運動が起こる ~旧愛知郡役所~

旧愛知郡役所の写真

滋賀県で唯一現存する旧愛知郡役所

旧郡役所は、全国にも32棟程しか残っていません。特に滋賀県では唯一です。愛知郡役所は愛知郡内の町村を監督する役所として1922 (大正11)年に現在の地に建設された近代洋風建築です。しかし、建設から4年後には郡役所制度が廃止され庁舎は郡教育会や県に移管。その後建物は郡農会に無償譲渡され、戦後になって土地と共に農協の所有となり愛知郡産業会館と呼ばれた時期もありました。内部から発見された貴重な文書とともに、愛知郡の郡都であった証と、明治から昭和にかけての地域の人々の営みの歴史を示す重要な建物であり、歴史的、建築学的価値は十分といえます。

現在、旧愛知郡役所の建物は老朽化し活用されていませんが、愛知郡の象徴的な近代建築であり、まさしく誇れる地域文化資源といえます。最近になり、住民の中からこの建物の保存運動が沸き起こりました。現代的な再生によって、文化、芸術、観光あるいは産業の振興に生かせれば、町の活性化に貢献できるものと考えられます。保存に向けての運動はまだ紆余曲折があると思いますが、多くの方々の理解を得て保存活用が図れることを願っています。

びん細工てまり型郵便ポストの写真 

近江鉄道愛知川駅前のびん細工てまり型郵便ポスト

私たちが大切にして残していきたいものはこれだけはありません。もっと身近なものの中にも、愛荘町の魅力に気付かせるもの、あるいは魅力ある地域を築く財産となるものがあります。これからの愛荘町のまちづくりを活性化させる可能性を秘めたこの地域遺産を「未来遺産」にすべく私たちも努力してまいります。