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徳島県板野町/防災活動を中心とした地域づくり~平成16年台風23号が残していったもの~

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年8月20日
防災活動の写真

徳島県板野町

2613号(2007年8月20日付号)
総務課係長 永井 英孝


板野町の概況

板野町は昭和30年に板西町、松坂村、栄村の3ヶ町村が合併し誕生しました。徳島県の北東部に位置し、人口は平成19年4月現在14,411人で、面積は36.18平方km、北は阿讃山脈、南は吉野川平野を望み、町の東側には旧吉野川が流れています。 町内には高松自動車道の「板野IC」があり、明石海峡大橋の開通も伴って、阪神方面との物的人的交流が盛んになり、また隣の藍住町にある徳島自動車道「藍住IC」ともバイパスで結ばれるなど、板野町は地理的にも経済的にも徳島県の重要な町となっています。

防災の視点からの板野町

防災の視点から本町を見てみると、北側の阿讃山脈には地震を引き起こす可能性を持つ活断層である中央構造線があり、南側は昔から「暴れ川」といわれる吉野川に挟まれたうえ、町の東側を旧吉野川、中央部を宮川内谷川・黒谷川といった中小の河川が流れており、その中央部がすり鉢型に一番低くなっていることが防災上特に注意すべき地理的条件となっています。

板野町の防災体制

本町の防災体制は大規模災害時には、地域防災計画に基づき、町職員143名全員が災害対策本部要員となって災害対応にあたることになっていますが、台風などの時の初動体制は課長級以上の管理職と防災部局である総務課員、災害復旧部局である建設課員、そしてライフライン部署を除く若手男子職員12名で構成する役場消防機動隊という組織が初動災害対応にあたることとなっています。

板野町災害対策用備蓄倉庫
板野町災害対策用備蓄倉庫

消防組織については、常備消防として板野町と西隣の上板町を管轄とした板野西部消防組合があり、非常備消防については4分団・条例定数120名の板野町消防団が組織されており、消防団長は町の災害対策副本部長の1人として、町職員とともに消防団員も災害対応にあたっています。

防災施設面では、平成14年に防災行政無線として屋外拡声子局49箇所を設置し、その基地局として町役場の敷地内に防災本部機能を併設した板野町コミュニティ消防センターを建設しました。また、今世紀前半にも発生が危惧されている南海・東南海地震に備えるべく、平成19年3月には床面積187平方mの板野町災害対策用備蓄倉庫を建設し、食糧・飲料水・毛布等を備蓄しています。

自主防災組織

現在、町として最も力を入れているのが自主防災組織の結成促進と育成強化です。平成19年7月現在、50組織、2,017世帯、隊員数6,393名、加入世帯率でいいますと39.2%の自主防災組織が結成されています。

結成のよびかけ

平成7年の阪神淡路大震災以降、自主防災組織の重要性が叫ばれるようになり、町としても自主防災組織の必要性を認識してはいましたが、当時は役場で総合的に自治会に対応する窓口もなく、また自治会等を取りまとめる自治会長会のような組織もないため、自主防災組織の結成のための説明会等を開催することができませんでした。

自主防災組織での救助訓練
自主防災組織での救助訓練

このような中、平成9年度から板野町では有料指定ゴミ袋を導入することになり、環境部局が住民に対しその説明会をすることになりました。この住民説明会は、町内3小学校の校区ごとに、町内の農家で組織している59団体の実行組の長、及び把握している自治会の長を対象に行われるため、この説明会に併せて自主防災組織の結成を呼びかける説明会も同時に行うことにしました。

説明会では自主防災組織の意義や災害時及び平常時の活動内容について、町から支給する救助用資機材は、油圧ジャッキ1台、クリッパー1本、スコップ、テコバール、ノコギリが各5本、虎ロープ1巻、水汲み用布バケツ10個を50世帯に1セットを基本として支給することについて説明を行いました。

この説明会は、有料指定ゴミ袋の導入の説明会に併せて開催したこともあり、非常に多くの実行組長や自治会長のご参加を頂きましたが、実際に自主防災組織が結成されたのは20の地域でした。

停滞期

その後、平成11年に2つの自主防災組織が結成されましたが、そこから平成15年に2つの組織が結成されるまでの4年間、新しい自主防災組織の結成はおろか、結成された組織も訓練等の具体的な活動はなく、数団体が役員交代の報告をしてくるだけという状況が続いていました。

この間、最初に結成を呼びかけた団体である実行組長会の水稲転作説明会の冒頭に時間をもらい自主防災組織の結成を呼びかけましたが、その中で「実行組は農家の組織なので、この場で防災の説明をするのは筋違いではないか」との意見まで出たこともありました。これは阪神大震災から年月も経ち、その記憶が薄れる中で住民の防災意識が低下していることを実感した瞬間でもありました。

平成16年台風23号

平成16年は板野町でも6月に6号、8月の11号16号、9月には18号21号が相次いで襲来し、その度に災害 対策本部を設置し、消防団とともに災害防御活動にあたっていました。これらの台風では床上床下浸水などの被害も出ずにすみましたが、10月20日に襲来した23号は町内の河川が氾濫し、1,335世帯4,304人に避難勧告・避難指示を発令、床上浸水5戸、床下浸水53戸の被害が出るという近年では経験したことのない被害に見舞われました。

台風23号時の浸水の様子
台風23号時の浸水の様子

予想外の場所での浸水

そしてこの23号では、全く予想をしていなかった場所で浸水被害が出ました。その地区には大きな河川もなく、それまでは水害に襲われることもない地区だったのですが、23号時はその地区を流れる幅が2m程の小さな河川に架かる橋に、上流からの流木やゴミ・岩などが引っかかり、流れを堰き止め、水があふれだしたことによるものでした。それはまだ午前中の出来事で、本格的な台風の風雨の前だったので、最初はその地区で床下浸水発生との情報が入ってきた時は、わが耳を疑ったほどでした。

浸水の情報が入ってすぐに役場消防機動隊全員をそこに投入し、消防団員とともに土嚢積みと重機で橋に引っ掛かった流木などの撤去作業を行い、なんとか床上浸水は免れましたが、あふれ出してくる水流の中の作業は非常に危険を伴うものでした。

いつの間に!

ようやく橋の下の流木撤去も終 わった13時頃には台風も接近し、風雨が強まっていました。その時、町の南部を管轄とする消防分団から「宮川内谷川天端まであとわずか!」との無線が飛び込んできました。宮川内谷川の上流にはダムがあり、その放流水と台風による大雨のため、宮川内谷川は今にも堤防の天端を越えるほどに増水していました。

当時、ダムから放流を行う際、流域住民に対してはダムからの遠隔操作で回転灯とサイレンにより知らせていましたが、町がリアルタイムで放流量を確認するにはダムのテレホンサービスに電話して、こちらから確認する方法しかありませんでした。

「天端まであとわずか!」の無線連絡を受け、すぐにダムのテレホンサービスを確認したところ、その時のダムの放流量は毎秒196tになっていました。河川の幅や堤防高からすると通常毎秒100tを越えると洪水状態になるといわれており、いつの間にか放流量がその倍近くになっていたことに驚いたことを今でも覚えています。

避難勧告から避難指示へ

町災害対策本部は、13時15分から次々と流域住民に対し避難勧告を発令しました。そして、宮川内谷川は10月20日13時44分、とうとう天端を越え、越流をはじめてしまいました。幸いなことに越流箇所の周りは農地で民家が近くにはなかったため、すぐに床上床下浸水にはなりませんでしたが、そのわずか10数分後の14時頃、上流のダム事務所から、15時から毎秒300tの放流を開始するという電話連絡が入りました。毎秒196tですでに越流をしている河川に、それを100tをも上回る放流水がやってくるという事態は、床上床下浸水はもちろん、住民の生命をも脅かす状況であると認識した町災害対策本部は、15時、宮川内谷川流域住民1,273世帯4,052人に避難指示を発令するに至りました。

台風23号が残していったもの

台風23号は床上床下浸水や農産物、公共土木施設などに大きな爪痕を残して去っていきましたが、幸運にも板野町ではけが人等の人的被害はありませんでした。

防災施設・連絡体制の強化

23号に限らず、16年の相次ぐ台風を経験して、住民から防災行政無線についてたくさんの意見が寄せられました。そのほとんどは「放送しているのは分かるが内容が聞き取れない」というものでした。先にも書きましたが、本町の防災行政無線は町内49箇所に屋外拡声子局を設置しています。しかし、個別受信機は公共施設等にしか配備しておらず、住民が台風時に屋内で放送内容を確認することは難しいことが明らかになったのでした。

防災無線テレフォンサービス
防災無線テレフォンサービス

これを解消するため、防災無線テレホンサービスを導入することとなりました。このテレホンサービスは直近の放送内容が電話で確認できるうえ、プッシュ回線の電話であれば過去6回の放送内容まで確認できる機能を持ち、高齢者や屋外子局の難聴地域の聞き逃し対策はもちろん、町外からも防災情報が確認できるようになりました。

また、町のホームページに緊急防災情報をリアルタイムで書き込めるようにし、地元のケーブルテレビ局の協力を得て、テレビでも板野町の防災情報を見ることができるようにするなど、住民への情報提供システムの改善に努めました。

そして、連絡体制の再整備も検討され、こちらから確認しなければ分からなかったダムの放流量について、20t・50t・100tを越える際には、ダム事務所から町に対して電話連絡が入るようになり、町に災害対策本部が設置された場合は、徳島県からも連絡員として職員が派遣されるようになるなど、防災連絡体制の強化も図られました。

また、台風23号の浸水状況を災害対策本部要員や消防団員・地域住民から聞き取り調査し、それに吉野川浸水想定と旧吉野川・宮川内谷川浸水想定を重ね合わせて「板野町洪水ハザードマップ」を作成して全戸配布を行いました。

住民の防災意識の向上

台風23号の約1ヶ月後、先に書いた予想外の浸水被害をうけた地域の自治会長から、自主防災組織の結成をしたいとの相談がありました。この地域の周辺の地域ではすでに自主防災組織が結成されていましたが、この地域は未結成でした。そこで、週末の夜にこの地域にある集会所に自治会の方々に集まって頂き、そこに出向いて自主防災組織について説明しました。

そうすると集まった人全員一致で自主防災組織の結成を決めたうえ、自治会に加入していない世帯に対しても、「防災は命に関わることだから」と自主防災組織への参加促進を促すことを決定していただけました。この後、次々とその他の未結成地区からも自主防災組織の結成について相談があり、各地の集会所に出向いて説明をした結果、平成16年度は14もの地域で自主防災組織が結成され、最近では、自主防災組織の説明 会時に南海・東南海地震に備えて徳島県が行っている「寄り合い防災講座」を併せて開催するなどの防災啓発活動により、現在では50の自主防災組織を数えるまでになりました。

これは、災害は関係ないと思っていた住民が、台風23号の災害を経験したことにより、災害を自らの問題として考え始め、防災意識が向上してきたことを示すものだと考えます。

防災活動を中心にした地域づくり

一般的には、自主防災組織の活動は地域のコミュニティ活動の延長線上にあるのではないかと思いますが、これからは逆に防災活動を通して、地域のコミュニティづくり・ネットワークづくりができないものかと考えています。

防災無線野外拡声子局
防災無線野外拡声子局

防災活動をする中で、自助・共助の重要性を再認識し、自分の住んでいる地域の特徴や、どんな人が住んでいるのかなどを知ることによって、地域コミュニティの形成を図る。その地域づくりそのものが、いざというときの防災力の強化になると考えています。

特に昔からの地域の結びつきが少ない新興住宅地などでは、この防災活動が地域づくりのよいきっかけになるのではと考えます。本町でも近年新規の宅地開発が進み、いくつかの新興住宅地ができていますが、その中で自主防災組織を結成し、防災研修講座や防災訓練を開催して積極的に地域づくりに取り組み、その活動の中から地域の抱えた問題点やニーズを掘り起こし、行政とともにその解決を目指そうとしている地域もあります。

しかし、このように自主防災組織を結成し、積極的に活動しているのはまだ一部の地域だけで、町全体の組織率もまだ40%を越えていません。これからの課題として、すべての住民の皆さんに「防災活動による地域づくりが、地域の防災力の強化になる!」ということを理解していただき、町内全地域における自主防災組織の結成と活動強化を目標として、これからも自主防災組織の結成促進と育成支援に取り組みたいと思っております。