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大分県姫島村/一島一村の良さを生かした村づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年2月19日
姫島全景の写真

姫島全景


大分県姫島村

2590号(2007年2月19日)  姫島村長 藤本 昭夫


村の概要

姫島村は、瀬戸内海の西端、大分県国東半島の北、5キロの海上に浮かぶ、周囲17キロ、面積6.7平方キロ、人口約2,500人の、沿岸漁業と車えびの養殖を主な産業とする、一島一村の離島であります。

毎年8月に開催される「盆踊り」の踊りのなかの1つで、子供達が白い化粧をして、キツネに扮装して踊る「キツネ踊り」と、最近では、渡り鳥ならぬ渡りチョウのアサギマダラの休憩地として脚光を浴びています。

そして、元自民党副総裁西村英一先生の出身地であります。

姫島は歴史的にも由緒のある島で、古事記、日本書紀にも姫島に関することが記載されています。このことは、姫島では黒耀石が産出し、当時、丸太舟で島外に運び出され、矢じりや石斧等に使用されていたからで、村内に、加工場の跡も発見されています。

生活産業基盤の整備

姫島村は、昭和32年、離島振興法の適用地域に指定され、「本土並みの生活」を目指して、生活産業基盤の整備を推進、特に離島が直面する課題、「光」「水」「医療」の解決に力を注ぎました。その結果、「光」電気は、昭和40年九州電力がケーブルで海底送電してくれるようになり解決しました。

「水」水道は、昭和41年、村内一円に簡易水道が布設され、解決しました。姫島は、離島には珍らしくボーリングにより、地下水が利用できるなど、水が豊富で、過去30年間、断水はもちろん、時間給水もしたことがありません。米をつくっていないため、農業用水が要らないことも、大きな要因であると思います。

また、道路、港湾の整備も積極的に行ってきました。道路は、既設の道路の拡幅や舗装、側溝の整備等を行うとともに、新たに漁港関連道を建設し、道路網の整備を図ってきました。港湾は、村と本土を結ぶ海上交通の拠点として、また漁船の停泊港として重要な役割を果たしています。昭和47年、フェリーの就航により、村の社会経済活動は以前とは比較にならないほど活発になり、村民の生活環境は、大幅に向上しました。

水産業の振興

米が採れず、農業に多くを期待できなかったことから、水産業の振興を村の最重点施策に位置づけ、沿岸漁業と車えびの養殖の振興に全力を投入しました。

沿岸漁業は、明治時代から禁漁時期を定めた「期節定め」や、底引き網を禁止するなどの、いわゆる資源管理型漁業を実施していましたので、これを強化するとともに、漁港の整備や稚魚の放流や魚礁の投入を行うなど、その振興を図ってきました。

車えびの養殖

塩田は、江戸時代の慶長年間から始められた姫島の大きな産業でしたが、昭和34年、時代の流れにより廃止されました。

この、塩田跡地を利用して、昭和30年代に始められた車えびの養殖は、紆余曲折を経て、昭和40年に村も出資する第三セクター「姫島車えび養殖株式会社」が発足し、本格的な産業として定着しました。

同株式会社は、以来何度も倒産の危機にさらされましたが、「四面を海に囲まれた水産の村で、これがつぶれたら村がつぶれる」との村当局の強い意志と、従業員の努力でこれを乗り越えました。昭和50年代後半から平成の初めにかけては全国の生産量の1割を占め、東京築地の車えびの価格を左右するまでに成長します。大分県の一村一品運動の代表として、「姫島車えび」の名前は全国区となり、村活性化のシンボルとなりました。

しかしながら、平成6年、全国的に広がりをみせていたウイルスの病気が姫島にも入り、以来約10年間、生産量は、全盛時の250トンから50トン前後と、5分の1以下に減少。全盛期には60人いた従業員も、リストラをして30名に減ることになります。このような状況のなかで、養殖技術を入れ替えた結果、3年前から業績が回復しており、昨年は140トンの生産量を計上し、明るい光がみえてきています。

観光の振興

昭和25年、瀬戸内海国立公園に編入されてから、「招ぶ観光よりも来てもらう観光」をモットーに観光施策を推進してきましたが、現在は、村の基幹産業である水産業と共存共栄できる観光を合言葉に、交流人口の増加を目指して、姫島のブランドである、「姫島かれい」「姫島車えび」を使って、毎年5月に「姫島かれい祭り」、10月に「姫島車えび祭り」等を開催し、好評を博しています。

村内最大のイベントである盆踊りは、8月15日、16日の2日間開催され、約1万人の人々が見物に訪れています。また、延長500メートルの美しい砂浜と、きれいな海の、海水浴場を整備し、シーズンには、村内外から、多くの人が訪れています。

また、姫島には、お姫様にちなんだ姫島七不思議の1つで「拍子水」と呼ばれる炭酸を含んだ冷泉が湧出し、「拍子水温泉」として活用しています。この冷泉湧出場所は交通アクセスに問題があるため、活用が限定されていますが、この冷泉は、胃腸病や皮膚病、さらに高脂血症、糖尿病に効果があり、現在、これをより活かした医療や観光の振興を模索しているところであります。

生活環境の整備

生活環境の整備にも力を入れており、昭和59年からはじめられた、空き缶回収のためのデポジット制度による空き缶の回収率は90%を超え、村内に空き缶の散乱は見受けられません。デポジット制度は、村民の生活のなかにとけ込んでいます。

下水道は、住民の生活環境の向上と、水産の村が生活排水で海を汚してはいけない、海をきれいにしなければならないとの目的で、平成4年に着手して、平成10年3月に普及率100%を達成しました。事業は、建設省(現国交省)の特環境と、水産庁の漁業集落排水事業で行いました。

また、村内25ヶ所の水洗の公衆トイレは、役場で人を雇って毎日清掃しており、皆さんから「姫島の公衆トイレはキレイで気持ちがいい。」とおほめのことばを頂いております。

さらに、情報化時代に対応するため、平成16年3月、水産庁の「漁業集落環境整備事業」で、村内全域に光ファイバー網を設置し、「ケーブルテレビ姫島」を開局しました。多チャンネル受信と、村内の行事、イベントや出来事等、村内のニュースを伝える自主放送、お知らせや回覧板の役をする文字放送、有料放送、緊急情報の伝達、漁港監視カメラでの港内画像の配信、IP電話、インターネット、在宅の身体の不自由な患者と診療所を結ぶ医療カメラの利用等、幅広い分野で利用されています。現在、ケーブルテレビの加入率は、96%となっています。

保健・医療・福祉の連携

「姫島方式」として高い評価を頂いている、姫島村の保健・医療・福祉の連携「地域包括ケア」は、国保診療所を核として行ってきました。

開設当初は、お医者さんを探すのに、大変な苦労を重ねました。

四方八方手をつくして、お医者さんを探し、勤務がわずか2ヶ月という先生もいましたが、幸い無医村になることはありませんでした。このような状況のなかで、昭和58年より自治医大卒業生の県からの派遣制度が開始され、姫島にも1人派遣されることとなります。さらに同年、地域医療に情熱を燃やす松本先生が東京から着任。待望の医師2人体制ができ、地域に密着した医療サービスができるようになりました。そして、松本先生の発案で、1次医療だけでなく、村民の健康を守るための保健予防活動を行うようになりました。

また、高齢化社会に対応して「寝たきりゼロ」を目標に、訪問看護、在宅入浴サービス等の在宅ケアにも取り組んできました。

さらに施設サービスニーズの高まりから、平成3年に、全国で最初の高齢者生活福祉センター「姫寿苑」を診療所に隣接して建設しました。この施設は、居住部門、短期居住部門、デイサービス部門からなり、診療所と渡り廊下でつながっています。居住部門は、特別養護老人ホームがないという姫島の実状にあわせ、24時間体制で日常生活の介護、援助、食事の提供等、ミニ特養的な運営を行っています。また、ここを拠点に、ホームヘルパーが活動しており、在宅介護サービスの中心にもなっています。

現在、介護保険制度による介護サービスは、診療所と姫寿苑と地域包括支援センターが提供しています。

診療所は、病床数16床(うち療養型病床群6床)、診療科目は内科、外科、小児科、眼科(月1回)、歯科で、血液透析も行っています。また、年1、2回、県による耳鼻咽喉科等の巡回診療があります。

歯科部門は昭和44年に開設し、途中、歯科医師不在のため、休診期間がありましたが、現在は、姫島出身の江原先生が頑張ってくれています。

現在、医師は歯科医師1名を入れて全部で4名。所長の三浦先生は自治医大の卒業生で、3年間、県からの派遣医師として姫島で頑張って頂いた方です。義務年限が終了した後、平成12年から姫島村の職員として着任し、平成14年からは松本先生の後を引継いで、所長として頑張って頂いています。

また、2名は自治医大卒業生で、県からの派遣医師です。

村民は、身体の具合が悪い時には、ほとんどの人が、まず、診療所で診てもらい、診療所で対応できない病気の場合は、診療所の先生に村外の病院を紹介してもらっています。

高齢者の生きがい対策についても、老人憩いの家「白寿苑」を拠点とした老人クラブ活動への支援、高齢者教室、敬老会、敬老旅行、高齢者スポーツ大会、子供達と高齢者との交流の実施等、積極的に取り組んでいます。また、高齢者もゲートボールはもちろん、パークゴルフや「白寿苑」に集まってカラオケや踊りを楽しんだり、村内の公園や墓地の清掃等を定期的に実施するなど、高齢者がいきいきとした活動を展開しています。

一致団結の村づくり

姫島村の村づくりの特徴は、村民が一致協力して頑張ってきたこと、一島一村の「まとまりの良さ」があげられます。

敬老会等の村の行事は、村民が一同に会して開催し、道路や港、上下水道等、社会資本の整備も、地域間で格差が出ないよう、平等をモットーに行ってきました。

西村英一先生の存在も大きかったと思います。

昭和24年の初出馬以降、当選するために必要な得票数の数パーセントしか有権者のいないこの小さな村から代議士となった西村先生は、「村の誇り」であり、西村先生を皆で応援しよう、皆で頑張ろうという意識が生まれました。西村先生の姫島村での得票率は97%を越え、投票率も95%を越えていました。これにより、選挙は投票にいかなければならないという村民の意識が生まれ、現在でも、国、県レベルの選挙でも投票率は90%前後と、全国的にみてもトップレベルの投票率となっています。このことが、村をあげて一致団結していこうという気風がつくられた、大きな要因であると思います。

ワークシェアリング

姫島村のもう1つの特徴は、役場の職員の給与を低く抑えて多くの人を雇用する、いわゆる「ワークシェアリング」を行ってきたことです。

姫島村は、離島という立地条件から、経営的に民間の参入は難しく、診療所、姫寿苑、フェリー等、官ができることは官がやっております。

また、村外からの企業進出もなかなか難しく、地場産業の育成が村活性化の大きな課題となっています。「姫島車えび養殖(株)」の存続に、村が全力を挙げて支えてきたのも、そのためであります。また、村内で最大の雇用体である役場も、「職員の給与を低く抑えて、できるだけ多くの人を雇用する」という雇用施策をとってきました。

現在、村の職員数は190名ですが、120名が診療所、姫寿苑、フェリー等の現場の職員であります。

給与水準、いわゆるラスパイレス指数は73、全国で3番目に低い数字となっています。しかしながら、役場の職員の給与は、農協、漁協、えび会社といった村内の主な職場の職員の給与に比較すれば、かなり高い状況です。

雇用の場が少なく、過疎化を防ぐため、多くの職員をかかえる姫島村にとって、これがベストではないかもしれませんが、ベターであると考えています。

また、助役は平成3年、収入役は平成13年から置いていません。議員定数は、現在10名ですが、今年の選挙から8名にすることが決定しています。特別職や議員の給与、報酬も、職員と同じく低く抑えています。

平成の大合併に参加せず

平成の大合併、東国東郡5ヶ町村の合併協議会に入って協議を続けましたが、結局、姫島村は今回の合併に参加しませんでした。その理由は5つあります。

まず、第一は、職員の給与水準と雇用の問題です。姫島村のラスパイレス指数73に対して、他の4町のラスパイレス指数は95~100で、25以上の差があり、他の町は姫島の制度はいい制度だと思うが、現状では取り入れることは難しいということでした。これが一番大きな理由であります。 

第二に、社会資本の整備が、他の町に比較して進んでいることです。上をみればキリがありませんが、上下水道普及率100%、ケーブルテレビ網の設置等、他の町はこれからという状況です。

第三は、合併すれば、現在うまくいっている保健・医療・福祉の連携、地域包括ケアが後退するということです。現在、村の事業として行っているものが、市の一部の地域、特に離島地域の事業になり、後退することは目に見えています。

第四は、一島一村の姫島村は、他の陸続きの町村とは違って合併のメリットはあまりないし、合併すれば、求心力の低下は避けられません。

第五は、基金を、予算規模と同程度の約20億円と、比較的多く積み立てているということです。国、県の厳しい財政状況のなかで、村の財政も厳しくなることが予想されますが、経費の削減を図りながら、基金を有効に使用していけば、当分は、村の運営はできるということであります。

もちろん、姫島村も合併という選択肢を完全に放棄したわけではありません。財政状況をにらみながら、給与水準や雇用の問題等、条件が整えば、合併について検討していかなければならないと考えています。

これからの村づくりの方向

これからは、今まで姫島村がとってきた施策、水産業の振興、ワークシェアリングや保健・医療・福祉の連携による地域包括ケアシステムの推進、環境対策等を大事にしながら、交流人口の増加を目指して、村の基幹産業である漁業と共存共栄できる、また、「拍子水」を活用した、姫島ならではの観光の振興を図り、村の最大の課題である雇用の場の創出に全力を挙げる方針です。このため、平成18年から県の支援のもと、総務省「ふるさと財団」の助成による、姫島村地域再生マネージャー事業に取り組んでいます。この事業では、「水産業と観光の島「姫島」の創出」を目標に村民一体となった村づくりを目指しています。

また、ハード整備がほぼ終わったいま、ソフト事業として、「人づくり」が重要であります。これまでは、高度成長の流れのなかで、行政主導の村づくりを進めてきましたが、これからは改めて、村民、民間の力や、若い人達のチャレンジ精神を積極的に活用した村づくりを進めていかなければと思っています。