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長野県原村/福祉健康の村づくりを目指して

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月12日
日本一の出荷を誇るセロリーの写真

日本一の出荷を誇るセロリー

「村民の森部会」キノコの菌打ちの写真

「村民の森部会」キノコの菌打ち


長野県原村

2563号(2008年6月12日)  長野県諏訪郡原村長 清水 澄


緑と光豊かな高原の村

原村は、長野県の東南部に位置し、東に八ヶ岳を頂く標高900mから1,200mに集落が開ける高原の村です。

県都長野市からは約90kmと隔っていますが、首都圏からは交通の便が良く、中央線とバスを乗り継いで約3時間、また中央自動車道では約2時間30分で村内に至ることができます。

屏風の如く連なる八ヶ岳連峰は村人の寄り所ですが、その中央に鎮座するアルペン的山容の阿弥陀岳(2,805m)が本村の最高地点であり、その中腹には諏訪大社上社の全国的にも有名な御柱祭の御用材を伐り出す御小屋山があります。総面積43.25平方km、人口7,600人の農業を基幹産業とする村です。

村の歴史は、今から400年程さかのぼる江戸時代初期、諏訪大社神域のお狩場である神野を新田開発して集落が形成されたのを嚆矢とします。明治8年村政が施行されて以来130年、1度の合併を経ることなく「原村」としての歴史を刻んできました。

村の基幹作物は冷涼な気候と長い日照時間を利用しての高原野菜と花卉、それと水稲です。夏場のセロリーは70万ケースを出荷し日本一、ハウス栽培のアネモネも日本一の出荷量です。この他にレタス、パセリ、ほうれん草、又花卉ではスターチスや宿根かすみ草、シクラメン等多岐にわたります。

高度成長を経て

原村には豊かな自然があり、昭和30年代から別荘地開発が始まりました。折から、長野県企業局では菅平方式として地元が開発費を負担しなくて済む開発計画を打ち出し、本村でも開発に拍車がかかりました。また、昭和40年代後半には、全国随一の規模のペンション村が誘致され、観光リゾートの村として知名度も上がりました。ペンション村は一時90棟にもなり、新手の保養施設として別荘と共存し、本村の林間保養が都会の人々の魅力の的となり、今日に及んでいます。

昭和56年には中央自動車道諏訪南インターが開通、利便性が向上し、単に観光地のみならず定住地としても八ヶ岳山麓の自然環境に憧れる人々が多く集まりました。鉄道も国道も通っていない村ですが、これにより人口が増加に転じました。現在も年間50人程度の増加を見ていますが、転入者による要因が主たるものです。

また、農業労働の軽減と生産性の向上のため、構造改善事業に取組み、ほ場整備を意欲的に進めた結果が前記のような農業の発展となり、農業産出額45億円と減少に歯止めがかかっています。

このような中で、本村の福祉を目指した村づくりは始まりました。国と連動した長野県の老人医療がきっかけでしたが、充実した暮らしよい村を作ろうということでした。

合併問題への対応

諏訪圏域の市町村合併問題は何度か起きては消えていましたが、合併特例法に大変有利な特例債という優遇措置が実施されるに及んで、本格的な勢いとなりました。圏域6市町村でも平成14年任意合併協議会を設け、議論を重ねました。本村を除く5市町の大勢は合併推進でしたが、本村の民意は懐疑的でした。それは多分に、後発集落時代の独立団結心の名残もあったでしょうが、突出した本村の福祉後退が明らかであったことも預かったものと思われます。

このような中、村では住民懇談会に当たり、合併協議会の新市建設計画と併せて自立する場合の村づくり計画を作成配布し、住民と共にこの問題を考えました。住民アンケートの結果は圧倒的多数で合併反対となり、平成15年協議会から離脱しました。諏訪圏域の合併問題は残った市町で協議を重ねましたが、住民アンケートで反対が多数となる市町が出て、結局どこも合併しないことで決着しました。

自立する村を

こうして村では、平成16年度住民参加型による行政運営をハード事業からソフト事業への転換を重点として、138項目の事務事業見直しによる「行財政改革プログラム」を編成しました。さらに「第3次原村行政改革大綱」を策定、実施に移しました。

平成17年度には、住民の意見を行政に反映させる目的の「原村夢会議」や「原村を語る会」を開き、斬新なアイデアを寄せていただきました。これらを「第4次原村総合計画」に盛り込んで策定し、住民の理解と参画を得ながら、夢多い活力に満ちた村政運営を心がけることとなりました。

その一端を紹介しますと、生涯学習による村づくり推進があります。学んだことを村づくりに活かしていこうとするもので、住民主導を基本とし、行政はお手伝いに徹しています。現時点で9つの部会があり、「村民の森づくり」-村有林を自分たちの手で手入れ、「体験ツアー」-原村の原風景を復元しようと、耕作しなくなった水田でドジョウを飼い古代米を栽培、「子供の交流広場」-児童館事業の運営、「食用廃油を燃料にする会」-BDFで車を走らせる、等それぞれ活発に活動しています。

「体験ツアー部会」によるドジョウ飼育の写真

「体験ツアー部会」によるドジョウ飼育

保健・福祉・医療の一体化

こうした中で、福祉行政の推進に関しましては、国のゴールドプランを受けて平成6年度に建設した「地域福祉センター」で、保健、福祉、医療の一体サービスを行っています。そのため、それまで別々の課の所管であった保健・福祉・医療を保健福祉課に統合し、事務所も同センター内としました。デイサービスセンターや在宅介護支援センター、診療所が併設され、社会福祉協議会も同居し、従来個々の部門ごとに把握していた関係情報が共有されることとなり、より有機的なきめ細かなサービスが提供されるようになりました。

住民の幸福な生活のためには健康づくりが欠かせません。そのため村では各種健診のメニューを充実し、村民健診またはヘルススクリーニングを年1回住民の方に受けていただくよう無料にて対応しております。また、人間ドックは希望者への7割補助にて受診していただいています。いずれの健診もアフターフォローを含め住民の健康を守る第一関門として対応しています。

原村の健康・福祉がこれにより飛躍的に増進しました。平成17年度には地域福祉計画を策定し、福祉全般にわたって更に機能的、計画的にサービスを展開しています。

診療所診療の様子の写真

診療所診療の様子

老人福祉について

本村の福祉医療は、昭和46年長野県が75歳以上外来の自己負担に補助を始めたのを契機に開始しました。前述しましたように、原村は比較的歴史の浅い村ですが、「この村がここまでやって来られたのは、老人たちの苦労の賜であるから、その老人たちが医療を受けるに経済的な心配だけはないようにしてあげたい」との理念の下、常に国や県の基準の前を走って来ました。一時国の基準以上のことをしている自治体には、国保の国庫交付金にペナルティを設ける等との指導もされましたが、ぶれることなく一貫して行ってきています。

現在65歳以上の方全員に一切の所得制限等設けず、入院時の食事療養費の標準負担額を除く自己負担金について、入院、外来ともに福祉医療費として給付しています。その結果、国保における一人当たり老人医療費は60.8万円と県平均より8万円程低くてなっています。それは、大事に至る前に医療を受けている効果が現れたものと言えるでしょう。

本村のお年寄りは大変元気で、65歳以上高齢者の就業率が県下一となっていることは、福祉施策の効果ではないかと喜んでいるところです。

介護事業関係でも、保険で行う事業の外に上乗せ・横出しを多く取り入れております。

介護予防地域支え合い事業としての生活支援、生きがい活動、家族介護支援等に数多くのメニューを用意していますし、保険対象外生きがい対応型デイサービス、ふれあい訪問、福祉用具等貸与、福祉電話料金補助、保険事業利用者等に対する減免措置等です。また、この他にも数多くのメニューが揃っています。

他の福祉給付について

その他の福祉医療についても内容的には老人福祉と同様で、所得制限を設けず入院食事療養費の標準負担額を除く自己負担分について給付しています。

  • 重度心身障害者につきましては、身体障害者手帳3級以上、療育手帳B1以上、精神障害者保健福祉手帳2級以上、特別児童扶養手当1級、特定疾患、ウィルス肝炎のいずれかに該当する方が対象で昭和48年度から順次拡大してきました。
  • 乳幼児等については、昭和47年度に1歳未満から始まり、順次拡大してきました。平成6年度10歳未満、平成14年度小学校3年生まで、本年度からは中学校3年生まで拡大しましたが、これは子育て支援のためです。
  • 母子・父子家庭は18歳未満の児童及びその父母、また父母のない18歳未満の児童、50歳以上65歳未満の独り暮しの寡婦が対象です。
  • 世帯主医療の福祉医療は、一家の働き手が病気となって収入が途絶えた家庭への支援という考え方で、医療費及び療養費が高額療養費の自己負担限度額を超えた方に給付しています。

子育て支援について

 人口減少社会となり少子化は大きな社会問題となっていますが、本村住民にはあまり危機意識はありません。というのも、本村では人口が増加していますので、現実感がないのだと思います。しかし、人口の増加は転入等によるものであって、自然動態では減少しています。本村の生涯特殊出生率は1.58で、国全体の1.29から見れば高いのですが、年齢階層における20代、30代の割合が男女ともに大分低く、従って人口千人当りの出生数は7人に満ちません。少子化については国でも本腰を入れ始めましたが、その要因はいろいろあるようです。本村としては、村の立場でできる少子化対策と子育て支援、また関連施策を積極的に行っていくこととし、平成18年度では以下のことを新たに行っています。

  • 保育料を平均16%引き下げ
  • 第3子以上については単独入所でも保育料を2分の1軽減
  • 保育士の配置基準を国よりも引き下げ、園児25人に1人とする。
  • 障害児保育のため保育士2名を増員
  • 一時保育にも早朝保育、延長保育を実施
  • 小学校3年生までを対象としていた乳幼児福祉医療を中学校3年生までに拡大
  • 40歳以下の若者が村内に住宅を新築した場合に50万円の補助

また、従来から行っている子育て支援対策として主なものは以下のとおりです。

  • 村単児童手当
  • 誕生会(年2回)ファーストブック進呈
  • 保育所2子同時入所の場合1子分について2分の1保育料軽減
  • 通所通学の交通費支給
  • 幼稚園就園奨励費支給
  • 児童クラブ、学童クラブ開設及び心の教室相談員設置
  • あひるクラブ(3歳未満児)、ジュニア教室開設
  • 子育てサロン開設

その他にも多数の施策を実施しています。

また、各自治体でも行われていると思いますが、不妊治療の他、民間ボランティア団体の読み聞かせや体験教室等も実施しています。

誕生会での記念写真

誕生会での記念写真

今後に向けて

 保育所では平成19年度から、病中、病後保育を診療所と連係して行うべく検討に入ります。また、0歳児保育につきまして、月齢数を10ヶ月よりも更に引き下げるべく検討しています。

 村の中に子供の歓声が満ち溢れるようでないと、元気のある活力に満ちた村とはいえないと思います。平成19年度以後、若者定住、結婚増加、子供増加、安心の老後のため、更なる提案とアイデアを得ながら、夢多い自律の村づくりを進めてまいりたいと思います。

 福祉政策はとかく現金給付を伴うものであります。平成18年度新規事業の財源は、入院食事療養費の標準負担額を福祉医療から外すことで生み出したものが大半でした。地方財政はますます厳しさを増しています。合理化も改革も極限状態です。しかしこのような時こそ希望を失わず、新たなアイデアで挑戦していかねばなりません。

 福祉の充実により、住んでみたい村、住んで良かった村の実現を目指してさらに頑張りたいと思います。