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沖縄県本部町/太陽と海と緑―観光文化のまち

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年7月26日
シニーグ舞の写真1
シニーグ舞の写真2

<シニーグ舞>紺地の着物を着けた女性たち約30名が二重円をつくり、遊び庭いっぱいに輪をつくりシニーグ舞を踊る

御願の写真

<御願>シニーグ期間中、ムラの神人による祈願が行われる


沖縄県本部町

2488号(2004年7月26日)  本部町長 仲榮眞 盛順


本部町の概要

本部町は沖縄本島北部の本部半島の先端に位置し、町域の東側を名護市、北側を今掃仁村と隣接し、西の洋上には伊江島、北の洋上には伊是名島、伊平屋島を望む位置にあります。

地形は全般的に山地形状をなし、半島の中央部に八重岳、本部富士等の丘陵が連なり、その西側から東側にかけての裾野に平坦地があり、農用地および市街地を形成しています。

本町は日本一早咲きの桜の名所で知られる八重岳を中心とした山々と、水納ビーチや瀬底ビーチといった、国内有数の透明度を詩るビーチ等、山・平地・海がバランスよく触合する総面積は54.29平方m、人ロ1万4千人余の自然環境に恵まれたまちです。

農業・漁業・商工業と着実な発展を遂げており、特に観光関連産業においては「ウェルネスのまちづくり」という視点から、保養型・長期滞在型観光にもカを入れており「国民の総合的な保養の場」である観光県・沖縄において、本町もまた「観光文化のまち」として、その重要な役割を担っています。

高齢化や過疎化、高度情報化社会の時代の波にもまれながらも町民と一丸となり、注目を集めるまちとなることを目指しています。

太陽と海と緑-観光文化のまち

本町では昭和59年に策定された「本部町総合計画基本構想」において、本町のまちづくりの将来像を「太陽と海と緑-観光文化のまち」と定めています。

「太陽と海と緑-観光文化のまち」とは、亜熱帯のあふれる太陽のもとに築ぎ上げられた、町民一人ひとりが身近に実感しうる住みよい町のイメージであり、すなわち、海、山の自然の恵みと固有の文化に根ざしつつ、自然の摂理はもとより、人間性を大切にする姿勢を基調とした観光文化のまちの実現を目指すものです。

本総合計画では、まちづくりの基本目標として以下のとおり定めています。

  • 活力と賑わいに満ちあふれたまちづくり
  • 自然のめぐみを守り活かした環境共生のまちづくり
  • 快適でゆとりのある暮らしの場を実現するまちづくり
  • いきがいと安らぎのある健康福祉のまちづくり
  • 未来を担い、明日を開く心やさしい人づくり
  • 安心して暮らせる町のしくみづくり

むらの伝統文化顕彰を受賞

本町は伝統文化の豊かな町であり、平成15年度に町指定の文化財「具志堅のシニーグ」を「第3回むらの伝統文化顕彰」に推薦したところ、「(財)都市農山漁村交流活性化機構理事長賞」を受賞しました。

「むらの伝統文化顕彰」とは、農林水産省等が主体となって、農山漁村の伝統文化の価値を理解し、その維持・継承・活用において積極的に取り組んでいる方々などを顕彰し、農山漁村の魅力として広くその活動をPRするコンクールであり、「具志堅のシニーグ」については「むらのみんなで支える行事」として県内で初の受賞となりました。

シニーグについて

シニーグは沖縄本島中北部の古い集落や島々等で行わている神事であり、本部町具志堅区では、旧暦の7月19日から7日間に渡って行われ、村落祭事の中では最も長期なものとして知られています。

シニーグは、稲の収穫後にその豊作を祝い、それを神に感謝するとともに、来年の豊作、豊穣を予祝(祈願)するものです。具志堅シニーグは、「神迎えの行事」に始まり、「豊漁・豊穣の感謝と予祝の儀礼」「祓いの儀式」「修祓儀礼の後の性別の儀礼」「奉納踊の儀礼」が次々と繰り広げられ、7日間続く祭祀の中の最後に、感謝と祈りを込めて、村落の女性たちが神アサギの前や遊び庭で、シニーグ舞を奉納する「奉納踊の儀礼」があり、これが最も大きな儀式となっています。

シニーグ舞は、紺地の着物に白い手巾の鉢巻やマンサージをして着飾った女性達が円陣をつくり、音頭取(ニートゥイ)の鼓や歌に合わせてシニーグ唄を歌いながら、拝み手、押す手、こねり手等を中心とした原初的な所作を伴うゆるやかに舞う集団舞踊であり、平成9年には無形文化財として町の指定を受けています。

具志堅シニーグの活動内容等

沖縄本島の北部、本部半島の本部町と今帰仁村の境に位置する具志堅区は、瓦葺きの木造家屋が数多く見られ、緑豊かな昔ながらの農村風景を残しています。集落には遺跡や貝塚等が多く、その歴史は相当古いと考えられています。

具志堅集落には、湧き水や井泉が豊富に存在し、絶え間なく湧きいずるフプガー(大川)を農業用水の源として、古くは棚田による稲作農耕文化発展の歴史があります。今でもフプガーのせせらぎには、エビやカニ、ウナギ等も生息し、水道が整備されるまでは飲み水としても利用され、広く地域の生清を支えてきた信仰の場・憩いの場として、今なお大切にされ、具志堅シニーグでもこのフプガーを守っています。

その活動年数は、文献等がないためハッキリとは分からないものの、区の言い伝えによると300年以上もの歴史をもっています。

祭祀は、年一回開催され、15歳から90歳までの世代を越えた区民全ての参加によって行われ、7日間の延べ参加人数は町内外を含めると200人以上にもなります。この時期は、区出身者も帰郷して祭りに参加し、地域内外からのみんなで支える伝統行事として今日まで守られています。  祭祀の順序は、①旧7月19日ウーニフジ(神迎えの行事)に始まり、②旧7月21日フプユミ(豊漁・豊穣の感謝と予祝の儀礼)、③旧7月23日シルガミ(祓いの儀式)、④旧7月24日女のユバイ(修祓儀礼後に行われる性別の儀礼)、⑤旧7月25日シニーグ舞い(奉納踊の儀礼)、⑥旧7月25日タムトノーイ(無事終了を祝い慰労する会)となっています。

特に旧7月25日のシニーグ舞いは、7日間の祭祀の中で最も大きな行事で、60~70名の女性が参加し、紺地や浅地等の晴れ着を着け薄化粧をした女性たち約30名が二重円をつくり、遊び庭いっぱいに輪をつくってシニーグ舞いを奉納する。「嶽の前の御庭に御迎旗立てて(タキヌメヌウミャニウンケバタタティティ)大弓とシニグ(フプユミトゥシニグ)御迎さびら(ウンケサビラ)(※御嶽の前の広場に、お迎えの旗を立てて、大折目とシニーグ行事を迎えましょう。)の「しち踊り」に始まり、11曲39節、拝み手、押す手、こねり手等の舞いの技法も多彩で約50分間踊ります。具志堅のシニーグ歌は、町内で最も多く、技法も多彩で特色があります。

これまで祭祀が守り続けられてきたのは、祭祀の時期になると自然と区民の協力のもと準備が進められ、歌や踊りの先生がなくとも長老から若者へ受け継いでいく区の強い繋がり、近年の過疎化・高齢化問題や後継者間題の中では、区長を始めとした関係者がシニーグ保存会を作って、定期的に歌や踊りを練習し、長老から後世への保存・継承のための取組みが行われています。

これまでの区民一丸となった伝統文化継承への取組み結果から、町外NPO法人が主催するシニーグ観賞や、県外大学の学芸員実習生等による具志堅シニーグの調査・紹介も行われ、町内外の人々を巻込んだ地域興し、伝統文化の伝承が行われるようになってきています。

また、かつての地域の有する農村の歴史・文化・風景が消えつつある懸念が高まる中、平成12年には、区出身の学識経験者らが農山村活性化研究会を設立し、この組織を中心に、地域の歴史を見つめ直しながらの活性化方策を研究してきています。研究会では、農業用水の源として今でも大切にしているフプガーを活用した稲作農耕文化からの地域発展に着目し、これまで時代とともに先駆的な農業の取組みによって大規模な畑地へと姿を変えた棚田について、遊休化している土地を利活用しながら棚田復元整備を計画し、かつての田園風景を取戻すとともに、棚田を活用した都市住民との交流による地域活性化への研究活動を展開してきています。この活動は、田園空間整備事業に位置付けられ、隣接する今帰仁村とも事業連携を図りながら、区民が一体となった地域興し、伝統文化の継承活動が更に前進したところです。

具志堅シニーグの地域外活動の経歴については、第38回九州地区民俗芸能大会、平成8年やんばる村まつり、平成13年韓国済州道-沖縄県伝統芸能交流公演、2000年に開催された沖縄サミット等に出演しており、その活動を広くPRしています。

具志堅集落の様子の写真

具志堅集落の様子(茅葺き屋根の木造家屋が多く、サトウキビを中心として農業が営まれている)

シニーグ舞の練習の写真

シニーグ舞の練習(旧盆明けからシニーグ舞の前日までの期間、子どもたちから長老まで、夜遅くまで踊りや歌の練習が行われる)

シルガミの写真

シルガミ(かつての農業用水の源である湧水プフガー(大川)。旧7月23日のシルガミ。区民による清掃が行われる。)

地域文化を継承・発展させるために

本町には、国指定文化財2件、国選定文化財1件、県指定6件、町指定12件の文化財のほか、グスク、拝所等の聖地、組踊、村踊りなどの特色ある無形文化財があります。こうした文化財は町民の心のよりどころであり、町民共有の財産であり、町民活動の源泉でもあるといえます。このため、今後ともこうした地域文化の保存・継承に努めるとともにさらに新しい時代に対応した新しい地域文化を創造する多様な文化活動を積極的に促進し、教育文化の町づくりを推進していきます。