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鹿児島県川辺町/ごみゼロをめざしたまちづくり~国内初のダイオキシン無毒化に成功~

印刷用ページを表示する 掲載日:2004年3月1日
焼却灰を利用したレンガの歩道「エコ・ロード」の写真

焼却灰を利用したレンガの歩道「エコ・ロード」


鹿児島県川辺町

2471号(2004年3月1日)  川辺町町民生活課長 東 利文


川辺町の概要

川辺町は、鹿児島県の薩摩半島の中央部に位置した面積127.35平方kmの盆地状の町です。

町の中央部を流れる南薩最大の川、万之瀬川は町の北東部に源を発し、豊かな水量は田畑を潤すとともに電力の供給源としても利用されています。

人口は昭和22年の29,267人ピークに減り続け、現在は15,271人となっています。町の基幹産業は国の伝統的工芸品の指定を受けた仏壇産業と農業です。

川辺と仏壇の関わりは、3世紀ごろこの地域を統治していた豪族川邊氏が、仏壇の信仰が篤かったこと、平家の落人たちが住み着き磨崖仏などの仏跡を残したことなどがあげられ、仏壇づくりの技術的、精神的な土壌が長い歳月の間に培われてきたものと言えます。

また、農業では「メロンとレタスのまち」として定着していますが水稲、花卉などの栽培も盛んに行われています。特に畜産が盛んで「かわなべ牛」や「かわなべ地鶏」などの特産品があります。

地球と助け合い住民がしあわせを創るまちづくり

まちづくりは行政と住民が相互に理解し、協力して一体となって進むべきでものです。過疎と構造的な不況の中で小さな町が生き抜くためには、「住民が主役となり、行政は支援者に徹すべきである」と考えた町長は「まちづくり委員会」を設置しました。

まちづくり委員会は、地域づくりに対する住民のさまざまな声を行政に反映させるための住民組織で委員は町長が委嘱した専門委員とボランティアなど60人で構成されています。

運営方法は、町を4つの地域に分けそれぞれの地域の委員が月に1回、住民集会を開き、意見や要望をまとめて町に提出する方法を取っています。

道路一本造るより人の命が大切

川辺町は1973年に清掃センターを建設し翌年から一般廃棄物の処理を開始しました。清掃センター隣の谷間には、以来20数年間廃棄され続けた焼却灰や安定5品目及びそれ以外の廃棄物も埋められています。そのほか清掃センターの能力を超えて持ち込まれたごみはその場で野焼きされていました。

97年1月当選と同時に町内を行政視察していた町長は、その様子を目の当たりにしてあまりのひどさに驚き、早速「道路一本造るより人の命が大切」と野焼きや埋立てを中止しました。

思えばこれが川辺町の「ごみゼロ」をめざしたまちづくりのスタートでした。そして住民との対話集会でこの言葉が繰り返えされる中、発足したばかりのまちづくり委員会が「地域住民は悪臭や煙に不安を抱いていたが、行政は長い間放置していた」と清掃センター隣の谷間に捨てられた焼却灰に含まれるダイオキシン類の調査を求めてきました。

ダイオキシン類調査結果を公表

長い間埋められてきた焼却灰は約1万トン近くあると推定されました。国においては「ダイオキシン類発生防止等ガイドライン」が改正され本格的なダイオキシン類の発生削減対策が始まったところでもあり、町ではこの埋め立て焼却灰と最終処分場から出る浸出水に含まれるダイオキシン類を調査分析することとしました。

しかし、当時は分析機関も少なく分析には1検体あたり多額の費用が必要で財政力の小さい町にとっては負担が大きすぎました。そこでダイオキシン研究の第一人者として知られる摂南大学(大阪)の宮田教授に調査分析を依頼しました。研究の一環として分析してもらえば安くてその後の対策も指導してもらえるだろうという考えからでした。

宮田教授は調査に熱心で協力的な町の担当者を見て、「普通は事実を隠そうとするのにこの町はちょっと変わっている」と思ったそうです。

調査の結果、浸出水には問題はありませんでしたが、埋め立て焼却灰から検出されたダイオキシン類濃度は平均1,300ピコグラム、最大値で5,650ピコグラムでした。

町長は「行政が行うことを住民はすべて知る権利があるし、隠しておいても何の解決にもならない」とその結果をすべて住民に公表しました。

その上で過去のずさんなごみ処理をお詫びし、住民の安全な生活を守るために適正に再処理することを約束しました。このことがみんなの共感を呼び悪臭や煙に不安を募らせていた住民も、ようやく町のやることに信頼を寄せてくれるようになりました。

ごみ焼却プラントの写真

ごみ焼却プラント

ダイオキシン類無害化の経緯

高濃度に汚染された埋め立て焼却灰が放置された状態のままでは、環境汚染が拡大し、住民の健康を害する危険性が懸念されました。住民からの要望もあって早急な対策を講じる必要性に迫られていたため、緊急対策処置として埋め立て焼却灰を搬出することにしました。

受け入れ先は宮崎県都城市にある民間の管理型最終処分場です。98年から01年まで計4回、5,553トンの埋め立て焼却灰の搬出を行いました。

川辺町のような小さな自治体にとっては搬出の費用も大きな財政負担となりました。また近年のダイオキシン類問題の発生によって、他の地域の最終処分場への廃棄物の搬出や受け入れは極めて困難になることが予想されました。

そこで町は、廃棄物処理や焼却施設でのダイオキシン処理対策として財政基盤や行政規模に適合した低コストで環境に負荷をかけない安全な処理技術の導入が必要と考えました。

宮田教授の紹介により、ドイツ・ハノーバー大学の名誉教授フリードリッヒ・ベルジング博士が開発した塩素化合物の分解技術である「DCR脱ハロゲン化工法」を導入、関係企業も参加して産学官の共同でダイオキシンの無害化実験に着手し、01年4月実験はみごとに成功しました。02年1月環境省がこの技術を承認し、同年12月補助事業によって本格プラントが建てられダイオキシン無害化が本格的にスタートしました。

ごみ19分別への取り組み

埋立て焼却灰等のダイオキシン類調査分析に取り組んでいる最中にも清掃センターの焼却施設からは毎日のように灰が出て来ます。その灰を減らすには焼却するごみの減量化が必要でした。一方、家庭や事業所から出されるごみは、年々増加傾向にありました。その適正処理には膨大な費用がかかり町の財政を圧迫しています。

また、環境に対する負荷を少なくして町民が安全に暮らせるためには、徹底したごみの減量化が必要でした。2000年度から容器包装リサイクル法が完全実施されることもあって、町はごみ減量と再資源化を目指して同年10月からごみの17分別を始めました。

その際、ごみステーションの設定も地域毎に今後の高齢化の進展等を考慮し、排出しやすい距離、場所等を選定して町に届け出る方法をとりました。また、排出方法はコンテナ方式とし、住民が直接分別することでリサイクルへの参加意識の高揚に努めました。

その結果、燃やすごみの量はこれまでより約4割減少させることができました。また、収集は町内の通所授産施設に委託したことで社会復帰のための作業として喜ばれ、町も経費節減になっています。

同時に清掃センターでも徹底した燃焼管理を行い、焼却残渣やダイオキシン類発生の抑制に努めました。それでも焼却灰に含まれる重金属の鉛の濃度が高かったためその対策として02年度からプラスチック類を加えて19種類の分別収集を始めました。これで燃やすごみはさらに減少しました。もちろん週に5日焼却していた清掃センターの稼働日も現在では2日となっています。

ごみの分別は住民自身で

ごみの分別は住民自身で

ごみゼロへの挑戦

町はいま「ごみを出さない・ごみを燃やさない・ごみを埋めない」を基本的考え方として家庭から出るごみや焼却灰等を全てリサイクルして、ごみゼロの資源循環型社会をつくろうと模索しています。

そのひとつとして、生ごみ収集と堆肥化があります。町ではこれまで生ごみのコンポスト化や生ごみ処理機の購入補助を行って個人による生ごみの堆肥化を勧めてきました。生ごみは、ごみ全体の3割を占めるうえ水分が多く燃えにくいためにごみ焼却時の妨げになっています。

町では01年度から有機農業推進係を新設し、家畜糞尿の堆肥化と有機農業の推進を目指しています。イエバエの幼虫による有機物の分解力を利用して家畜の排泄物を短期間に堆肥化する方法です。既に家畜糞尿とともに生ごみの堆肥化も実験は終了しており、今後実用化をめざしています。これが実現するとさらに大幅なごみの減量となることは確実です。

今後の課題と展望

緊急的な処置として搬出した埋立て焼却灰は調査の結果まだ約7,000トン残っていることが分かりました。  町では現在、2日しか稼動していない施設の余剰能力を使いこの灰のダイオキシン無害化に取り組み、これまで埋められたごみも掘り起こして再処理する計画を立てています。

一日でも早く再処理が終了し「住民が安心して暮らせるまちを」と望んでいます。また、ダイオキシンの無害化プラントから出された処理灰を利用したレンガも開発され「かわなべエコ・レンガ」として商品化されています。歩道等に敷き詰められたレンガの良さが徐々にではありますが認められてきています。同時にレンガ以外へのリサイクルも開発中です。近い将来ごみは分別で全て資源化され、灰はレンガ等に全量リサイクルされる「ごみゼロのまちづくり」が必ずできると信じています。