2655号(2008年10月6日)
産業振興課 中村澄雄
飯島町は「ふたつのアルプスが見えるまち」です。西に中央アルプスを望み、東に南アルプスを望むことのできる風光明媚な町です。
面積は、約87平方㎞で、その4分の3近くが森林となっています。この標高の高い山々や広い森林が、私達の生活に大きな恵を与えてくれています。
また、内陸型気候で、春夏秋冬がはっきりとしており、昼夜の温度差も大きく、年間降水量は約2,000㎜弱で、こうした自然環境を活かして、古くから農業の町として発展してきました。
人口は、約10,500人~11,000人前後で、この40年間、ほぼ横ばいで推移してきています。就業人口も、約6,000人余で推移してきていますが、第2次・第3次産業が増加する一方で第1次産業である農業の就業者は、現在1,100人余と、30年前と比べると2分の1以下になってしまいました。
耕作面積は、徐々に減少しており、現在は、約1,000ヘクタール余、農家数は、約1,100戸で、その内、専業農家は、約120戸となっています。飯島町の農業経営者のほとんどが、兼業農家や自給的農家となっています。
農業生産額は、徐々に減少していますが、平成18年は、約29億円となっており、主な農産物は、米麦雑穀類、花卉、栽培きのこ、果樹、野菜などとなっています。
飯島町では、平成5年度から地図情報システムを導入して、農地基本台帳、農用地利用調整、農作業受委託・精算、水田の生産調整、中山間地域直接支払など多種多様な業務に活用しています。
現在の飯島町の農業は、大きな転換期を経て今日に至っています。その転換期とは、昭和45年から始まった水稲の減反政策、そして、昭和48年から62年にかけて実施した、町内全域を網羅した県営圃場整備事業、さらに、昭和49年から55年にかけて実施した第2次農業構造改善事業があげられます。これらの水稲の減反政策や大規模圃場への農地整備、そして大型農業機械の導入等は、飯島町の農業のあり方を大きく変えることとなりました。それまでのように水稲を中心とした農業や、自己完結型の農業設備投資では、農業経営は立ち行かなくなりました。さらに、農業経営者の高齢化や農業後継者の課題に直面することとなりました。
こうした状況を憂慮した飯島町農業委員会から、昭和60年に町長に対して、飯島町営農センター設立構想の建議がありました。その後、町では、この建議に基づいて集落別の説明懇談会を開催し、翌年の昭和61年に「飯島町営農センター」を設立し、活動を開始しました。営農センターの構成員は、議会、農業委員会、農業協同組合、農業共済組合、集落農家組合、地区営農組合、普及センター、農業開発公社、消費者、知識経験者、町産業振興課など農業に関わるすべての組織と、全農家が参加する組織として発足しました。
営農センターの下部組織には、地縁的繋がりのある4つの地区に、それぞれ「地区営農組合」が平成元年に設立し、その役割として、営農センターは、町全体企画調整機能を分担し、地区営農組合は、計画実践活動を分担することとして、活動が今日に至っています。特に、地区の営農組合は、「地域の農業は地域が守る」との考えにたって実践活動を展開しています。
また、平成17~19年には、高齢化や国の農業政策にも対応するため、この4つの地区に、地区営農組合や地区内の農業者が出資する全農家参加型の「地区担い手法人」を設立しました。この地区担い手法人は、地域に信頼され、地域に頼りにされる法人経営をめざすと共に、地区の中核的な農業の担い手として、さらに、農地の借り手として、また、大型農業機械施設の共同利用運営組織として様々な活動を展開しています。
この地区担い手法人の誕生によって、遊休農地を大幅に抑制する効果も顕著に現れています。さらに、この地区担い手法人を母体にして、今までの小規模農家でも、実質的に水田経営所得安定対策(米・麦・大豆)の支援を受けられる仕組みも構築しました。
営農センターでは、厳しい農業情勢に対応するため、様々な取組みを企画実践して成果をあげています。
その一つに「地域複合営農への道」があります。この取組みは、かつての個人完結型の水稲主体の農業から、「花と果物ときのこ・野菜の里づくり」を推進し、特定農作物の専門経営は元より、様々な農作物を組み合わせた農業経営を推進してきました。事業推進にあたっては、国庫補助事業による花卉・野菜のハウス団地やきのこ栽培施設をそれぞれ数箇所整備しました。
「地域複合営農への道Ⅲ」と題した計画書
もう一つの地域複合営農への道は、様々な農業経営体が、共存共栄の基に、経費の削減と農業収入の向上をめざした取組みです。特に、土地利用型の農業面では、地区担い手法人が中心となって、農家からの受託作業として、大型農業機械の共同利用による水稲栽培作業のほか、水田転作では、麦・大豆・そば等の生産販売を行っています。
また、本郷地区においては、水田を1~2ヘクタールのブロックに分け、「ブロックローテーション」により転作を実施しています。転作田の中心は、そばの栽培で、今では長野県下唯一のそば原種の生産地となっています。
飯島町には、約1,000ヘクタールの農地があります。町全体の農地を「自然共生農場」と位置付けて、化学肥料や化学合成農薬をできる限り削減した環境にやさしい栽培方法により、安全・安心・美味しい・新鮮な農産物を消費者に提供しようという取組みです。この取り組みによって、植物や小動物などの自然と共生する農村環境を向上させようと努力をしています。
飯島町1,000ヘクタール自然共生農場基本計画
営農センターでは、7年前から生活クラブ生活協同組合・東京の皆さんと一緒に、町内9ケ所の定点で毎年「生き物環境調査」を実施しています。飯島町の農村環境を消費者の皆さんに具に見ていただき、農産物の物流に繋げて行きたいと考えています。
また、休耕田などを利用してビオトープ(生き物の住処)づくりも進めています。最近では、ホタルが徐々に増えてきており、ドジョウやハッチョウトンボなども若干見られるようになりました。
営農センターでは、「自然共生栽培」と称して化学肥料や化学合成農薬を極力削減した栽培技術を確立するため、数年前から試験圃場で試験栽培を繰り返しながら、自然共生部会に所属する農家を中心に農作物の生産や、店頭販売活動も行っています。また、エコファーマーの認定を受けた農家も現時点で75人に達しています。
平成19年度から「農地・水・環境保全向上対策」が始まりましたので、地区営農組合は、「共同活動」の構成員として地区を中心に、「営農活動」の取り組みの推進を図るため、作物別要件から面的要件を満たすような取り組みを進めています。
道の駅花の里いいじま
飯島町と営農センターでは、地産地消の具体的取組み拠点施設として「道の駅花の里いいじま」を、平成14年度に開駅しました。この道の駅は、四季折々の新鮮な農産物や農産加工品を毎日提供することで、町内の消費者は元より、県内外の多くのリピーターを増やし、昨年は、開駅5周年を迎えると同時に、5年にしてレジ通過者100万人を達成しました。人口1万人の町に年間20万人の人が買い物に訪れていることになります。売上額も年間2億円を上回り、6年連続で売上を伸ばしています。これも、農産物の生産者や道の駅利用組合の役員、そして道の駅マネージャー始め従業員の皆さん等の弛まぬ努力の成果であると思います。
また、この道の駅は、西に中央アルプス、東に南アルプスの見える眺望の非常に良い場所にあることから、訪れるお客様の癒しの場ともなっています。
アグリーネーチャーいいじま
飯島町の都市交流と新たな農産物の物流拠点施設として、平成15年度に「アグリネーチャーいいじま」を整備しました。都市との交流を通じて「いいじまファン」づくりを進め、農産物の物流や誘客に繋げていきたいと考えています。アグリネーチャーいいじまには、毎年、農業体験や大学生などのゼミナール・合宿など多くの皆さんが訪れる施設となりました。
特に本年度から、農林水産省、総務省・文部科学省による「わんぱく民泊」事業が始まりましたが、飯島町では、千葉市の小学6年生を農山村留学として受入れて、本年度で6年目になります。農家民泊2日を含む4泊5日の日程で、様々な農業体験や交流、そして飯島町の自然を満喫していただいています。受入れる飯島町としても、千葉市の小学生から農家や町民の皆さんが「元気と感動」をもらえるなど、双方にとって評価の高い事業となっています。
飯島町は、「花の町」でもあります。アルストロメリア、ユリ、カーネーション、ラン、バラなど様々な花が大量に栽培されています。このことから、飯島町には、「わが町は花で美しく推進機構」という組織があります。この組織では、住民協働によって、沿道、集落施設、公共施設等に花を植える活動を行っています。また、地元の花を地元で販売しようと始めた「いいじまはないち」は、本年度で19回を迎えました。毎年8月12日に開催するこのイベントには、町内外から大勢の皆さんが訪れています。
本年度で14回目を迎えるコスモスまつり
飯島町では、もう一つ大きな花のイベントを行っています。それは、本年度で14回を迎える「コスモスまつり」です。 約4ヘクタールの転作水田に景観作物としてコスモスを栽培し、10月中旬の土・日曜日にイベントを開催しています。長野県下最大級のコスモスの花を堪能するため、県内外から多くの観光客が訪れ、秋の農産物の直売ブースも大盛況です。
飯島町では、毎年2月上旬の日曜日に「むら夢楽塾」を開塾しています。本年で15回を迎えたむら夢楽塾では、今後の飯島町の農業のあり方などを、パネルディスカッションを通じて議論したり、夜なべ談義を通じて情報交換などを行っています。また、農業功績者表彰も行っています。
飯島町の組織営農は、一夜にして構築されたものではありません。大勢の農業者や農業関係者の皆さんの弛まぬ努力と、長い年月をかけた活動の成果なのです。私達は、先人達に学び、将来を見据えた情報判断能力を養い、このすばらしい農村環境とともに、次世代を担う子供たちに農業という資産を引き継ぎたいと考えています。
儲からない職業には、後継者は生まれません。農業経営は、国の政策や国内外の社会情勢、それに気象の変化などに大きく左右されますが、経営体として、今後は「儲かる農業」をめざしていかに取組むのか。様々な工夫と努力をしていかなければなりません。
また、「1,000ヘクタール自然共生農場づくり」の推進と合わせて、組織営農への「行政の関わり方」の検証と、「自立する農業経営体の育成」をどう進めるのか。しばらく答えの出ない課題に取組むことになりそうです。