目 次
はじめに
1.容認し難い自治体再編論 ―合併から合併後へ―
   ( 1 ) 町村の自主性・多様性を否定する自治体再編論
    @自主性の否定
    A多様性の否定
   ( 2 ) 人口規模による町村の「切り捨て」
    @市と町村
    A不合理な小規模町村論
   ( 3 ) 誤った「依存する町村」のイメージ
2.農山村の価値と町村の創造力
   ( 1 ) 農山村の多面的な価値
    @生存を支える
    A国土を支える
    B文化の基層を支える
    C新しい産業を創る
   ( 2 ) 町村の創造力
    @行財政改革
    A新しい公共事業・独自の補助事業
    B農業振興
    C林業振興
    D情報化
    E人材育成
    F教育
    G文化
    H住民参画
    I福祉・健康
    Jグリーンツーリズム
    K環境
3.町村の訴え
  (1)町村の存在意義を認めよ
  (2)町村の創造力を活かせ
  (3)市町村連合( 仮称) を構想せよ
    @ 広域連合の可能性を否定するな
    A「市町村連合」( 仮称) を構想せよ
  (4)地域自治組織を創設をせよ
  (5)税源移譲を進め、交付税制度を維持せよ
おわりに

 

はじめに

 全国町村会は、農山村(漁村を含む)のかけがえのない価値を否定するような動きに対して、一昨年には「私たちは提言します。21世紀の日本にとって、農山村が、なぜ大切なのか―揺るぎない国民的合意にむけて―」(平成13年7月)、昨年には「いま町村は訴える」(平成14年11月)と題する小冊子を作成し、広く各界各層の皆さんに訴えてきました。
 わが国には、現在、2,540の町村が、山間部や離島から大都市の隣接部まで、極めて多岐にわたって存在しています。町村は、国土の大半を占める農山村地域を抱え、これら町村の活動によって、空気、緑、水、土壌など生命の営みに不可欠な自然環境の維持が可能になっています。
 市町村合併が「強力」に推進される中で、私たちが憂慮しているのは、地域の多様性を活かした自治の力を奪う動きについてです。このたびは、この点を含め、自治体再編論に対する、私たちの見解を述べることにしました。


1.容認し難い自治体再編論 ―合併から合併後へ―


(1)町村の自主性・多様性を否定する自治体再編論

@自主性の否定
 全国の市町村は、やっと実現の運びになった分権改革によって、これから自己決定・自己責任の実をあげていこうとする矢先に、その暇もなく、合併をするか、しないかの対応を迫られることになりました。
 与党・政府は、財政支援という「アメ」を用意して、合併に向けての強い働きかけを市町村に行っていますが、第27次地方制度調査会における「論点整理」(平成14年7月)では、「小規模市町村の区域における事務処理」に関して次のように指摘し、いよいよ、合併しなかった市町村に対する「ムチ」を用意し始めました。

○今後、基礎的自治体として期待される役割を担うことが、財政事情その他の総合的な事情から困難となる場合、その担うべき事務の一部については、都道府県に配分するか(垂直補完)、それ以外の団体に配分するか(水平補完)。また、都道府県以外の団体に配分する場合、住民の意向反映という問題をどう考えるか。
○垂直補完方式と水平補完方式の選択を認めることが考えられるか。
○上記の措置の対象となる団体について、引き続き、基礎的自治体としての法人格をそのまま残すか、基礎的自治体ではない形で法人格を有するものとするか。

 私たちには、この論点整理に示されている、「小規模町村」の事務権限を制限・縮小し、それを都道府県が行ったり(垂直補完)、周辺の市町村が行ったり(水平補完)するというような仕組みが現実にうまく機能するとはとても考えられません。都道府県が市町村のいかなる事務をどのようにして処理できるのか疑問ですし、周辺の市町村に事務を肩代わりしてもらうといっても、その町村が「属国ならぬ属地扱い」の感じを持たざるをえないことになり、水平補完も垂直補完も、現場感覚の希薄な発想であって、とても「制度構想」とはいえないのではないかと考えます。
 まして、「補完」措置の対象となる町村について、基礎的自治体としての法人格をそのまま残すか、基礎的自治体ではない形で法人格を有するものとするか、といった論議が、検討事項になっていること自体に驚かざるをえません。「小規模町村」を憲法が規定する「地方公共団体」から外してしまえば、そうした町村がほとんど農山村地域に所在することを考えるとき、いったいだれが、これらの地域を一体的に捉え、総合行政を展開して、国民的財産である農山村を維持・発展させていくのか見通しが立たないからです。
 しかも、これらの「小規模町村」について、地方交付税の割増措置等をさらに縮小すれば、その財政運営はますます苦境に追い込まれ、その地域から人が去り確実に衰退していくことは、だれにでも想像できるからです。

 この「基礎的自治体」のイメージとそれに伴う「小規模町村」の扱いに関する方策は、私たちの思いに反して、平成14年11月1日の「地方制度調査会第10回専門小委員会・西尾私案」の中に、かなり明確な形で出てきました。「私案」の要点は次のとおりです。

○平成17年4月以降、一定期間を定め、もう一度合併運動を推進して、すべての基礎的自治体が、市並みの事務権限を処理できるようになることを目指す。
○その際には、今の財政支援策ではなく、まったく別の方法によるべきである。
○解消すべき市町村の人口規模を予め法定し、一定期間経過後もこの基準を満たさずに残存する小規模な団体には、残された選択肢を予め明示しておく。
○その選択肢は、「事務配分特例方式」(都道府県補完)とか「内部団体移行方式」(基礎的自治体へ編入)とする。

 合併は市町村にとって、自治の区域に関わる最も重要な意思決定事項でありますから、自主合併が本筋です。「私案」は、このたびの合併後に残る人口が一定規模に満たない市町村の合併を強制的に推進することとし、それでも残る一定規模に満たない市町村については、「事務配分特例方式」(都道府県補完)とか「内部団体移行方式」(基礎的自治体へ編入)などによって、基礎的自治体からはずそうとしています。現行の町村が皆無になる案と考えられます。こうした一連の新たな合併方式は、地方分権改革の中で掲げられてきた「自己決定・自己責任」の拡充という理念に矛盾するものであります。

A多様性の否定
 「私案」の、全土を一律に基礎的自治体に再編するという主張は、地域の多様性を否定するものでもあります。分権型社会の創造にあたって、重要であるはずの地域の個性を活かした多様な自治の展開や自治体間の対等・協力の構築の必要性が看過されています。
 日本の国土の多様性と町村の役割を無視して、本当に農山村の維持は可能でしょうか。
 これまで町村は、森林の水源涵養機能や食料自給の機能等の重要な役割を果たしてきました。また、「私案」では、町村が小規模であるがゆえに、今後はそれらの重責に堪えられないと断定していますが、地域の現場を熟知している住民たる町村の職員がいてこそ、きめ細かな行政を展開できるのではないでしょうか。
 基礎的自治体の特色は、(@)身近さ(単に地理的、心理的に近いというだけでなく、自ら治めるという意味で自治の実践の場)、(A)現場性(すべての施策の適否や有効性を最も的確に判断でき、また地域・住民と直接付き合わざるを得ないために苦労が多い)、(B)透明さ(住民の暮らしに密着した、しかも住民相手の仕事が多いだけに仕事ぶりが住民の眼にさらされ開かれた行政運営をせざるを得ない)、(C)先端性(これまでの制度ややり方では適切に解決できない問題の発生に誰よりも早く気づき、国や県に先駆けて問題提起を行い新たな施策を試みていくところ)、に求めることができるところにあります。
 「私案」は、国土を守り、支えてきたのは私たち町村であるという誇りを根底から否定し、地域に息づく住民の自立と尊厳を奪うものであり、とても納得できるものではありません。
 大地に暮らし、空間の価値を最大限活かしながら暮らしてきた住民の営みを大事にしない自治は、自治の名に値しません。多様性を認めず、自立と尊厳の精神を崩すような自治体再編が行われるならば、日本における地方自治の終焉を告げるに等しい措置となるでしょう。

(2)人口規模による町村の「切り捨て」

 「西尾私案」では、一定の人口を下回った自治体については、行財政能力がない、地方分権の受け皿になりえない、という理由で事務権限を縮小することが提案されています。
 一方、市町村合併を推進するために、市となるべき要件を緩和する特例措置がとられています。これは、平成15年度末までに町村が合併し、人口3万人以上になるならば、他の要件を一切問わないというものです。この特例の期限を平成16年度末まで延長しようとする動きもあります。
 このように、政府は人口で自治体の能力を測り、一定の人口を超えた自治体(=市)で、全土を敷き詰めようとしているようです。けれども、果たして、人口で自治体の能力が測れるものなのでしょうか。

@市と町村
 地方自治法において、市町村は、住民に最も身近な基礎的地方公共団体として、地方自治の基盤を形成するものとされています。市・町・村の間には、若干の例外を除いて、その構成、権能、組織等については、さしたる差異はありません。
 ただし、市となるためには、一定の人口、市街地を形成している戸数の全戸数に対する割合(連たん率)、商工業等都市的業態に従事する者の数等に関する条件が付されていることから、市と町村の間には経済的社会的な性格の相違が予定されているといえます。市に対し町村は、どちらかといえば農林水産業のようないわゆる第一次産業を中心とした地域特性をもっているものとされています。
 すなわち、基礎的自治体としての市と町村を分かつのは、経済的社会的な性格の相違であり、人口規模であるとみるべきではありません。人口が集中して一定数以上になり、都市的形態を強めた地域を市としているにすぎません。町村が、市より人口が少ないことによって基礎的自治体たりえないということはないはずです。
 わが国の地域は、歴史的には農地と市街地がモザイク状に入り込む形で発展してきました。したがって、都市と農山村を分かつのは絶対的な人口数ではなく、相対的な人口密度です。市にも低密度の地域はありますし、町村にも高密度の地域はあります。市と町村の違いといっても、市において人口の高密度地域(市街地)が大半を占め、町村で低密度の地域がほとんどを占めるという違いにすぎません。日本中に、いわば都市的な地域と農村的な地域が混合して並存しているといえます。

A不合理な小規模町村論
 いま小規模町村についての議論が取りざたされています。しかし、人口のみを基準として「小規模」と称するのは、空間の広がりをまったく考慮に入れない定義ですし、「小規模」だから行財政能力がないと決めつけてしまうのは、町村の実態を無視しています。
 農業や林業など土地面積の収益力が高くない産業が立地する傾向が強い農山村において、役場が小さな単位で分散的に存在し、地域のことを知り尽くした人材が、地域の資源を活用して、工夫を凝らして地域振興を行うという体制は、決して非効率なシステムではありません。
 そもそも私たちは、人口規模の大・小、財政の裕・不裕を問わず、すべての市町村を「基礎的自治体」と位置づける現行の制度は変えるべきではないと主張してきました。「小規模市町村」という区分そのものが不要だと考えます。全国の市町村は、地理的位置、自然条件、歴史・文化、人口、面積、財政力、自治行政の意欲と力量などで違っています。よって、その違いを認め、多様な自治体が共存しあう地方自治制度であるべきだと考えます。

(3)誤った「依存する町村」のイメージ

 基礎的自治体としての市町村は、住民サービスをできる限り「自己財源」により実施していくことが望ましいでしょう。しかし、それは合併により基礎的自治体の規模を大きくすることでは可能にはなりません。「自己財源」とは住民税等であり、これを増やすには国から地方への税源移譲やそれに伴う地方交付税の再編や地方税の税率引き上げなどが必要になるはずです。基礎的自治体の財政規模拡大と「自己財源」充実は別個の問題であることを再認識すべきです。
また、地方交付税総額の増大が盛んに指摘されています。さらに、その指摘の多くは、「地方の無駄遣い」が巨額の赤字を生んだとしています。では、実際にそれは当たっているのでしょうか。
 平成8年度から12年度にかけて、地方交付税の総額は約5兆円増えました(16.9兆円→21.8兆円)。しかし、その内訳を見ると、意外な事実がわかります。平成12年度において、人口1万人以下の、いわゆる「小規模市町村」に配分された地方交付税の総額は2.9兆円、地方交付税総額の13%に過ぎません。さらに、町村に対する地方交付税の総額は、平成8年度から12年度にかけて、約5千億円しか増えていません(4.7兆円→5.2兆円)が、一方で、市に対する交付税は1.5兆円増えています(3.3兆円→4.8兆円)。この額は、地方交付税総額の伸びの3分の1以上を占めています。
 また、地方交付税の総額、増加額ともに過半を占めているのは都道府県であり、総額にして11.8兆円(全体の54.1%)、平成8年度から12年度にかけての増額分を見ても、約3兆円(8.9兆円→11.8兆円)ときわだっています。(総務省資料より算出)
 地方交付税総額の急激な増大の主たる原因は、これまで税収が豊富で交付税をあまり必要としなかった都市自治体の多くが、不況によって税収が伸び悩んだ結果、交付額が膨れあがったことにあるのです。
 しかしだからといって、その責任を都市自治体に帰せしめても何の解決にもなりません。地方交付税の問題は、国全体で問題を共有し、農山村と都市が手を取り合って解決に当たる必要があるはずです。

 


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表 紙
1.容認し難い自治体再編論―合併から合併後へ―
2.農山村の価値と町村の創造力
3.町村の訴え