2.憂慮すべき状況

 市町村合併が「強力」に推進される中で、私たちが憂慮しているのは、合併の進め方と合併後の基礎的自治体(小規模自治体)の扱いおよび町村の税財源についてです。このたびは、この点にしぼって、私たちの見解を述べることにしました。

(1)市町村合併について

 全国の市町村は、やっと実現の運びになった分権改革によって、これから自己決定・自己責任の実をあげていこうとする矢先に、その暇もなく、合併をするか、しないかの対応を迫られることになりました。

 市町村の自主合併は、昭和40(1965)年以来、10年ごとに延長されてきた「市町村の合併の特例に関する法律」(合併特例法)によって、ここ30年以上続けられてきたのですが、とくに平成11年8月以降、その動きが強まった背景には、国・地方を通ずる財政危機の深まり、地方分権の受け皿論の強まりに加え、都市部における選挙結果に対する政策配慮があったように思われます。

 このたびの市町村合併については、与党・政府は、自主合併の建て前をとっていますが、強力な推進策を講じ、平成16年度末までに現在約3,200ある市町村の数を1,000にまで減じたい、としています。市町村の数を3分の1に減ずるというのは、おそらく「昭和の大合併」の時の実績を想定してのことでしょうが、この数値目標に合理的な理由は見出せません。わが国の地方自治をどのような姿にするのか、その際の税財政の仕組みはどうなるのか、そうした点が示されないままの推進ですから、理念なき合併の強要という様相が強まりました。

 合併特例法に基づく合併は、市町村の自主合併ですから、市町村が、合併をするか、しないかを自らの判断で決定することになります。すなわち、合併しないという選択肢も予定されているはずです。ですから、熟慮を重ねた上で合併をしないという決断をした市町村を悪者のように見るとすれば、それはおかしいのです。

 全国には、離島や中山間地域など地理的な条件等により、合併による規模拡大のメリットが生じることがない町村や、合併したくても合併できない事情の町村もあります。また、個々の町村では、対応が難しい、あるいは広域的処理がより効率的であると思われる事務については、現在の広域行政の仕組みを手直し、活用していくこともでき、合併だけが唯一の手法ではないはずです。

 合併を検討している町村にとっては、例えば、いま住民40人で1人の職員を雇っている勘定になる町村が、100人で1人を雇えるように合併に踏み切るか、現行でがんばり通していこうとするかは、悩みに悩み抜いた上での決定になるのです。合併に踏み切るにしても、単独で行こうとするにしても、それは、分権時代にこそふさわしい自己決定・自己責任の姿であり、価値的には等しいはずです。仮にも合併をしない町村に対し、なんらかの制裁を課そうという発想が出てくるとすれば、それを看過することはできません。その明白な恐れが、既に始まっている地方交付税の段階補正の見直しや合併後の「小規模町村」の扱いをめぐる論議に見られることは重大だと思います。

(2)「市の3万人特例」について

 このたびの合併の推進方策については、疑問を感じさせるものが少なくありません。国と地方の財政窮迫にもかかわらず、合併に関連して膨大とも思える財政的支援を行うことの是非を、いまここでは問わないにしても、例えば「市の3万人特例」には首肯しがたい点があります。

 これは、平成15年度末までに町村が合併し、人口3万人以上になるならば、他の要件を一切問わないというものです。この特例の期限を平成16年度末まで延長しようとする動きもあります。

 この3万人特例の措置は、市になることを「昇格」と考え、町村はそれを願っているはずであるという発想に根ざしているように思えます。これは明らかに町村を見下し、市を一段上のものとする考え方です。人口3万人の要件を充たしさえすれば市になれるというのであれば、現に人口3万以上の町村とこうして「昇格」した市との区別は無きに等しいことになります。これほどまでして、町村合併を進めようとする真意はどこにあるのでしょうか。

 都市部に圧倒的に多くの人口が集中し、しかも、経済活動に伴う大きな税源があるため、農山村に対し都市が優位していると思い込んでいるとしか思えません。私たちは、もはや農の風景をイメージできなくなった都市人が増えていることこそに、都市自体の危機の本質があると考えます。数合わせで「市」を増やしても、この危機を克服していくことはできません。

(3)「小規模町村」の扱いについて

@ 「骨太の方針」

 合併後の「小規模町村」の扱いについては、平成14年6月25日に閣議決定された「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」(「骨太の方針第2弾」)には次のように述べられています。

○ 改革の受け皿となる自治体の行財政基盤の強化が不可欠であり、市町村合併へのさらに 積極的な取組みを促進する。
○ また、今後の地方行政体制のあり方について、地方分権や市町村合併の進展に応じた都道府県や市町村のあり方、団体規模等に応じた事務や責任の配分(例えば、人口30万以上の自治体には一層の仕事と責任を付与、小規模町村の場合は仕事と責任を小さくし都道府県などが肩代わり等)など、地方制度調査会における調査審議を踏まえ、幅広く検討する。

 この「団体規模等に応じた事務や責任の配分」の議論は、合併後の市町村の扱いと関係しています。( )内の文章は、昨年の「骨太の方針」と同一の表現です。ここで例示的に対比されているのは、人口30万以上の市と「小規模町村」ですが、「小規模町村」の場合は、「仕事と責任を小さくし」その分を都道府県等が「肩代り」するとされています。これは、明らかに、合併しない、あるいは合併できない「小規模町村」が出てくることを想定し、それへの対応策を考えているものと思われます。この「骨太の方針」では、「小規模」とは、どの程度の人口規模のことかは定かではありません。

A「地方自治に関する検討プロジェクトチーム」の中間報告・論点整理(案)


 「骨太の方針」と呼応するかのように、平成14年9月25日、自由民主党地方行政調査会「地方自治に関する検討プロジェクトチーム」は、その中間報告・論点整理(案)の中で、市町村合併の強力な促進について指摘した上で、次の点を検討するとしています。

○ 合併推進策を講じた後になお残る小規模市町村(例えば人口1万未満)については、引き続き基礎的自治体と位置づけるとしても、通常の市町村に法律上義務付けられた事務の一部を都道府県又は周辺市町村が実施する仕組みとすることを今後さらに検討する。
○ 上記の小規模市町村については、地方交付税の割増措置等のさらなる縮小について検討する。

 ここで注目されるのは、例示ではありますが、小規模とは「人口1万未満」とされていることです。昭和の大合併のときは、団体規模については、人口約8,000人が明示されていました。このたびは、こうした数値の提示はありませんでした。この中間報告では、小規模がなぜ人口1万人未満なのか、その根拠も理由も示されてはいません。規模を人口だけで測り、面積や財政力を考慮しないのはなぜかも明らかではありません。確かなことは、人口1万人未満という線を引けば、現在では、町村のうち約1,500が、また合併後に残る相当数の町村が、その対象となることです。

B 地方制度調査会の論点整理

 このような考え方は、第27次地方制度調査会での論議でも浮上しました。平成14年7月の「論点整理」では、「小規模市町村の区域における事務処理」に関し、次のように指摘されているからです。

○ 今後、基礎的自治体として期待される役割を担うことが、財政事情その他の総合的な事情から困難となる場合、その担うべき事務の一部については、都道府県に配分するか(垂直補完)、それ以外の団体に配分するか(水平補完)。また、都道府県以外の団体に配分する場合、住民の意向反映という問題をどう考えるか。
○ 垂直補完方式と水平補完方式の選択を認めることが考えられるか。
○ 上記の措置の対象となる団体について、引き続き、基礎的自治体として法人格をそのまま残すか、基礎的自治体ではない形で法人格を有するものとするか。

 私たちは、この論点整理が発表された段階で、「小規模町村」の事務権限を制限・縮小し、それを都道府県が行ったり(垂直補完)、周辺の市町村が行ったり(水平補完)するというような仕組みが現実にうまく機能するとはとても考えられませんでした。都道府県が市町村のいかなる事務をどのようにして処理できるのか疑問ですし、周辺の市町村に事務を肩代わりしてもらうといっても、その町村が「属国ならぬ属地扱い」の感じをもたざるをえないことになり、水平補完も垂直補完も、現場感覚の希薄な発想であって、とても「制度構想」とはいえないのではないかと考えました。
 
 まして、「補完」措置の対象となる町村について、基礎的自治体としての法人格をそのまま残すか、基礎的自治体ではない形で法人格を有するものとするか、といった論議が、検討事項になっていること自体に驚かざるをえませんでした。「小規模町村」を憲法が規定する「地方公共団体」から外してしまえば、そうした町村がほとんど農山村地域に所在することを考えるとき、いったいだれが、これらの地域を一体的に捉え、総合行政を展開して、国民的財産である農山村を維持・発展させていくのか見通しが立たないからです。

 しかも、これらの「小規模町村」について、地方交付税の割増措置等をさらに縮小すれば、その財政運営はますます苦境に追い込まれ、その地域から人が去り確実に衰退していくことは、だれにでも想像できるからです。

 この「基礎的自治体」のイメージとそれに伴う「小規模町村」の扱いに関する方策は、いよいよ、平成14年11月1日の「第10回専門小委員会・西尾私案」の中に、かなり明確な形で出てきました。「私案」の要点は次のとおりです。

○ 平成17年4月以降、一定期間を定め、もう一度合併運動を推進して、すべての基礎的自 治体が、市並みの事務権限を処理できるようになることを目指す。
○ その際には、今の財政支援策ではなく、まったく別の方法によるべきである。
○ 解消すべき人口を予め法定し、一定期間経過後もこの基準を満たさずに残存する小規模な団体には、残された選択肢を予め明示しておく。
○ その選択肢は、「事務配分特例方式」(都道府県補完)とか「内部団体移行方式」(基礎的自治体へ編入)とする。

 合併は市町村にとって、自治の区域に関わる最も重要な意思決定事項でありますから、自主合併が本筋です。「私案」は、このたびの合併後に残る人口が一定規模以下の市町村の合併を強制的に推進することとし、それでも残る一定規模以下の市町村については、「事務配分特例方式」(都道府県補完)とか「内部団体移行方式」(基礎的自治体へ編入)などによって、基礎的自治体からはずそうとしています。現行の町村が皆無になる案と考えられます。こうした一連の新たな合併方式は、地方分権改革の中で掲げられきた「自己決定・自己責任」の拡充という理念に矛盾するものであります。また分権型社会の創造にあたって重要であるはずの地域の個性を活かした多様な自治の展開や自治体間の対等・協力の構築の必要性が看過されています。

 日本の国土の多様性と町村の役割を無視して、全土を基礎的自治体に再編することで、本当に農山村の維持は可能でしょうか。

 これまで町村は、森林の水源涵養機能や食料自給の機能等の重要な役割を果たしてきました。しかし「私案」では、町村が小規模であるがゆえに、今後はそれらの重責に堪えられないと断定されています。地域の現場を熟知している住民たる町村の職員がいてこそ、きめ細かな行政を展開できるのではないでしょうか。「私案」は、国土を守り、支えてきたのは私たち町村であるという誇りを根底から否定するものであり、とても納得できるものではないと思います。

 私たちは、人口規模の大・小、財政の裕・不裕を問わず、すべての市町村を「基礎的自治体」と位置づける現行の制度は変えるべきではないと主張してきました。「小規模市町村」という区分そのものが不要だと考えます。全国の市町村は、地理的位置、自然条件、歴史・文化、人口、面積、財政力、自治行政の意欲と力量などで違っています。その違いを認め、多様な自治体が共存しあう地方自治制度であるべきだと考えます。

 「小規模町村」の事務権限を極端に縮小し、あるいはそうした町村自体を解消するという方向ではなく、事務権限は幅広く認め、その中で市町村が主体的に、地域の実情に応じて選択・実施でき、また広域連合や事務委託の仕組みもより使いやすくするという方向で、今後の市町村のあり方を検討すべきだと思います。

 例えば広域連合については、@従来の市町村には基礎的事務を残し、A広域連合の首長は公選制とし、Bハード事業等は広域連合で行い、C農業及び農村の持続的な発展のため農業振興地域整備基本方針の作成や農業振興地域の指定、農用地区域内の開発許可、農地転用許可等の権限の移譲を行い、Dその他、都市計画、保安林の指定解除等、土地利用規制に係る権限と財源について都道府県からの大幅な移譲を行う−といった拡充策の検討が必要であると考えます。

(4)町村の税財源について

 私たちも、国・地方を通じる財政逼迫を十分承知しています。これまでのように国に救済を求めても、国にその余裕がないことも知っています。一定の人口規模以上の市と比べれば、歳出額では概して町村が割高であることも認識しています。ですから、これまで以上に徹底した行財政改革が必要であると考えていますし、現に断行しています。政府が、一日も早く、国庫補助負担金の廃止・縮減と税源移譲を含む税財政制度の改革と地方交付税の見直しという三位一体の改革を進め、将来の地方税財政の具体的な姿を示すべきだと考えます。

 しかし、経済財政諮問会議を含め、改革論議が行われる場などでは、地方交付税制度に関連して、「これによって市町村における行政サービスと自己負担の緊張関係が損なわれ、地方歳出の増大を招いているので地方交付税を大幅に縮小すべきだ」、「交付税による財政調整は手厚すぎるので、これを人口一人当たりの税収格差の是正レベルに留めるべきだ」、「都市住民の犠牲の下で農山村を優遇し、その結果、町村は無駄な支出を行っている」、「どんなに小規模で財政効率が悪くとも交付税で財源保障がなされている限り、自主的な合併が進むはずがない」といった、相当に乱暴な議論が公然と行われていることを看過できません。

 地方交付税は、国民がどこで暮らしていても、国で定めた一定水準の行政サービスを享受できるよう、必要最低限の財源を保障するもので、それによって地域社会の存立基盤を守ろうとするはずのものです。もしこれに手をかけるならば、法令による事務事業の義務付け・枠付けの見直しや国庫補助負担金の廃止・縮減とその一般財源化などを同時に検討すべきであり、そうではない単なる縮小論や限定論は、農山村の人びとと町村に対し、「これからどうなるのか」という不安や「結局、農山村は切り捨てられていくのではないか」という疑心暗鬼を起こさせてしまいます。

 私たちも、交付税の算定方法の見直しについては、段階補正、事業費補正等一定の理解を示してきましたが、すでに実施された段階補正の見直しは、人口規模別の目安で見たとき、市町村合併が同時・並行的に進められていることもあって、町村の中には合併推進の「ムチ」と受け止めている向きが多いのが現状です。
 
 ますます進行する国土・自然環境機能の低下を誰が防止するのでしょうか。私たち人間は自然によって生かされているという発想をもつべきです。町村は、自然と共存しながら、森林や農地の持つ公益的機能を維持する役割を担っています。その点で、交付税の算定に森林面積等を加味し、国土や自然環境の果たす役割を適正かつ充分に評価をすべきだと主張しつづけています。

 上記の三位一体の改革に際し、現行の地方交付税制度が、市町村の人口の多寡に比例した配分に見直されることとなれば、人口が少なく課税客体が少ない町村については、財政力格差がさらに拡大することが予想され、町村への財源締め付け、例えていえば兵糧攻めではないか、と受け止めざるをえません。

 町村が、行政改革を断行しつつ安定した財政運営を行っていくことができるためには、地方交付税制度は極めて重要であり、絶対に堅持すべきものであります。さらに、町村においては、税源移譲を行っても税源の偏在構造が変わらないことから、交付税のもつ役割は一層重要だと考えます。

 



  表 紙
1.昨年の全国町村会の提言
2.憂慮すべき状況
3.展  望