岩手県山田町
2822号(2012年12月10日)
2012年秋。山田町の前に広がる山田湾や船越湾では、養殖ホタテの収穫が最盛期を迎えました。震災後初めての収穫を得た初夏から、順調に収穫量を伸ばしています。 絶対数は震災前に及ばないものの、収穫率はむしろ震災後のほうが増加しました。栄養豊富な湾の恵みに感謝しながら、水揚げや出荷作業に町は活気づいています。
山田湾と船越湾を擁する山田町は、カキやホタテの養殖が盛んなことで有名です。リアス式海岸特有の深い入り江は、波が静かで栄養豊富なため、養殖に適しています。 その歴史は、試験期間も含めると約50年。町を支えてきた水産業なのです。
そんな湾の風景だった海上の養殖施設は、東日本大震災の大津波で壊滅的な状況に陥りました。イカダやロープ、フロートなどの養殖施設は、ほとんどが波に さらわれてしまい、湾内はガレキだらけ。船の多くも奪われました。しかし、どんなに自然の脅威を見せつけられようとも、町の宝である海と町民の生活のために、水産業の関係者たちは 立ち上がりました。
夜の海で水揚げ作業が続く
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震災後、何もない状況に気力を失ってしまったり、高齢を理由に引退を決意したりと、ホタテ養殖業から離れていく漁師も少なくありませんでした。結果、 震災前からは約3割減。それぞれの生活のための苦渋の選択も、被災状況からすれば仕方ありません。しかし、その一方で、養殖施設や船を失ってもなお、海で生きていこうと心に決めた 漁師たちは、可能なことから取り組み、一歩ずつ前に進んでいきました。残った数少ない船で、海中のガレキを撤去することから始め、2011年秋には、ホタテ養殖業再開にこぎつけました。 ここまでたどり着くには、船の貸し借りをはじめ、仲間同士の助け合い失くしては成し得なかったことばかり。また、国からの補助金を活用して養殖施設を整えていったり、市民団体や NPOから、義援金や作業に必要なカッパや長靴などの寄付があったり、と、多くの支援に支えられ、今年無事収穫期を迎えられたのです。
水揚げ後、付着物を落とし出荷を待つ
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初夏から始まった養殖再開後初の水揚げは、秋の最盛期を迎え、順調なすべり出しでスタートしました。再開後の養殖は、かねてから主流だった大きさ 約3センチメートルの稚貝からではなく、6~7センチメートルほどに育った半成貝を使用。養殖期間短縮によって、よく育ち、死貝も減り、結果的に収穫率は上がっています。 三陸の豊かな海で育った耳吊りホタテは、砂を噛まないためお刺身に最適と注文も殺到。漁師たちは手ごたえを感じています。
地盤沈下の影響で、浜辺の作業施設はまだ復旧していませんが、仮設の小屋などで、来年収穫予定の半成貝の耳吊り作業が始まりました。震災をきっかけに、 量より質の向上を目指し、「高品質の三陸ホタテ」をアピールしようと漁師たちは考えています。さらに、魅力あるホタテ養殖業を広めることで、若い世代の後継者獲得にも期待が高まっています。
耳吊り作業は、鮮度を落とさないために素早く行う
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