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長野県長和町/「地域に誇りを!住民に希望を!!」~住民の情熱と黒耀石スピリットが息づく町 長和町~

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年3月9日
山村再生プロジェクトの写真

長和町と東京農業大学とのコラボレーション「山村再生プロジェクト」


長野県長和町

2912号(2015年3月9日)  長和町長 羽田 健一郎


長和町の概要

長和町は、南は北八ヶ岳山系、北に浅間山、東に蓼科山、西に美ヶ原高原を望み、雄大な木々に囲まれた自然豊かな町です。 四季折々に山や野の恵を楽しめることはもちろんですが、「黒耀の水」「権現の水」という名水に恵まれた水明の里でもあります。 本州一の広さを誇る長門牧場の濃厚なミルクソフトクリームや美味しいチーズ、大門霧山地区の健康成分たっぷりで苦みの少ないダッタンそば等の長和町奨励品の数々は、 きっと皆様の胃袋をも満足させることでしょう。 

里山の原風景が残る地域でありながら、中山道の宿場が2つ存在する古くから交通の要所であったこと、主要国道3路線の交点であること、近隣の市や主要駅、高速IC、 観光地へのアクセスの良さから、県内(東信地域)ではベッドタウン的な位置づけとなり、平日はしっかりと仕事を、休日はゆっくりのんびりと田舎暮らしを堪能できる地域となっています。 

また、町内には旧石器時代から縄文時代にかけ、「黒耀石」の一大産地として栄えた高密度の遺跡群が形成されています。その背景には自然と共生する営みと、 希少な黒耀石資源を人々と分かち合った相互扶助の心の軌跡が残されています。このような「黒耀石スピリット(すべての人に、分けへだてなく分け合い接すること)」は、 今でもなお住民に浸透しており、「人と人とのつながり」や「心の豊かさ」を、心の底から実感できる町です。

地域住民が主体となった避難態勢づくり
「自分たちの命は自分たちで守る」

長和町では現在、長野県の「地域特性に配慮した警戒避難体制構築事業(以下「避難体制づくり」)」により、群馬大学:片田敏孝教授協力のもと、 地域住民が主体となった避難体制づくりに取り組んでいます。 

近年の自然災害は、地球温暖化等の影響により予想が大変難しく、短時間で刻々と変わる状況も捉えにくいため、行政からの警戒発令が遅れてしまうという問題があります。 また、長和町ではここ数年、全国で発生している風水害や地震等の被害が比較的少ないことから、住民の中には「災害が少ない地域だから大丈夫!役場から警戒発令が出ていないから大丈夫!」という意識が、 今まで以上に根付きつつあります。 

しかし、平成18年の豪雨災害では、堤防の決壊や橋梁が流される等の被害が出ていることは事実ですし、山間地であるため多くの土砂災害危険地域(急傾斜地)があるという事実を、 まずは住民が認識し、行政と一体となって情報を共有しながら議論をし、自主的に行動していくことが必要だと考えます。町では『自分の命は自分で守る』『行政に依存しない避難体制づくり』を念頭に、 町内の土砂災害防止法による警戒区域に指定されている地域から2地区を選出、その地域の住民を対象に、

  1. 地域の危険箇所を知る
    (過去に起きた災害を地図に記入し、その際災害の前触れになるような予兆現象等を把握する)
  2. 具体的な避難方法を考える
    (タイミングや状況に応じた避難場所を検討)
  3. 避難体制の仕組みを地域住民に周知する
    (懇談会で結果をまとめたリーフレットを配布、区集会などで再確認してもらう)
  4. これらをもとにした避難訓練を実施する

といった内容の住民懇談会を複数回開催しました。懇談会を開催する中で、住民からは「大規模な砂防堰堤を建設すべきだ」「行政が避難勧告を発令することは当然、 町は勧告も出さず、住民は勝手に逃げろということか」といった意見も出ましたが、県や群馬大学の専門家から砂防堰堤建設には莫大な費用がかかること、 災害発生予測自体が現段階では非常に困難なことであること等を丁寧に説明し、住民の理解を得ることができました。

また、地域の危険箇所・過去の災害発生場所を、その地域の子どもからお年寄りまでが知ることの大切さや、その地域に伝わる伝説や災害の前触れとなる予兆現象を把握することで、 その地域の良さや昔からの営みを再確認することができ、自分の生まれ育った地域に「誇り」を持つことにもつながっています。 

今後は、地域に暮らし自然から様々な恩恵を受け続ける「お作法(礼儀)」として、時にはその自然が猛威を振るうことも自覚しながら、この住民懇談会を通じて得た経験を、 その他の地域の住民にも体験してもらい、地域の誇りを再確認しながら地域住民が主体となった避難体制づくりを進めていきます。 

住民による防災マップづくり(避難体制づくり)の写真

住民による防災マップづくり(避難体制づくり)

住民懇談会の様子の写真

住民懇談会の様子

東京農業大学との共同「山村再生プロジェクト」

東京農業大学との交流は、町の林業後継者グループとの間で、森林体験交流を開始したことが原点となっており、既に20年以上が経過しています。また、 平成20年度に文部科学省の教育GP(質の高い大学教育推進プログラム)の採択を受け、地域再生や活性化の担い手を育成教育する場として「山村再生プロジェクト」が開始されました。 教育GPは2年半で事業完了となりましたが、平成23年度からは大学と町との独自の共同プロジェクトとして継続的に実施されています。 

「山村再生プロジェクト」は、長和町全体を「ひとつのフィールド」として、遊休荒廃地再生・自然資源保護・歴史伝統文化・食文化等の多彩なカテゴリーに沿って、 町の実情や資源・財産といったものを学び知り、地域の人々の暮らしや営みに直接触れることで山村の豊かさや厳しさ、地域住民の優しさ・思いやり・繋がりを感じ、 学生が社会の一員として自己実現するための原点を見出す機会にもなっています。 

遊休荒廃地を開墾した特産品づくりの写真

遊休荒廃地を開墾した特産品づくり

これまでの主な取り組みとして、地域住民と協働作業による遊休荒廃地復旧・観光イベントへの協力に加え、一般参加者を公募し、 農大生が長和町を案内するツアーの実施や都内のデパート・農大収穫祭での長和町特産品の販売など手応えや波及効果が生まれています。また、実習を円滑に行うために学生による委員会が設けられ、 毎月の実習内容の検討やイベント等でのPR活動、スモモ化粧品・花豆加工品等の特産品化に向けた立案・町の「郷土カルタ」づくりが進められています。「山村再生プロジェクト」の成果として、 これまでに延べ5,000人を超える学生が東京農業大学の知名度やネットワークを最大限に活用し、住民と交流を重ねることで地域の活力の創出や向上に繋がってきていると考えています。 来町する学生の固定化ができないため、提案に対しての実践や分析・再試行するためには課題もありますが、学生ならではの発想や率直な意見を得ることができる場として、貴重な価値を有しています。  

町では大学との連携をより深め、どのように地域の活性化に活かしていくかを協議し実行していくことを目的に、ワーキンググループを設けて具現化に結び付けるための対応を図っています。 

大学としても新たな「目標設定と方向性」を定め、目に見えた形で地域活性化の方法を示す時期になってきたと考えており、成果という部分に力を注ぎ取り組みを推進しています。 特に学生が「山村再生とは何か?地域活性化とは何か?」を話し合う中で、『誇り』と『形』と言う2つのキーワードに的を絞り、収穫物の商品化や特産品のガイドブックづくり等、 企画から具現化に至るまでの実践的な実習もスタートしました。今後も地域に根ざした活動を進め、大学との連携を密にしながら相互の目的達成のため取り組みを進めます。 

地元のおじさんが先生に、農大生が立岩和紙づくりに挑戦している写真

地元のおじさんが先生に、農大生が立岩和紙づくりに挑戦

新そば収穫の様子の写真

新そば収穫の様子

中山間地域を守れ!「信濃霧山ダッタンそば」の取り組み

農事組合法人「信濃霧山ダッタンそば」は、平成17年から長和町大門地籍の標高800m~1,400m地帯でダッタンそばの栽培を行っています。平成20年の栽培面積は9haでしたが、 現在では30ha、30tの収量と年々耕作面積を広げて遊休荒廃地の解消と地域の活性化に取り組んでいます。 

この地域でダッタンそばを栽培することになったきっかけは、合併前の旧長門町時代から農地の荒廃防止、地域活性化に役立つ新規作物の研究が行われていたことでした。 ダッタンそばはその新規作物の中の1つで、当時、町の農業委員を務めていた現組合事務局長が、北海道から取り寄せた種子を試しに播種したところ、 他の地域とは異なる特色のダッタンそばが生まれました。“どこが違うのか?”というと、ダッタンそばは『苦そば』と呼ばれ苦味が強く、食用には適さないそばだと思われていましたが、 この地域で栽培されたものは、なぜか苦味がほとんど無く食用にも適したそばだったのです。しかも、ダッタンそばが持つ体に良い作用をもたらす成分はそのままであったため、美味しくて体に良い、 全国でも長和町にしかない特産品が生まれました。 

ですが、前例のない作物を栽培することは地域の理解を得ることが難しく、JAでも初年度の製粉は受け入れてくれましたが、それ以降は断られてしまいました。しかし、 このことは栽培当初6次産業化を考えていなかった組合が必然的に6次産業化へと進んでいくきっかけともなりました。  

町では日本で唯一、苦味の少ないダッタンそばを全国に誇れる特産品として売り出すために、加工直販施設を建設、組合に指定管理者として施設の運営を託すことになりました。 この中で組合は6次産業化の認定を受け、生産、加工、販売を一体的に進めています。焙煎ダッタンそばのほか、6割、8割の乾麺、パウンドケーキやクッキー等のお菓子など多くの商品が開発され、 様々な方面に出向き販売を行ってきたことが、多くの健康志向家に支持され、販売ルートも確立されています。同時に、当初の目的であった遊休荒廃地の解消のために、 年々増える耕作放棄地を農家から引き受け、ダッタンそばの耕作面積を増やしています。 

平成26年10月、加工直販施設と隣接した敷地にダッタンそば専門のレストランが完成しました。組合がこのように発展をしたことは、 6次産業化の認定団体の中でも理想的な成功例だといえます。また組合は更なる展望として売店や製麺工場の建設を検討しています。そうなれば、この組合が行う事業は6次産業化の完成形であり、 小さな地域から大きな成功を収めた数少ない事例となることでしょう。 

しかしながら、組合員の高齢化は顕著で、今後は組合の継続だけでなく継承し存続していくためにも若い力が必要となるため、 人材の育成に力を入れていく予定です。「信濃霧山ダッタンそば」の取り組みは、長和町自体の活性化に大きく寄与し、農地が荒廃していく現状に苦しむ農家、地域住民に希望を与えています。

『長和町』と言えば『ダッタンそば』、『ダッタンそば』と言えば『長和町』といわれる日も、そう遠くはないことでしょう。

ダッタンそば収穫祭の様子の写真

ダッタンそば収穫祭の様子

ダッタンそば生産者メンバーの写真

活躍するダッタンそば生産者メンバー

終わりに

平成26年5月、『2040年までに、全国896の自治体が消滅してしまう可能性がある』という衝撃的なレポートが、日本創生会議から発表されました。長和町も例外ではなく、 合併当初(平成17年10月末)7,572人だった人口は、平成26年10月末時点で6,694人となり、約900人もの人口が減少しているという現実があります。 

そのような状況の中で、住民が自分の生まれ育った地域に「誇り」を持ちながら、地域コミュニティの醸成を図り、行政と協働しながら事業を進めていくことが重要だと考えます。 

今回、紹介しました住民が主体となった避難体制づくり、東京農大の学生が町のためにと知恵と汗を絞り出し取り組んでいる「山村再生プロジェクト」、また、 遊休荒廃地を見事復活させた農事組合法人「信濃霧山ダッタンそば」の活動は、まさに長和町の住民に希望を与え、誇りを取り戻すきっかけになるものだと確信しています。

森のささやき、清らかな流れ、住民の情熱と黒耀石スピリットが今も息づく長和町へ、ぜひお越しください。