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滋賀県豊郷町/滋賀県豊郷町におけるアニメコンテンツを活かしたまちおこし

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年6月4日

滋賀県豊郷町

2802号(2012年6月4日)  全国町村会調査室 坂本 誠


はじめに~豊郷町の紹介~

豊郷町は滋賀県の東部、国宝彦根城で知られる彦根市に隣接した人口約7500人、面積7.8平方キロの町である。湖東平野の中央に 位置し、昔から稲作が盛んで、現在も面積の半分以上が水田である。一方で町の中央を旧中山道が通る交通の要衝であり、近江商人の発祥地のひとつ としても知られている(注1)。 

近年この町を一躍有名にしたのが豊郷小学校校舎の保存問題。校舎を解体して新校舎を建設するという町の方針をめぐって町を 二分する事態となり、新聞やテレビの報道でも何度となく取り上げられたので、記憶している方も多いだろう。 

紆余曲折を経て、旧校舎とその付帯施設は保存し、新校舎はグラウンドの反対側に新築することになったが、その後、 旧校舎をめぐって新たな展開が生まれている。本稿では、現地取材と豊郷町役場の清水純一郎さんへのインタビューを通じて、その一端をご紹介したい。 

注1― 現在の伊藤忠・丸紅の創業者の伊藤忠兵衛氏、戦前にヨーロッパの社交界で一世を風靡し、藤田嗣治のパトロンとしても 有名な薩摩治郎八氏(バロン薩摩)の出身地である。

白亜の殿堂~破格の旧小学校校舎~

「当時としてはありえんほどの破格の校舎」と清水さんがおっしゃるように、1937(昭和12)年5月30日に竣工した旧校舎は、 町の中心部に広大な敷地と偉容を誇って建っている。両翼約120mのコンクリート造の地上2階建(中央部は3階建)。 

旧校舎の建設は、豊郷出身で伊藤忠兵衛氏の丁稚から頭角を現して丸紅の専務まで上り詰めた古川鉄治郎氏が、当時の村長に 「豊郷小学校の敷地と建物一切を寄付したい」と申し出たことで実現した。 

古川氏の私財の3分の2、現在の貨幣価値で数十億円以上を投じて建設された旧校舎は、あらゆる細部で郷里の子供の成長を思う 配慮の尽くされたものとなった。当時は珍しかったプールをはじめ、体育館やテニスコートを整備。電話そのものが珍しかった時代に校舎内の 内線電話も装備された。トイレも水洗。セントラルヒーティングも完備されていた。 

旧校舎の設計は近江八幡のヴォーリズ建築事務所に依頼した。ヴォーリズ氏自身も、キリスト教伝道のために来日し、近江八幡に 根を下ろして医療や教育事業に取り組んだ社会事業家だった(注2)ので、互いに校舎建築に対する理念を共有できただろう。 

その証の1つが階段の手すりに飾られたウサギとカメの像である。イソップ物語の寓話にちなみ、1階を並んでスタートするウサギと カメ、踊り場で昼寝するウサギ、追い越して先にゴールするカメが、それぞれ像として手すりに飾られている。古川氏がヴォーリズ氏に語った 「子供の頃、学校の先生からイソップ物語のウサギとカメの話のように『誰も見ていないところでも努力し、ゆっくりでも良いから前に進んで いきなさい』と教えられ、そうすることで校舎を寄付できるまでになった」という思い出話を、ヴォーリズ氏が具現化したものである。 

注2― ヴォーリズ氏は近江兄弟社を設立。メンソレータムの販売権を取得して日本での普及に努めた人物でもあり、 得た収益は惜しみなく社会事業に充てられた。

豊郷小学校旧校舎の写真

豊郷小学校旧校舎:竣工当時、コンクリート造の校舎は全国で2例目。その偉容は「東洋一の白亜の殿堂」と称された。

講堂の写真

400人以上収容できる講堂も、体育館とは別に建てられた(2階席から撮影)

ウサギとカメの像の写真

竣工時の像は戦時中に供出されたが、戦後、建築時の現場監督だった神谷新一氏(後の竹中工務店副社長)が当時の設計図を探し出して自費で復元した。

保存をめぐる混乱から改修~そしてアニメの舞台に

竣工以来、町のシンボルとして町民に愛された旧校舎だったが、2000(平成12)年に校舎を解体して新校舎を建設するという 町の方針が示されると、町を二分する議論が巻き起こった。結局、校舎は別の場所に新築し、旧校舎は保存することとなり、教育委員会、 町立図書館、子育て支援センターなどの入居する複合施設として再出発することになった。 

それに合わせて改修工事が行われ、2009(平成21)年5月30日、旧校舎72回目の竣工記念日に、リニューアルオープンの式典が挙行された。 

ところがその場に、あまり見慣れない集団がいた。DVDと見比べながら校舎の写真を撮る人、大きな荷物を持った明らかに 遠方から来たと思われる人たち…。 

実は竣工式の前月、4月に放送が始まったアニメ「けいおん!」に、豊郷小学校の旧校舎が登場していたのである。 アニメ「けいおん!」は、女子高の軽音楽部を舞台に高校生の青春を描いたアニメだが、主人公たちの通う高校として描かれた校舎の外観や内装が 旧校舎そっくりだった。これに気づいたファンが、旧校舎内部の見学が可能になる竣工式典の日に駆けつけたのである。 

実は、清水さんは4月中旬に旧校舎がアニメの舞台となっていることを知っていた。「『旧校舎がアニメに出ているようだ』 と連絡があったので実際に放送を確認してみると、『たしかによう似てる。どう考えてもうちや』と。ただ、その時は『へぇ.。』で終わった。」 

通常なら井戸端会議の話題として収束するところだが、清水さんの友人が聖地巡礼に詳しかったことから、まちおこしの物語は大きく展開する。 

アニメの舞台となったことを活かしてまちおこしに成功した例では、埼玉県鷲宮町(現在は久喜市に合併)の取り組みが先発して いたが(注3)、その友人は、「鷲宮のアニメと旧校舎の出てくるアニメは同じ会社が作っている。ひょっとすると豊郷町も鷲宮のように人が来るかも しれない。」と助言。「可能性はゼロではない。ダメで元々、アカンかったらやめたらエエんや、と始めた」(清水さん)。 

さっそく鷲宮町のまちおこしを扱った報道や研究論文を調べあげ、レポートを作成。商工会や観光協会など関係各所に 「豊郷でもこんなにすごいことが起ころうとしている。ぜひ取り組んだ方がいい」と持ち込んだ。レポートは町長にも見せに行った。町長も乗り気になった。 

とはいえ、問題は誰が実働部隊としてまちおこしを切り盛りするのか。議論の結果、清水さんを含め、役場、商工会、 観光協会等から有志10人程が集い、後に「けいおんでまちおこし実行委員会」と名づけられるグループを結成することとなった。

注3― 「アニメを活かした町おこし~地元とファンの交流を成功に導いたものとは~」(町村週報2671号)を参照。

ファンとの交流を通じて「聖地」として発展

5月の竣工式にファンが訪れることを見越した実行委員会は、会場にうどんの屋台を出すことにした。目的は2つ。1つは、 会場近くに食事をするところがないので、せめてうどんでも提供しようというもの。もう1つは、ファンのニーズを探るため。うどんを食べに来た ファンに「ここに来て何がしたいんや」と率直に尋ねた。ファンからは「アニメに主人公が校舎内でお茶を飲むシーンがある。自分も同じように お茶を飲んでみたい」という声が多かった。 

実行委員会ではさっそく実現可能性を検討。アニメのシーンで描かれた同じ部屋でというわけにはいかなかったが、旧校舎内に 厨房設備のある広いスペースがあるのを見つけ、翌月には喫茶コーナーをオープンした。 

最初は10人の実行委員会メンバーが交代で不定期に営業していたが、やがて謝礼が出せるほどの収入が入るようになり、毎週末 営業できるようになった。現在ではファンとの情報交換、ファン同士の交流の場としてすっかり定着している。 

アニメファンの聖地として認知されるもう1つのきっかけがある。 

あるアニメファンのグループが、アニメのオープニング映像の再現をしたいと来た。「コスプレ」と呼ばれるアニメキャラクター そっくりの扮装をして旧校舎の内外で同じアングルでビデオ撮影したいのだという。旧校舎を管理する教育委員会は、初めは「いったい何の話や?」 と驚いた様子だったが、「別に何も壊したりせえへんなら、まあ、使いいなぁ」と大らかに対応。その後、完成した再現映像がインターネット上で 公開されると話題を呼び、アニメの舞台としての豊郷小学校旧校舎がさらに注目を浴びることとなり、ついにはアニメファンの「聖地」として 認知されるようになった。清水さんは「ファンからすれば、ここは自分たちの存在を受け入れてくれる場所かもしれないと希望をもったのでは」と 分析し、「うちらからしても、何にも邪魔にならないということもあり、別にいいかという感覚だった」と話す。 

では、町民のファンに対する反応はどうだったか。「いい年をした大人がカメラをぶら下げて駅からぞろぞろと歩いている。 何事かと町民は驚いただろう」(清水さん)。

しかし、ファンが大勢詰めかけたからといって何も事件は起こらなかった。そのうちファンの存在が気にならなくなり始めたという。 それどころか「文句つけるところがないほど、ファンのマナーは実にいい」と清水さんは話す。

旧校舎には子育て支援センターも入居しており、支援センターのスタッフや子供を連れてくる保護者も、最初はファンの存在を 少し気持ち悪がった。しかし、廊下ですれ違うたびに挨拶を欠かさないファンに、「この子ら、実は安全や」という認識が広まったという。

旧校舎の掃除にやってくるファンもいる。バケツや雑巾を持って「掃除させてもらっていいですか」とやって来たときには、 教育委員会も驚いたというが、現在では旧校舎内の廊下のワックスがけまでファンがやってくれるそうだ。

喫茶コーナー脇のアニメグッズのコレクションもすべてファンからの寄贈。キャラクターグッズなど小物から等身大のパネル、 劇中で主人公が使っているものと同じ楽器まで軽く1000点は超えているという。「ファンにとっては、自分が持ってきたものがここにあることが うれしいのかな?」と清水さんは分析する。

1年半前にこのコレクションの一部が盗難に遭い、すわ熱狂的なファンによる仕業かとマスコミは報道したが、実は常習の事務所 荒らしの犯行だった。むしろファンからは見舞金が届けられたのだとか。

旧校舎外でのファンと地元商店との交流も徐々に広がりつつある。

旧中山道沿いに古くからあるうどん店。一見ふつうのうどん店だが、違うのは、壁の至るところにアニメキャラクターのポスターが 貼られていること。ご主人がファンの求めに応じてポスターを貼らせたところ、ファンから「聖地」として認知され、「巡礼」の対象となったようだ。 夕方、旧校舎が閉館した後のファンの集いの場にもなっており、ご主人の誕生会をファンが開くなど、心あたたまるエピソードも生まれている。

こうしたファンの「巡礼」は、「巡礼地」での購買を伴うため、少なからざる経済効果も生んでいる。

喫茶コーナーの写真

喫茶コーナー。かつては図書室として利用されていた

旧校舎の1Fの写真

旧校舎の1Fは、図書館や子育て支援センターなど町の教育・福祉スペースとしても活用されている

見学ガイドブックの写真

見学ガイドブックもファンの手づくりだが、プロ並みの出来栄え

ファンをつなぎとめるための戦略

現在、旧校舎への町外から来訪者数は、週末には1日平均200~300人、年間では5万人に達する。そしてその多くがリピーターである。 

清水さんは、リピーターが多い背景として、旧校舎がアニメファン同士の交流の場になっている点を指摘する。「アニメという 共通の話題があるので、アニメファン同士で親しくなりやすい。やがて旧校舎を見に来るためではなく、ここにいる誰かに会うためにやって来るよう になる」「校舎内でみんなでワイワイ絵を描いたり、ギターを弾いたり…まるで高校の部活動の雰囲気そのもの」と清水さんは語る。 

しかしこれだけが背景ではない。実はもう1つ、ファンをリピーターとしてつなぎとめるために仕掛けた戦略が当たった側面もある。 

旧校舎3階の音楽室。アニメで主人公たちが集う軽音楽部の部室として描かれ、ファンにとっては旧校舎内で最も重要な意味を もつ教室だが、教室内の黒板は、ファンが自由に落書きできるよう開放されている。 

竣工式典の日、2階のすべての教室の黒板に落書きが残されていた。 

「落書きするなと言ってもファンは絶対にどこかに落書きするだろう。ならば、書いてもよい場所を作ろう」。 

そこで、3階の音楽室の黒板なら落書きをしても良いが、他には書かないように、とルール化することにした。そして、 黒板の落書きを毎日撮影し、「今日はこんな落書きがあった」とインターネットのブログを通じて紹介することも始めた。 

実はここに戦略が隠れていた。「自分が書いた落書きがブログに紹介され、ファンにとっては旧校舎を訪れた記念になる。 そして黒板に落書きをすること、他のファンの書いた落書きを見に来ることそのものが、繰り返し旧校舎を訪れる動機になる」と清水さんは 解説する。実はこの手法、前述の鷲宮の事例を分析する中で思いついたのだという。

ちなみに施設側では黒板の管理はしていない。「誰かが来てチョークを補充していって、汚いと思ったら誰かが消していく。 まったくの自治」(清水さん)。黒板下に落ちたチョークの粉も、いつの間にか雑巾がけされているそうだ。

町内のガソリンスタンドの事務所の画像

町内のガソリンスタンドの事務所にも壁一面にファンから贈られたアニメの関連グッズが貼られ、「巡礼地」として 認知されている。取材時も4人のファンが談笑しており、なかには遠く群馬からやってきたファンもいた

成功の背景とは

現地を取材して筆者がまず感じたのは、豊郷町の懐の深さである。 

一般的な傾向として、アニメファンに対してとかく偏見の目を向けがちだが、豊郷町の対応はそのような偏見とはまったく 無縁であり、むしろファンを信頼した。「コスプレ」による撮影、指定した場所での落書きの容認など、行政としてそう易々と判断できるもの でもないだろう。それはポスターを貼らせたりキャラクターグッズを置かせた町内の店舗にも言える。こうした懐の深さとファンへの信頼にファン 自身も応えようとした結果が、旧校舎の掃除、黒板の管理などのファンによる「自治」、店主との交流につながっているのではないだろうか。 

同時に、関係者の行動の機敏さと戦略性にも驚かされる。 

旧校舎がアニメで取り上げられたことを知るや、地域活性化の素材として認識し、既存例を分析したうえで戦略を立て、実行 グループを作った。しかもそれを約1ヶ月という短期間で進めた機敏さは高く評価される。そして、イベント時に屋台を出すことでファンのニーズを 自然に聞き取る態勢を整えたり、黒板の落書きをリピーター確保につなげたりといったしたたかさにも舌を巻く。 

こうした懐の深さとしたたかさ、そして機敏さに、豊郷町を発祥地のひとつとする近江商人の経営哲学に通じるものを感じるのは 筆者だけだろうか。 

おわりに~将来に向けての戦略

これからの最大の課題は、やはりブームの継続性の見極めと終了後に向けた対応だろう。清水さんは「ブームを終わらせないよう に仕掛け続けてはいくが、5年も10年も続かないことは明らか。アニメファンから町のファンになってもらいたい。」として、現在は、 伊藤忠兵衛記念館(伊藤忠創業者の生家を活用した資料館)など豊郷町の従来の観光地にも目を向けてもらおうと仕掛けづくりを考えているという。 そのためには、アニメファンと町民との交流の機会を、商店主だけでなくどこまで広げていけるかがカギになるだろう。 

古川鉄治郎氏の故郷の子供たちへの熱い思いが込められた「白亜の殿堂」は、新校舎の建設により教育の場としての役割は終えたが、 アニメの舞台として取り上げられたのをきっかけに、ファンの交流の場、まちおこしの起爆剤として、新たな歴史を刻もうとしている。 今後の展開に注目したい。 

児童の飛び出し注意看板の写真

滋賀県が発祥とされる児童の飛び出し注意看板も、アニメキャラクターに置き換えたものが設置されている