全国町村会

農家民宿にて

ジャーナリスト 松本 克夫 (第3050号・平成30年8月20日)

山形県の旧櫛引町(現鶴岡市)に「知憩軒」という農家民宿がある。そこの女将の長南光(ちょうなん・みつ)さん(70)の話が面白くて、宿泊したついでに長時間聞かせてもらった。光さんは中学を卒業後すぐ集団就職で上京するつもりだったが、後継ぎの長男が家を出たため、家に残らざるを得なくなった。農業のかたわら、土方をしたり、工場や印刷屋に勤めたり、家で機織りをしたり、「百姓だから百くらい仕事をしてきた」。まだ6次産業化という言葉もなかったころに、農産物の直売や加工にも手を付けた。生きるための工夫が、「みな人より先にやる」結果になった。

農家民宿を始めたのは、親の介護があって外に出られなかったから。「それなら、外から人に来てもらおう」と考えた。光さんは、風雨に痛めつけられながらも「強く育つ野菜を食べてほしい」という願いから、庄内地方に伝わる在来野菜にこだわって育てている。それを薄味の料理にして、客に振る舞う。夏なら、オカヒジキや民田(みんでん)ナスが食卓に並ぶ。庄内の家庭料理そのものである。

この家庭料理が評判を呼び、ユネスコの食文化創造都市を目指して鶴岡市が刊行を続けていた地元食材のレシピ集シリーズの1冊『はたけの味』で紹介された。この本は全編光さんと娘のみゆきさんの料理レシピ集である。評判は海外にも伝わり、海外から観光客が訪れるだけでなく、光さんは韓国とイタリアに家庭料理の実演に招かれたこともある。

光さんは、「家庭料理は食の基本。体は家庭料理でつくられる」という。体で覚えた味を「食いつないでいく」ことが大切なのだが、最近は「お袋の味が(スーパーの)袋の味に変わってしまった」と嘆く。農家民宿はそうした風潮に抗するための拠点でもある。「農家の暮らし方を見てほしい。日本の生活を支えているのは農家だと気付いてほしい。地方は人間が帰る場所。地方を大事にしないと人間は生きられなくなる」と光さんは説く。ああこういう暮らしの守り手が日本を支えていたのだとしみじみ思ったものだった。

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